1月17日(日)、神奈川県藤沢市民文化会館で、ナースやヘルパーさんたちを前に講演をしました。主催者はキャンナス主催の菅原由美さん。彼女は私が教授をしている国際医療福祉大学院の医療福祉ジャーナリズム分野で学ぶ院生ですが、2年前にはナースオブザイヤーに輝いたほど、看護の世界ではもともと超有名人。彼女からのたっての依頼とあれば断るわけもありません。
ただ、いくら超有名人とはいえ、ボランティアナースなどの活動を地道に続けてきた菅原さんですから、そんなに人が集まるはずもないだろうと勝手に想像していた私は会場に着いてビックリ。会議室での講演だろうと思ったら大間違い。なんと大ホールでの講演で、客席には大勢の観客が熱心に耳を傾けていたのです。
テーマは「医療行為ってなに?」ヘルパーに痰の吸引が認められてことを受けて、「そもそも医療行為ってなんだろう」と根本から考え直そうというための会でした。菅原さんからの依頼だからお引き受けしただけであって、話す具体的な内容についてはほとんど考えていませんでした。私はいつもそうなんですが、会場に着いてから、この日のテーマについても認識したような状況でした。
しかし、このテーマはまさに私の原点ともいうべき内容でした。私が医療の取材を始めて20年。私が向き合ってきたのはいつもこのテーマでした。それだけに驚くとともに、不思議な縁のようなものを感じていました。
私は20年前に自分が取り組んだ救急医療キャンペーンの話から始めました。それまで日本の救急隊には医療行為が許されていませんでした。そんな現実を知り、驚いた私は「日本も欧米並みに医療行為のできる救急隊を目指そう」とキャンペーン報道を始めました。
当初は反対する人なんていないんじゃないかと甘く見ていた私の思いは、日本医師会に軽く一蹴されました。「医師法第17条で医師以外の医療行為を禁じられているから、消防士である救急隊が医療行為をするなんて論じる意味すらない」その時、私が感じたのが「医療行為ってなに?」だったのです。
当時の厚生省医事課長に対して、私は医療行為についてインタビューしました。「医療行為ってなんですか?たとえば注射は医療行為ですか?」と質問した時の彼の動揺ぶりを今も生々しく覚えています。こんな簡単な質問であるにも関わらず、彼はカメラの前で絶句したのです。目をシロクロさせ、額から汗がヒタヒタと流れ落ちる彼の姿をカメラは延々、映していました。私にとっても後にも先にも経験したことのないインタビューでした。
注射が医療行為であることは誰が考えても明らかです。しかし、それを医事課長が公式に認めた瞬間に、私から次の質問が飛んでくることは分かっていたのです。「ナースは注射をしていますよね。あれは医師法違反ですか?」診療の補助ということで、「医師の指示のもと」なら認められる場合もあると答えたとしましょう。すると、また、私からは次なる質問が飛んできたでしょう。
「医師の指示のもとというのはどういう意味ですか?医師の処方があればいいということですか?医師がそばにいる必要はあるんですか?ないんですか?」当時は、ナースの注射に関しては、明確な規定がなかったのです。ナースは当然の日常業務として注射をしていましたが、課長の答え方ひとつで全国のナースがいっせいに注射をしなくなって、大混乱が起きる可能性もあったのです。
つまり、医療行為とは医師がやるものだと金科玉条のように掲げていながら、実は医療行為そのものの定義すらはっきりしない状況だったのです。当時の救急車の中には聴診器すら載っていませんでした。聴診器をあてることも、血圧を測ることも、体温を測ることもみんな医療行為扱いでした。
ただ、救急隊に認めるかどうかで議論の中心となった医療行為とは「気管挿菅」「点滴」、そして「除細動」の救命の3点セットと呼ばれるものでした。あれから20年、AED(自動式除細動器)は街中のいたるところに設置され、誰でも使用できるようになっています。医療行為の定義が時代によっていかに大きく変化するかを象徴するような事例と言えるでしょう。
私は会場をしばしば笑いの渦に巻き込みながら、このような話を展開しました。どんな難しい内容の講演でも、お客様には笑ってもらおうといつも必死になってしまうのです。やはり自分の中にもフジテレビのDNAがしっかり流れているんだなあと感じざるをえませんが…。
さて、古くて新しい「医療行為ってなに?」というテーマを今、菅原さんが持ちだしたのはヘルパーに痰の吸引が認めらたことがきっかけでした。昔なら、痰の吸引を必要とする患者さんはほとんど病院にいたでしょうから、問題になることもなかったでしょう。しかし、在宅で医療や介護を受ける患者が増えてきたこと、さらにその中にはALSなどの重い症状の患者もいることなどから、ヘルパーの痰の吸引問題が浮上したのです。
実は私が救急隊の問題から話を始めたのにはわけがありました。講演が始まる直前、楽屋からステージに向かいながら、私は痰の吸引問題に対する菅原さんの見解を聞いたのです。私の講演タイトルは「ケアマネがんばれ!ナースがんばれ!ヘルパーがんばれ!みんなで在宅生活を支えよう」となっていました。「なんでもいいから先生の言いたいことを話して下さい」という菅原さんがつけて下さったタイトルでした。
それゆえ私も呑気に構えていたのですが、いくら言いたいことといっても、会の趣旨から外れてしまってはいけないだろうと思って、ギリギリの段階で彼女に確認をしたのです。もう少し、時間があればよかったのですが、さあ、これから講演が始まるという時でした。私は彼女の答えを聞いて愕然としました。彼女の考えは私と全く逆だったからです。
「ヘルパーに痰の吸引を認めるなんて私は反対なんです」
菅原さんは実際にヘルパーを抱えて、仕事をされている経営者でもありますから、それは彼女なりの強い思いであって、その思いを共有するために企画したイベントだったのでしょう。しかし、私はヘルパーの吸引については、以前から認めるべきという主張をしてきた人間だったのです。
おそらく彼女はヘルパーの実態をよくご存知なだけに、安易に認めるべきではないと実感されていたと思います。私は基本的には強すぎる医療現場での規制はできるかぎり緩和していくべきだと考えていますから、違う見解になったのでしょう。ただ、患者にとって安全安心な介護が実践できることが目標であるという点では、お互いは全く変わらないはずですから、じっくり話をすれば、同じ結論にたどり着くような気もしていました。しかし、この日は時間切れでした。
私の講演はその日の最後のプログラム。彼女自身が司会進行役を務めていましたが、「今日、私自身が最も楽しみにしていた講演です」などと言って紹介して下さったのです。私は他の演者がムッとするんじゃないかと気が気ではありませんでした。そんな状況の中で、菅原さんと真逆の主張を堂々と展開したら、いくらなんでも彼女の顔に泥を塗ることになるだろうと思いました。
そこで私はヘルパーの痰の吸引問題にはいっさい触れずに、話をすることにしたのです。「医療行為ってなに?」というテーマにこだわる限り、痰の吸引問題に触れずとも話は可能です。ただ、客席にはヘルパーさんもたくさんおられましたし、彼らの最大の関心事がそこにあることは分かっていながら、あえて踏み込まないで話を進めるのは、どことなく気が引ける気がしていました。
私はさらに救急隊の問題から、今、私にとっての最大の関心事である漢方と西洋医学の融合の話に展開させました。私の父の末期の肝臓ガンを奇跡的に消した漢方の力、そして、医食同源、未病を治すことの重要性などを説きました。そして、漢方的アプローチはいわゆる医療行為ではないから、ナースやヘルパーが生活を支援する際に大きな武器になりうるという話をしたのです。
質疑応答の時間もありましたが、特に漢方の話は彼女たちの大きな関心を呼んだようで、会場からも痰の吸引問題は持ちだされませんでした。観客のみなさんの反応を見ても、講演会としてはうまくいったのではなかったかと思いました。しかし、私自身としては内心ヒヤヒヤものだったのです。
まさか、私がそんなことを思いながら話をしていたなんて、きっとどなたも気づかれなかったでしょうね。だからこそ、ここだけで、本音をお話した次第です(笑)