たかがい恵美子さんって知っていますか?看護界の新しい顔として、注目を集めているニューリーダーとも言える人物です。今は日本看護協会の常任理事を務めていますが、来年の参議院選挙を目指して政界へ羽ばたこうとしています。
日本看護協会のホームページを開くと、トップページに「たかがい恵美子のめざせ、看護維新」というコーナー表示が目に飛び込んできます。本の表紙も全面、彼女の写真です。いかに看護界が総力をあげて彼女を押し上げていこうとしているかが分かります。
さすがそれだけの期待感を集めるだけあって、スター性のあるとっても魅力的な美人です。少なくとも看護界にはこれまでにはいなかったタイプの圧倒的なアピール力を持った人物です。
先日、「ナイチンゲール・スピリットで行こう」という本の出版を記念した講演会が新宿の紀伊国屋ホールで行われました。日曜日の夜で、しかも有料だというのに会場は大入りで、勢いを感じさせました。明らかに看護関係者と思われる人が大勢いたのは当然として、若い学生の顔も少なくなかったのには驚きました。
講演とは言いながら、肩の力が抜けた自然体で、会場の一人一人に語りかけるような話しぶりはお見事でした。通常の講演会ではお決まりの演壇がなく、原稿もメモもありません。マイクを持って舞台の中央に一人で立ち、右に左に歩きながら語るさまはすっかり絵になっていました。演説口調ではなく、普通におしゃべりしているような語り口でしたが、それは簡単にできることではありません。
彼女は急性期病棟での臨床や地域保健を経験し、さらにアフリカでのNPO活動にも参加、研究生活を経て、厚生労働省で政策作りを担当してきました。そんなさまざまなキャリアを重ねてきた自信に裏打ちされているからこそでしょうか、話の中味には専門職らしい説得力がありました。
超高齢化社会がどんどん進んでいくと人口構成はどうなるのか、その時、どうやって高齢者を支えるのか、医療・介護の現場はどうなるのか、そんな難しい課題でも彼女は会場の笑いを誘いながら、わかりやすく語っていきます。「今は40床の病棟で夜中に元気な老人は4~5人くらいかな?でも20年後には20人くらいになっているんじゃないでしょうか?」いかに看護のニーズが高まるかをうまく表現していました。
看護界はよくこんな逸材を発掘したものだと私は感心していました。しかし、だからこそ、私は彼女に期待したいと思うことがありました。それは政界を目指すなら、看護界だけのために働くのではなく、国民医療全体を救うために働いて欲しいということでした。
看護界のみなさんは2007年の参議院選挙で日本看護連盟が擁立した松原まなみ候補が落選したことの意味をよく考えてみるべきだと思うのです。これは看護界だけの問題ではありません。同じ選挙で日本医師会が擁立した武見敬三元参議院議員も落選しています。かつての参議院選挙の比例候補というのは、業界団体の支援を受けた候補が、その組織力によって選出されるというのが普通でした。
しかし、今は政治の構造そのものが大きく様変わりしています。あえて言えば、投票する人の多くが無党派層と言ってもいい状況です。投票する時の気分によって投票行動を決めるので、事前のいわゆる票読みがきわめて困難になっています。業界団体に所属していても、実際の投票行動をチェックするわけにもいきませんから、組織の支持通りに票を入れるかどうかも分かりません。組織による締め付けなどもできないと考えた方がよさそうです。
彼らは気まぐれではありますが、候補者が誰のために議員になろうとしているかについては敏感に反応します。業界団体の顔として出てくる候補者は、政治資金もそこから受けているのであって、その業界団体のために働こうとしているに違いないと受けとるでしょう。それだけでその候補者は大きなハンディを負ってしまうことになります。そういう時代だということをよく認識した上で、選挙を闘わないと看護界は同じ過ちを繰り返してしまうことになるでしょう。
もちろん、ナースの待遇を改善し、みんなが生きがいを持ってのびのびと働ける環境を作ることは、結局は患者のためになることでもあります。そういう意味では看護界のために働くことと、国民全体のために働くことは一致します。現にこの私は自他ともに認めるナースの応援団を長くやってきたつもりです。それは患者にとって納得のいく医療を目指すということと、ナースが笑顔で働ける環境が出来上がることは一致すると思ったからです。私はナースのためではなく、あくまで患者のためにナースを応援してきたつもりです。
しかし、時代が複雑化してくると、必ずしもすべてが一致するわけではなくなってきています。たとえば、外国人ナースを大量に受け入れて、看護の人材不足を補うという問題については、看護界は前向きではありません。国際交流の一環としての受け入れは認めたものの、人手不足を補うためではないと強調しています。
それは日本の看護界からすれば当然の反応でしょうが、国民医療全体を俯瞰して見た場合はどうでしょうか?私は外国人ナースを積極的に受け入れていかなければ、超高齢社会を支えることはとてもできないと思います。日本人だけで支えていこうとすると、若い人の大半はナースにならなければならなくなるのではないでしょうか?
また、救急医療の現場や介護の現場などで他の専門職とともに働く場合に、あまり看護の専門領域を主張しすぎると、いいカタチの連携ができなくなることもあります。かつての日本医師会は自らの権益ばかりを主張し過ぎたことにより、多くの国民からは批判の対象になることが多かったことを忘れるべきではありません。
それぞれの専門職能団体が自らの主張をそのまま政治の世界に持ち込めば、誰のための議論かわからなくなってしまうでしょう。そして、声の大きな団体の主張が通って、肝心の国民の医療が置き去りにされてしまう可能性は十分にあると思います。准看護師問題などはその典型です。准看養成停止を求める日本看護協会は存続を求める日本医師会の抵抗の壁を破れないままになっています。そのため日本の看護界は旧態依然たる状況を脱しきれないでいるではありませんか。
日本看護連盟がたかがいさんに看護界の声を政界に届けて欲しいと願うのは当然のことだと思います。しかし、看護界が本当に彼女を大きな存在にしていこうと思うのならば、むしろ、その気持ちを前面にだすことは控えた方がいいでしょう。私は以前から主張しているように、ほんとうは看護界は自らの政治家を作ろうと労力を使うより、看護系の議員を数多く作る方に精を出すべきです。
看護界から政界に送り込まれた議員が看護界のことを訴えてもそれは当たり前のことであって、実はそれほど大きなインパクトはありません。それよりも、普通の議員が看護の問題に目を向けて、力説する方がよほど影響力は大きいのです。それが政治の現実です。一つ一つの選挙区で、候補者に看護の問題を認知させて行動に移させることの方が、よほど意味がある政治的行動と言えるのです。
たかがいさんがどの政党を選ぼうとも、その過程では最低限、看護界の主張をマニフェストに入れさせることを条件にしなければ、単に政党に利用されるだけで終わってしまうかもしれません。医療崩壊の危機を目の当たりにして、大きな目標の前に幅広く、力を合わせていくことが最も大事なことです。せっかく登場した看護界のニュースターをホンモノにしていけるかどうかは、看護界のみなさん次第だということではないでしょうか。(以上)