高齢化社会が進む中で、現在30兆円を越えた医療費は今後どんどん高騰していくことが予想されています。人の寿命が延びることはうれしいことですが、病気の老人が増えて国民全体の負担を増やしていくことは大きな問題です。老人になればどこか具合が悪くなるのは当たり前、やむをえないものと私たちはあきらめているところがあります。
確かに年をとればとるほど抵抗力は落ちてくるし、病気になりやすくなってくるのは事実です。しかし、生活の仕方によっては、元気なままで年老いて、病気の時期は最小限で、そのまま死に至ることも不可能なことではありません。最近、アンチエイジング、抗加齢医学が注目を集めているのも、そういう意識が高まってきていることの現われと見ることはできるでしょう。
ただ、抗加齢という言葉には、老化現象に抵抗しようというような響きがあります。老化することはいけないことだから、できるだけそれに抵抗しようというような考えです。しかし、人が老化することは避けることができません。ならば流れに逆らって抵抗するのではなく、老化とうまく付き合っていくという方が自然な発想なのではないでしょうか。年とともに起きる体と心の変化を受け入れながら、病気にならないような生活をしていくことができれば理想的な人生を全うすることができるでしょう。
それが時代の大きなニーズだと考える時、私はナースの果たすべき新しい大きな役割を痛感するのです。ナースは基本的には病院や診療所など医療機関で働いています。訪問看護ステーションも病院とつながった施設のひとつです。医療機関というのは当然のごとく、病気になった人を対象とする場所です。病気になった人を治療することがいかに大事なことであるかは、すべての国民が実感していることです。
しかし、今ここで提起した老化とのうまい付き合い方というのは、今の医療機関における主なる仕事ではありません。病気にならないように誘導することは治療ではないからです。むしろ、食生活や精神衛生上の生活環境などの指導、相談の方がむしろ中心になってきます。訪問看護は生活の中に入っていくわけですから、そういう役割を担っているということはできるでしょう。
ただ、訪問看護が対象とするのは病気を持った患者さんですから、病気でない人は対象外です。病気になって初めてナースとの関係ができるというのは、よくよく考えると不思議な気がしませんか?つまりそれが西洋医学というものなのです。西洋医学とは病気の人を診る学問の体系であって、病気になる前の人を相手にしてはいないのです。
中国伝統医学の教科書とも言える「皇帝内経」という本がありますが、その中に「治未病」という考え方が明示されています。未病とは病気になる前の状態のことを言います。そのまま放っておくと病気になることは間違いないが、今の段階では病気には至っていない状態です。「治未病」とはすなわち、未病の人を治すということです。これは中国医学の基本的な考え方であって、西洋医学にはない考え方です。
中国医学では未病の段階で病気にならないようにするために、漢方薬を使ったり、食生活を具体的に指導します。西洋医学では人間ドックなどを受診していろいろな数値に要注意マークが出たとしても、基本的には「経過を見守る」だけです。食生活やアルコールなどの生活習慣への大雑把なアドバイスがあるだけで、「治す」というような具体的行為を伴うものではありません。要するに、西洋医学は人が病気になるのを待っているようなものなのです。
厚生労働省の方針でも医療費高騰を抑えるために「予防重視」という考え方が示されています。つまり、できるだけ病気にならないようにしようということですが、西洋医学にはそれを実践する具体策はほとんどありません。うがいをしましょう。手洗いをしましょう。睡眠をたくさんとりましょう。ストレスをためないようにしましょう。アルコールを控えめにしましょう。食べすぎには気をつけましょう・・・などなど。まるで小学生がお説教を聞いているような気持ちになってきます。
「未病を治す」という発想は、今の日本に最も求められている考え方ではないかと思うのです。中国医学と西洋医学は根本的な哲学そのものが違います。そもそも病気の捉え方そのものからして異なります。西洋医学では病気は身体にできてしまった悪いモノです。ですから、それを徹底的に攻撃することで身体を守ります。ガンの場合でも、できてしまった悪い腫瘍を外科手術、放射線、抗ガン剤などで排除し、叩き潰そうとします。
しかし、中国医学においては病気とは人間の気・血・水のバランスが崩れた結果だと考えます。ですから、気・血・水のバランスを戻すことが治療となります。ガンにしても同じことです。ガンを叩き潰すのではなく、ガンに負けない身体を作ることで身体を守ります。場合によってはガンとともに生きていこうとします。
ですから、未病を治すということも、崩れそうになっている気・血・水のバランスを正常にしようとすることです。そのために漢方薬を処方することで大きな効果も期待できます。それとともに重要なのは食です。適切な食材を選び、調理して食すると、漢方薬と同じような効果を発揮することがあるのです。
「医食同源」というのも中国医学の中心的な考え方です。今、韓国ドラマの「チャングムの誓い」が日本でも大ヒットしていますが、あそこで描かれている世界がまさに「医食同源」そのものです。主人公のチャングムは物語の前半では宮中の料理人です。それがさまざまな権力闘争に巻き込まれて追放されますが、物語の後半では女医として再び、宮中に舞い戻ってきます。
私の最も信頼する中国人のドクターはあれこそが漢方だと強調します。ドラマの舞台は韓国ですから、韓方ですが、ルーツは漢方ですから同じです。つまり、料理人は皇帝陛下の体質を知り尽くした上で、その日、その日の陛下の体調に合わせ、季節の旬の素材を使って料理を作っています。それは陛下の健康管理にとって、最も重要な営みのひとつです。
女医が行なうことも基本的には同じです。ただし、女医は陛下が病気になってから仕事が始まります。陛下の症状を診断した上で、陛下の体質、その日の体調に合わせ、元気回復のための漢方薬を処方し、煎じて飲んでいただくのです。実は、その漢方薬そのものがもともとは食材と同じ素材であることも少なくないのです。
つまり、料理人とドクターがひとつの線で結ばれているのが、中国医学の世界なのです。まさに文字通りの「医食同源」です。薬膳料理というものがありますが、それは決して特別な料理だけを指すのではなく、日常のあらゆる料理に薬効を期待することもできるのです。西洋医学において、料理人とドクターがつながっているということは想像すらできないでしょう。
中国医学には治療医学と養生医学があります。中国医学でももちろん病気を治療することは大きな仕事ではありますが、それと同時に、生活の中の医療、すなわち養生医学が重要な位置を占めています。日常の食生活の中に養生の知恵が体系化されているのが中国医学なのです。未病を治す料理のメニューが分かれば、漢方薬を飲まなくても、病気にならない健康体を維持することができるとすれば、こんなにいいことはないと思いませんか。
このような食養生は日本のドクターにはほとんど関心もなく、縁もない世界です。しかし、患者・その予備軍の立場に立ってみれば、こんなに重要な仕事はありません。だからここにこそ、ナースの出番があると私は考えているのです。これは栄養士の専門領域とはまた違います。あえて言うならば、「食養生士」とも言うべきものです。
これからナースはますます病院の中でだけ患者に向き合う時代ではなくなってきます。訪問看護の占める重要性はどんどん高まってくるでしょう。在宅における看護とは生活の中での看護です。その時、食養生で的確なアドバイスができれば、どれほど患者にとって大きな救いとなるでしょう。食養生は医療行為ではありませんから、ドクターの指示なくしてできる行為です。
私はこれからのナースは「食養生士」的なるものを目指すべきだと思っています。現時点では「食養生士」という資格はありませんが、日本看護協会の内部資格でもかまいません。そういう研修コースと認定システムを早急に作ることによって、時代のニーズにナースが応えてくれることになるのではないかと私は思っているのです。