第10回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

黒岩祐治の頼むぞ!ナース

黒岩祐治
ジャーナリスト。国際医療福祉大学大学院教授。早稲田大学大学院公共経営研究科講師。医療福祉総合研究所(スカパー・医療福祉チャンネル774)副社長 <プロフィール>

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▼バックナンバー #1〜#49

 



 

第10回 〜マグネット病院〜

 今、あちらこちらの地方の自治体病院からこのままでは潰れてしまうという悲鳴が上がっています。医師不足によって、診療が成り立たないという緊急事態に陥っているところが続出しているのです。みなさんの勤務する病院でも、同じような状況になっていませんか?

 千葉県東部地区ではひとつの公立病院が危機に陥ったことから、その周辺の病院に次々と危機が広がっていくというドミノ倒しのような現象が起きています。患者は近くの病院がキチンと診療できなくなってしまったがゆえに、その周辺の病院に通い始めます。すると、その病院の患者が急に増えます。スタッフの労働条件は急激に悪化し、疲弊して辞めてしまう。そしてまた、隣町の病院に患者が押し寄せて同じことが起きてしまうのです。

 その主な原因とされているのが、2年前に導入された新医師研修制度、すなわち医師の卒後臨床研修制度の義務化です。それまで医師は大学の医学部を卒業した後、多くはその大学病院で臨床研修を受けていました。この研修はあくまでも努力義務にすぎなかったために、キチンとした身分保証もされずに、安い給料で過酷な労働を強いられていました。

 しかも、研修医の多くは民間病院でのアルバイトで生活費を捻出していました。大学病院では研修医は一人前とはみなされていないにもかかわらず、外へ出れば“立派な”お医者さま扱いでした。医師とは名ばかりの彼らが当直勤務をやっていたのですから、患者の立場からすると身の毛がよだちます。

 救急隊が血だらけの患者を運びこんできた時、「そんな患者はうちでは診られない。他へ運べ!」と見当違いに救急隊を怒鳴りつけるなんて光景もしばしば見られていました。心肺停止状態の患者に対して、気管挿管はおろかまともな救命処置もできない研修医が、夜間当直医として夜の救急医療を担っていたのです。

 つまり半素人のような医師がシステムとして医療の一部を担わされていたということです。特に夜間の病院の医療レベルの低さは目を覆うばかりでした。夜間に救急車で運ばれるということは指導官のいない研修医の研修材料にされていたと同じことでした。そもそも卒後の臨床研修自体が努力目標でしかなかったために、研修なしでいきなり診療にあたることさえ可能だったのです。

 ちょうどこのころ、寝る間もなく働き続けることを余儀なくされた若いある研修医が過労死するというショッキングな出来事が起きました。この一件が大きく伝えられたことがきっかけとなって、研修医の現状がクローズアップされることになりました。そして、国会でも大きく取り上げられ、新医師研修制度が導入されることになったのです。

 これにより、医学部卒業後、2年間の臨床研修は義務化され、月の報酬も30万円くらいは保証されるようになりました。また、スーパーローテイトといって、いろんな科を回っていくことになりました。それまでは大学病院の医局に残って研修を受けていましたから、その科の研修しか受けないという例が多く、総合的な力を持った医師は育ちにくい環境でした。それが研修期間の中でいろんな科を経験することにより、プライマリケアの基礎的な診療能力をつけることができるようになりました。
 
 それとともに研修医療機関については研修医自身が希望を出し、受け入れ先とのマッチングができた段階で決定することになりました。研修医たちの多くは大学病院よりも一般病院を選びました。特に大都市の大病院を選択する傾向が強まりました。これが人の流れを大きく変えることになったのです。

 これまでは地域の病院には大学の医局から医師が派遣されていました。それにより、大学は提携先の病院に大きな影響力を行使してきました。医局支配と言われた構図です。その頂点に君臨する医学部教授の権限は絶大でした。ドラマ「白い巨塔」で描かれた世界はずっと残っていたのです。医局支配は打破すべき旧弊であることは衆目の一致するところでした。しかし、実はこの医局制度が地域の医療を守る役割も果たしていたのです。

 普通なら若い医師が行きたがらないような地方の病院でも、医学部教授の命令によって医師は強引に送り込まれていました。サラリーマン以上に階層社会と言われる医師の世界では、教授の命令に背くことは絶対に許されないことでした。ところが新医師研修制度はこの医局支配の構図そのものを破壊することになったのです。

 研修医が自分の希望で研修先を選ぶことができるようになると、大学に残らない研修医が増えました。大学病院はそれまで労働力の一部として重宝していた研修医を失ってしまいました。そして、その分を補うために各地域の病院に派遣していた医師を呼び戻したのです。大学病院に医師を奪われた病院は医師不足に陥りました。そこから先ほど見たようなドミノ倒しのような医師不足、病院危機の連鎖が始まったのです。

 実はこの春、制度導入により初めて臨床研修に出た新人医師たちが2年間の研修を終えました。彼らがどこに勤務することになるのか、各病院関係者は固唾を呑んで見守っていました。もし、大学病院に戻ってきてくれれば、医局は再び息を吹き返すことができると大学側は密かに期待を抱いていたようです。しかし、「全国医学部長病院長会議」が調査したところ、現実はそうではありませんでした。

 研修後に大学病院を勤務先に選んだ医師は51.2%で、制度導入前の72.1%から激減していたのです。しかも地域別に見ると、関東65%、近畿60.6%だったのに比べ、四国30.2%、東北32.1%、北海道33.1%と、都市部と地方の格差が明らかになっていました。

 「全国医学部長病院長会議」では「このままでは地域医療が崩壊する」として、新医師研修制度自体の見直しを求める声明を出す予定だと言います。研修医の待遇改善と医師の質の向上を目指して導入された新医師研修制度は、今や地域医療を崩壊させる諸悪の根源とされてしまいました。さて、この問題に私たちはどう向き合うべきなんでしょうか?

 地方の自治体病院の多くが医師不足で悲鳴を上げている中で、よく見てみると地域の中にも医師不足とは無縁の病院もあります。千葉県東部は先に指摘したように危機のドミノ現象が起きているのですが、その中にありながら、国保旭中央病院は「我関せず」と余裕の表情なのです。

 近隣の病院が医師派遣をめぐって千葉大学医学部に振り回されているのに、旭中央病院は影響を受けていないと言います。それはこの病院が「卒後臨床研修が義務化される前から独自に卒後臨床研修を体系的に行ってきたことと、地域医療に地道に熱心に取り組んできたからではないでしょうか」と、村上信乃名誉院長は胸を張ります。

 地域医療のモデルと言われる長野県の佐久総合病院も医師不足とは無縁です。つまり地方だから医師が来ないのではなく、地方ならではの特性を活かした魅力ある医療を提供する病院になっていないから、医師が来ないだけなのではないでしょうか?

 私はこの話から「マグネット病院」ということばを思い出しました。かつて10数年前に看護師不足が社会問題化したことがありました。各病院が看護師確保に躍起となっている中で、優秀な看護師が磁石に引き付けられるように集まってくる病院がありました。それだけその病院には看護師にとって働きたいと思わせる魅力があったということなんでしょう。そういう病院のことを「マグネット病院」と呼びました。

 私は悲鳴を上げている自治体病院に、自分たちは「マグネット病院」になっているかどうか自ら検証してもらいたいと思います。これまで大学の医局頼りになりすぎてはいなかったかどうか?医局支配に不満を持ちながらも、実は持ちつ持たれつの関係だったのではなかったかどうか?・・・

 今、現実化している混乱を前にして、「かつての医局支配に戻そう」「卒後臨床研修は義務でなくてもいい」・・・などという後ろ向きの議論になることは決していいことだとは思いません。改革は後戻りさせてはなりません。改革のプロセスには痛みも伴うものなのです。今、求められていることは時計の針を元に戻すことではなく、新しい医療のシステム、医師供給体制を確立していくために何をなすべきかを真剣に考え、実践していくことなのではないでしょうか?そのためのキーワードは看護師の経験に学ぶべき「マグネット病院」だと私は思います。





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