前々回に書いた来年参議院選挙の日本看護連盟候補の件ですが、候補者のたかがい恵美子さんは結局、自民党から立候補することとなりました。内部ではかなり激しいやりとりがあったようですが、連盟の清水嘉代子会長の意向が強く反映したカタチとなりました。
要するに、連盟はこれまでの「政権党支持」の姿勢から変更し、「自民党支持」になったということです。今の政治情勢からすれば、かなり“勇気ある決断”だったと言えそうです。
たかがいさん本人も、これまで連盟代表候補として全国各地を飛び回ってきましたから、なによりも連盟の組織としての決定を重視したいという意向が強かったようです。連盟の決定に反して彼女が行動すれば、彼女は連盟から切り捨てられることになったでしょうから、それは当然のことかもしれません。
きわめて政治的な問題であって、外部の私などがとやかく言う筋合いのものではありません。しかし、正直言って、私は今後のことについてはとても心配をしています。はたして日本看護協会と日本看護連盟が一体となって動いていけるのかどうか。もしかしたら、分裂状態で選挙戦突入という事態もありえないわけではありません。たかがいさん自身がほんとうに当選できるかどうかについても、誰も確信を持てない状況になっているのではないでしょうか。
自民党が大喜びをしていることは言うまでもありません。自民党にとってみれば、万年野党にもなりかねない危機的情勢の中、あえて方針転換までして支持を決定してくれたのですから、たかがいさんは地獄で会った仏さまにも見えていることでしょう。
おそらく自民党はたかがいさんを最重点候補として厚遇するに違いありません。現時点では少なくとも幹部はその意向のようです。そうなれば、看護界の票だけでなく、幅広い支持を得ることも期待できるかもしれませんから、看護界にとっては悪い話ではありません。しかし、それはあくまで当選できた時にこそ言える話であって、万が一そうでなければ、失うものの方がはるかに大きくなってしまうでしょう。
「連盟は未だに55年体制の発想から抜け切れてないんじゃないの?」今回の事態を受けて私の友人のドクターは言いました。まさにそのとおりだと私も思います。今、政治の世界はただ単に政権が自民党から民主党に移ったというだけでなく、構造そのものが変質したと見るべきです。
55年体制というのは、自民党がずっと政権党にいた時代です。細川連立政権誕生の時には自民党は一時、政権の座を追われましたが、自社さ連立という秘策を使ってあまりにも早く政権復帰を果たしたために、基本的な政治の構造そのものは全く変わらないままに続いていました。
今回の政権交代によって55年体制が終わったというのは、民主党が自民党にとって代わったということではなく、政権交代可能な「本格的な二大政党制の時代」に入ったということです。今の自民党はあまりの敗北に打ちひしがれてすっかり意気消沈していますが、今回民主党で起きたようなことが近い将来、起きないとも限りません。
国民も今回の選挙で民主党に300を超える議席を与えたのは、民主党の巨大政権を望んだのではなく、長期政権でたるみが出た自民党にお灸をすえたいという気持ちとともに、一度、民主党にやらせてみたらどうなるかを見てみたいというところだったでしょう。
92年の東京佐川急便事件に端を発した政治改革論議の盛り上がりで自民党が分裂して以来、政治は激動を続けてきましたが、私にはそれから起きたさまざまな政界の激動は今回の政権交代において、ひとつのゴールを迎えたと見ています。歴史というのは、本来は時間は全部つながっているにも関わらず、ある時点をもって線引きをするものです。
後世の歴史家は2009年夏の政権交代を持って、それまでを「平成政局激動の時代」とひとくくりにするのではないでしょうか。そして、1955年、保守合同によって自民党が誕生してからのいわゆる55年体制がこの政局激動の時代を経て終焉を迎え、「本格的な二大政党制の時代」に入ったと記するのではないかと私は思います。
そうであるならば、日本の看護師の職能団体が一方の政党だけに寄りかかるというのは、決して正しい選択とは思えません。いつ、政権が交代してもいいように、いずれにも太いパイプを持っておくことが必要ではないでしょうか。
そもそも「本格的な二大政党制の時代」になれば、二つの大きな政党の政策の違いは極端に大きくはならないはずです。政権が交代するたびに国家の基本政策がいちいち全面的に変わるようでは、国家としての安定性は揺らいでしまいます。もちろん、政策の違いがあるからこそ、二つの政党が対峙している意味はあるわけですが、どこまで同じでどこが違うのがいいのか、それが見えてくるにはある程度の時間は必要でしょう。
アメリカの政治を見ると、よく分かります。共和党と民主党は「違うけど同じ」という絶妙のバランスを保っています。国際情勢も国内情勢も刻々と変化するわけですから、違いを提示することは変化に新しく対応するという意味でとても大事なことです。その変化をカタチにするのが政権交代です。しかし、外交も安全保障も内政の基本方針も継続性は国益にとって重要ですから、変化はより慎重さが求められます。
今、民主党がマニフェストで掲げた内容をいかに修正するかで、四苦八苦しているように見えますが、それこそ「本格的な二大政党制」の生みの苦しみと言えるでしょう。これまでは野党の立場から、耳触りのいい刺激的な言葉でマニフェストを作り、訴えてきました。しかし、政権公約としてのマニフェストで本当に政権交代が起きたのは歴史上、初めての出来事ですから、混乱するのはやむをえません。
「マニフェストにこだわるな」という最近のマスコミ論調もこれまでにはありえなかったものです。公約実現を強く迫るのがマスコミの常道でしたから、「君子豹変してもいい」などという社説はこれまででは考えられませんでした。「変えるのはいいけど、よほど慎重にやってもらわないと困りますよ」というメッセージなのです。
日本の政治がこのように激変しているということを、看護界はもっと意識すべきではないでしょうか? 政権がどっちに転んでも、キチンと看護界のことが分かっている国会議員が政権党の中にいるという方がいいに決まっています。一党支持は一種の賭けみたいなものです。しかも、たとえ賭けに勝ったとしても、それほど大きな儲けがあるわけではないというのがなんとも情けないところです。これまでの看護と政治の関係を振り返ってみるとよく分かるのではないでしょうか?
看護連盟はこれまでずっと自民党に操を立ててきて、これからもそうしようとしているのですから美しい話ではあります。しかし、自民党のある大物議員が言ったこの言葉をしっかりと受け止めるべきだと思います。「看護師は基本的には共産党じゃないの?」
こういう言い方を私はいろいろなところで聞いたことがあります。どうしてそういう言い方が出てくるか、彼はこう続けました。
「看護師は連盟としては自民党支持だなんて言ってるけど、我々、小選挙区で必死で闘っている時に、いっさい助けてもらったこともないし、実に冷たいんだよね」
まさにこれが自民党の代議士の本音です。今の選挙制度の下では、選挙区でよくしてくれる団体こそが有難がられるのです。全国の比例代表候補は単なるシンボルであって、政治的なパワーにはつながりません。つまり、ひとつひとつの選挙区で、看護界に理解を示す候補者を党派を問わず、応援していくのが最も正しい対応の仕方だということです。たかがいさんを確実に国会に送り届けるためにも、看護界がある程度の政治的影響力を持つためにも、今の政治状況に合わせた発想の転換が求められていると私は思います。