第38回 神奈川県の「健康団地」
神奈川県の「健康団地」
― 在宅医療にあたっては訪問看護師が足りないなどの問題も指摘されています。
黒岩:在宅医療に関してはさらに推進していかなくてはいけません。神奈川県は補正予算でも在宅医療を支援するための予算をつけたところです。高齢社会が進展していく中では、皆が病院にかかるわけにはいきませんし、むしろ在宅で面倒をみてさしあげた方がその人にとっていいことが多いです。そのための訪問看護師が必要なのですね。
― 神奈川県ではどのような取り組みを始められたのですか。
黒岩:神奈川県の課題の一つに団地住民の高齢化の進展が非常に早いことが挙げられます。高齢化が進むと同時に独居率も増加していますし、団地そのものの老朽化も問題です。団地に住む方々が皆、施設に入っていただくとなると、施設が足りないですし、施設を作ったとしても、そこで働くマンパワーも足りません。そこで、健康団地という概念を打ち出しました。医師や看護師などの医療スタッフが団地内をくるくると回っていくことで、訪問診療や訪問看護が可能になります。団地の建て替えにあたっても、健康団地というコンセプトを念頭に置いて建て替え、拠点を作ります。その中で訪問看護師を育てていくのです。
― 健康団地が看護教育の現場になるのですね。
黒岩:医療の場で患者さんに会う時はあくまで患者さんとしての顔しか見えません。しかし、看護師は生身の人間とその生活の場で接することも大事です。なぜ、この人がこういう病気や状況になっているのか。在宅の現場で暮らし方、環境、食生活、衛生状態、家族間の関係、近所との付き合い方などを見ることは参考になります。そのような融合された様々なものが要因となって、その人の具合の悪さに反映されていることはよくあります。そこから看るのが大事です。ベテラン看護師が訪問看護師になるだけではなく、看護教育の場でそういった視点を養成することが必要です。どうやって人間と話をするのかという問題は看護学というよりも人間学ですね。人間にどう向き合って、相手の気持ちに寄り添うことができるのか、どういう話し方が良いのかというトレーニングを現場でしっかり行うことが必要でしょう。
新しい看護教育を
― 座学だけの看護教育では在宅医療に対応できないということでしょうか。
黒岩:板書されたことをメモしていくだけの、昔ながらの「お勉強」では実践には対応できません。人間との接し方を学ぶことが大切です。認知症の方も増えています。私も認知症サポーター養成講座を受講し、認知症サポーターの資格を取得しました。認知症ケアは「こういう原因でこういう症状が起きる」ですとか、「そのときのご本人の心の中はこうだ」といったことをある程度、学習したうえでそれを実践するということです。頭では分かっていても、先に実践ありきでないと、いい看護はできません。かつて精神病棟に取材に行ったことがあります。今の精神病棟はかなり開かれたものになっていますが、当時はまだ閉鎖病棟が多かったのです。私が入っていくと、患者さんたちがわーっと寄ってきて、追いかけていらっしゃるんですね。私はどう接していいのか分からず、大変な困難を覚えました。ところが、案内してくれたベテラン看護師は実に見事に対応していたんですよ。こういう経験を学生時代からすることが必要ですね。難しいですが、現場で対処法を覚えてほしいです。
― 心の時代だと言われているように、心の病も多くなっています。
黒岩:現代において、心の病は非常に重大な問題です。我々が提唱している「未病」でも、心の未病もあります。現在、神奈川県では最先端の機械を使って、心の未病のケアに取り組もうとしています。この機械は人の声から、怒り、悲しみ、喜び、平常、興奮などの感情状態を分析するもので、東京大学の先生方が開発されました。この企業を神奈川県に誘致し、国家戦略特区の中で未病産業として支援しています。しかし、看護師は患者さんと話をする中で、その人の表情や声のトーンなどを体感し、心の未病を理解できる感性を磨くべきです。
― 感性を育てるのは難しいことですね。
黒岩:感性とともに言葉遣いの問題もあります。私は医療者の言葉遣いがとても気になります。診療の質や内容と言葉遣いがリンクされることはありませんが、患者の立場からすれば医療関係者の言葉は重いものです。私自身も患者の家族として経験したことですが、怒鳴り飛ばしてやりたいぐらいの酷い言葉遣いをする医師がいました。患者にどう向き合うのかという根本が分かっていないですし、そういったことを教える医学教育もなかったんでしょうね。座学の中で「医学」を学んではいても、人間を相手にした「医療」の教育がないんです。本来は「医療」の教育を優先すべきで、「医学」教育は研究者志望の人が受けるべきでしょう。人間の世界に出てくる以上は生身の人間にどう触れ合うかを学ばなくてはいけないですね。
― 看護師も同様でしょうか。
黒岩:看護師の言葉遣いも気になりますね。妙に馴れ馴れしい話し方をする看護師がいます。高齢の方に対して、「○○ちゃん」と呼んだり、「お風呂入る?」、「ご飯食べる?」、「○○だね」というような話し方ですね。私自身は目上の人や高齢の方に対して、そのような言い方をしたことは一度もありません。そういう話し方で親しみを込めているのかもしれませんが、おかしいと思います。そういう話し方でなくても親しみを込める方法はいくらでもあります。そういう話し方をされた相手がどういう思いでいるのか、中には肩身が狭い思いをされている人もいらっしゃるのではないかと思います。
― 看護教育も見直す必要がありますね。
黒岩:看護教員が看護師出身者だけではいけませんね。もちろん、現場で実践を重ねてきた素晴らしい看護師もいらっしゃるし、そういう人に教えを受けるのは大事ですが、ずっと看護教員だけをしてきた教員のみによる教育は良くないです。看護教員をずっとしていると、生身の患者さんにどう対応するかといった経験やノウハウに乏しくなります。人と接する仕事に就いている方から学ぶことに意味があるのです。お店には接客のプロがいますし、客室乗務員やホテルの社員は接遇のプロです。そういった幅広い分野からの教員を迎え、看護教育のあり方を模索すべきだと思います。
― このところ、看護学校や看護学部の新設が増えています。
黒岩:神奈川県は准看護師の養成を停止しました。当初は、准看護師の養成を停止したら看護師不足に拍車がかかり、深刻な問題になると反対する人たちもいましたが、私は逆だと言い続けてきました。結果は見事に逆になりました。准看護師の養成を停止したことによって、神奈川県では働いている看護師の数が激増したのです。2年間で5000人を超える看護師が増えました。一方で、数の不足を補わないといけないということを色々なところに働きかけましたら、看護学校が新設されつつあります。大学に看護学部を新設するところも増えましたし、教育機関そのものが増加しているんですね。そのため、看護師養成数がもうすぐ年間800人ほど増えます。看護師の増加数は全国一なんですよ。それでも、神奈川県は人口が多いですから、人口一人あたりの看護師数はようやく全国最下位を脱出したところです。また、潜在看護師の職場復帰へのサポートにも力を入れています。
昭和55年 3月 早稲田大学政経学部卒業
昭和55年 4月 (株)フジテレビジョン入社
平成21年 9月 同退社
平成21年10月 国際医療福祉大学大学院教授
平成23年 3月 同退職
平成23年 4月 神奈川県知事に就任
フジテレビジョンでは3年間の営業部勤務を経て報道記者となり、政治部、社会部、さらに番組ディレクターを経て、昭和63年から「FNNスーパータイム」キャスターに就任する。その後、日曜朝の「報道2001」キャスターを5年間、務めた後、平成9年4月よりワシントンに駐在する。
平成11年から再び「(新)報道2001」キャスターに復帰する。自ら企画、取材、編集まで手がけた救急医療キャンペーン(平成元年~平成3年)が救急救命士誕生に結びつき、第16回放送文化基金賞、平成2年度民間放送連盟賞を受賞する。
その他、人気ドキュメンタリーシリーズの「感動の看護婦最前線」、「奇跡の生還者」のプロデュースキャスターを務める。「感動の看護婦最前線」も平成5年度と14年度の2度にわたって民間放送連盟賞を受賞する。さらに、日野原重明氏原案のミュージカル「葉っぱのフレディ」のプロデュースも手がける。
平成21年9月、キャスター生活21年半、「(新)報道2001」15年あまりの歴史に幕を閉じ、フジテレビジョンを退社する。国際医療福祉大学大学院教授に転身するが、神奈川県知事選立候補のため、辞職する。
平成23年4月23日に正式に神奈川県知事に就任し、「いのち輝くマグネット神奈川」の実現に向けて全力で取り組んでいる。