第19回 「いのち」をテーマに
「いのち」をテーマに
黒岩:こんにちは。ようこそ、いらっしゃいました。
小池:13年ぶりにお目にかかります。久常節子さんが慶應義塾大学教授だった時代に私は同じ領域の講師だったんですよ。久常さんに頼まれて、フジテレビにいらした知事のところに「感動の看護婦最前線」番組のVTRをいただきに伺ったことがあります。
黒岩:そんなことがありましたね。小池先生はその後もずっと慶應にいらっしゃるんですね。神奈川県が健康長寿日本一を目指すにあたって、久常さんには保健師活動のモデル事業などでお世話になっています。
小池:今日は知事から神奈川県の色々な医療や健康の取り組みについて伺うのを楽しみにしています。プロジェクトやキャッチフレーズのネーミングが面白いですよね。「いのち輝くマグネット神奈川」ですとか、「いのち全開宣言」ですとか、知事がお考えになるんですか。
黒岩:そうです。全部、私が考えたんですよ。「いのち全開宣言」は最初、「いのち爆発宣言」にしたんです(笑)。エネルギーを爆発させるという感じでいいでしょう。でも、神奈川県には京浜臨海部に工業地帯がありますから、爆発は良くないと言われ、「全開」に変えました。
小池:平仮名の「いのち」もいいですね。
黒岩:私はずっと平仮名の「いのち」にこだわってきたんです。漢字の「命」は天命、使命、命令など、硬いイメージになってしまい、違和感があるんですね。平仮名の「いのち」は支える、守るなどという優しい印象になります。「いのち」がテーマである現在の神奈川県での取り組みはジャーナリスト時代に看護師の取材をずっとしてきたことから繋がっているんですね。
小池:現在、医療系の大学では、多職種連携教育がおこなわれるようになってきています。私どもの慶應義塾大学でも医学部、看護医療学部、薬学部での連携教育を実施しており、1年生の時には三学部全員が講話を聞き、ディスカッションする機会があります。ここ2年は芥川賞作家の玄侑宗久さんに講話をお願いしているのですが、玄侑さんも「いのち」をテーマにしたお話をなさるんです。
黒岩:玄侑さんはご住職でもいらっしゃいますよね。
小池:福島県田村郡三春町の福聚寺のご住職です。玄侑さんは「相補性」というキーワードをチームとして活動するにあたって、お互いの役割を補完しあうことが重要だとおっしゃっています。東方には薬師如来がいて、薬を授けます。これは病気を治す医学なんですね。一方で、西方には阿弥陀如来が西方浄土へ行くために見守っていますから、ターミナルケアなんです。治すこととケア、癒すことが必要なんですね。宗教は治す力と癒す力の両方を持っていますが、同様に多職種連携においてもお互いの見方や役割を補完し合うことに意義があるといえるでしょう。
チームの気を高める
黒岩:私は毎日書道展に参加しています。毎日書道展は皆が見ている前で大きな字を書くんですよ。去年は「いのち」と書きました。今、知事室に飾っていますよ(笑)。今年は「氣」という字を選んだんです。「氣」の中には「米」が入っています。米が中に入っているということは食べることが氣を支えているということです。神奈川県で言っている「いのち輝く」とは氣を高めることなんですね。病の気と書くと病気ですし、病の気を元に戻すと元気になります。
小池:気を高めることが重要なんですね。
黒岩:多職種連携もそうですよね。色々な専門職があって、それぞれの角度からアプローチして、皆で気を高めていきましょうということではありませんか。
小池:そうです。ひとつの専門職だとひとつの見方になりますが、別の専門職が関わることで、様々な見方が可能になります。そうすれば、患者さんの持っている力や気をどう高めていけばいいのかというアプローチの多様性が広がっていくんですね。
黒岩:医療者の言葉は大切です。言葉一つによって、患者さんの気が高まったり、逆に絶望の淵に落ちたり、意欲を失ってしまうこともあります。専門職としてのアプローチも大事ですが、皆が使っている言葉や醸し出す雰囲気や表情、チーム全体の気を高めていかなくてはいけないと思います。
小池:チームの中でそういう空間を作り上げていかなくてはいけませんね。
黒岩:サイエンスからのアプローチは専門性を向上させてきましたが、「気」が置き去りにされてきました。西洋医学では「気」とは言わないでしょう。
小池:言わないですね。
黒岩:東洋医学は気血水と言いますし、まず「気」から入りますからね。気が高まって元気になるという実感が我々にはあります。先程、阿弥陀如来のお話がありましたが、医療現場は患者さんを何とか死なないようにしますが、いのちを繋いでいくことも必要だと思うんです。
小池:彼方の安らかな死に向けてケアするということですね。
黒岩:元気なときの溜まる気から亡くなる前の静かな気へと、気は高めればいいのではなく、場合によっては鎮める気も大事です。
小池:その気の高さがどこにあるかを気づける力が重要なんですね。チームで一緒に働く人たちも気を作りあっています。チームワークですとか、目標や価値観を共有しようという言い方をよくしますが、一言で言ったら、患者さんのために、目標に向かって、お互いに持っている気を高めようということでしょうか。こんなに簡単に説明できるなんて、今日の発見です(笑)。
黒岩:サッカーのコンフェデレーションズカップの日本とイタリアの対戦を見ていたのですが、試合の中で気が上がったり、下がったりするんですね。皆の気の出し方によって、刻々と変化します。イタリア戦では前半は圧倒的に日本が押していました。でも、ふと気を抜いた瞬間にイタリアに決められてしまったんです。優秀な選手ばかりですが、チームワークだけではなくて、チームとしての気があるのだと思いました。
小池:チームで気を高め合う教育が大切です。多職種連携教育という言葉がない時代にもチーム医療はありましたし、何十年も前から色々な職種の人が一緒に活動してきました。そこで、本当に気を高め合っていたかというと、かならずしもそうではありません。医療事故の背景にはコミュニケーション不足や行き過ぎたリーダーシップの存在がありました。権威勾配が急で、過剰な権威主義の中で働くと、医療事故が多くなるといわれています。
いのちに向き合うチーム医療を
小池:言葉が大切というお話を知事から伺いましたが、医療職の間で、また医療職と介護職の間で、同じ言葉を遣っているのだけれども、受け止め方が違うということがあります。理解が違うことで情報が繋がらなくなったり、その結果として、例えば虐待が防げないということが起こったりと、さまざまな問題が生じています。チーム医療を何十年もやってきたと言いながら、チームとしての実態はあったのかという反省があるんですね。そこで、10年程前から、人の健康のために働くという共通の目的があるのであれば、すべての職種が一緒に学んでいこうということになりました。
黒岩:私は知事になる前は国際医療福祉大学の大学院の教授をしていました。国際医療福祉大学はコメディカルの多職種連携教育を行っており、チーム医療の実践を教育の場からやっていこうとしていました。介護職に就こうとする人、看護師を目指す人、薬剤師になりたい人を一緒に学ばせているシステムは正しいと思いますね。
小池:学ぶことは気を高めることと同じです。目標は何か、共有する価値は何か、それは、いのちを大切にするとか、QOLを高めるといったことですが、協働することで医療サービスの質を改善したり、ケアの効果を高めることを目指します。これは、お互いにコミュニケーションをきちんと取らないとできないことです。お互いを知り、お互いに学びあい尊敬という気持ちがないと、難しいんですね。働く場に一緒にいたらチームになるだろうというのではなく、チームになるための教育が必要です。多職種連携教育は少しずつ定着してきましたが、とても面白いですよ。
黒岩:看護と介護のシンポジウムで体験したことなのですが、看護師が看護と介護を峻別して話していたことが気になりました。その思いが分からないわけではありませんが、「患者さんや受ける側から言えば、峻別することよりも、それぞれの専門性を高めていく方がいいのでは」と言うと、ものすごく反発されたのです。「黒岩さんともあろう方が看護と介護の違いも分からないなんて驚いた」と言われました。入浴させるときも、看護職と介護職では違うと言われましたが、その裏側には介護職への差別意識があると感じたんです。看護職が入浴させるときは全身管理をしているけど、介護職は洗っているだけだというニュアンスを感じて、嫌な思いをしました。垣根ができてしまっているんですね。
小池:垣根があるとすると、それは良くないですね。
黒岩:私は長年、看護学生の弁論大会にも関わってきたのですが、介護保険制度の導入前に「介護を考える」というテーマで募集したのです。ところが、応募者がほとんどいなかったんですね。なぜだろうと尋ねると、看護学生は「介護は私たちの仕事ではない」と言うんです。一つの専門職として敷居を作ってしまい、自分たちだけにしか通用しない言葉を使うのは良くないですよ。いのちに向き合うことが大事であって、そこで看護や介護を学んできたからこそのアプローチが自然に出るのは分かりますが、最初から区別をする態度はチーム医療を阻んでいます。
小池:法的な意味合いでの区分けは必要ですが、ひとつの専門性に立つだけで仕事が完遂できたり、問題解決ができる時代ではありません。超高齢社会の中で起こってくる様々な問題に向き合い、様々なアイディアを出していくためには、多様な見方で補い合うことが大事です。看護職、介護職がそれぞれの方向で見ることで、患者さんの全体象や社会の問題が浮かび上がってきます。お互いの力を使いながら、最終的に患者さんが良くなって幸せになり、QOLが高まって社会の中でそれこそ「いのち輝く」生活ができればいいのです。その目的に向かって、チームとして誰のどんな力を使い協働していくのかというディスカッションを重ねていきたいものです。
ラオスでの多職種連携教育
小池:慶應では医学部、看護医療学部、薬学部合同の海外研修プログラムを行っています。ラオスをフィールドに、医療保健チームとしてプライマリヘルスケア活動に参加して、国際保健を舞台としたチームアプローチを体験的に学ぶものです。プログラムの中で、地方の経済的には貧しいいのですが、精霊信仰のある文化が豊かな村にホームステイしています。乳幼児や妊産婦死亡率が高いなど深刻な健康問題があるため、自分たちがどんなふうに保健教育ができるのかということを考えながら村に入るわけですが、村の人々と生活を共にしていると、むしろ学ばされることの方が多いですね。医療を提供する制度やシステムが整っていないのですが、その不足をコミュニティのきずなや温かさで補っていることに学生たちが気づきます。そこで、何が幸せなのか、村の人々のちからを活かす方法はなにかということをお互いに考えるんですね。看護医療学部の学生は子どもたちの栄養状態や、遊びをとおして、言葉の発し方や活動の状態、ベッドの高さや新鮮な空気の流れなどに目が行きますし、薬学部の学生は薬草をどう使うのかというアプローチを考えたり、医学部の学生は健康状態や血圧の測り方などを考えます。同じ村の中で活動していても、見るポイントやアプローチが違うのですが、それを統合して、村の人たちのいのちを輝かせる方法を考えていくんです。
黒岩:いのちに向き合う原点ですね。
小池:医療資源が少ない村で、健康問題をすこしでもよくするためには、どこに、着目すべきかを考えていきます。ないものや不足しているものだけに注目するのではなく、いま村にあるシステムや強みをみつけて活かす方法を探るわけです。ラオスには皆で支え合う豊かなコミュニティがあります。自殺者もほとんど出ない社会なのです。そこで、学生たちは健康とはなにか、健康をはぐくむ社会というのはどういうものなのか、ということに考えをめぐらせるわけです。日本は経済的には恵まれ生活水準も高いのに、年間3万人も自殺するのはなぜかとラオスで問いかけられるんですね。「いのちを輝かせる」とはどんなことなのかをラオスの皆さまから学ばせていただいています。
昭和55年 3月 早稲田大学政経学部卒業
昭和55年 4月 (株)フジテレビジョン入社
平成21年 9月 同退社
平成21年10月 国際医療福祉大学大学院教授
平成23年 3月 同退職
平成23年 4月 神奈川県知事に就任
フジテレビジョンでは3年間の営業部勤務を経て報道記者となり、政治部、社会部、さらに番組ディレクターを経て、昭和63年から「FNNスーパータイム」キャスターに就任する。その後、日曜朝の「報道2001」キャスターを5年間、務めた後、平成9年4月よりワシントンに駐在する。
平成11年から再び「(新)報道2001」キャスターに復帰する。自ら企画、取材、編集まで手がけた救急医療キャンペーン(平成元年~平成3年)が救急救命士誕生に結びつき、第16回放送文化基金賞、平成2年度民間放送連盟賞を受賞する。
その他、人気ドキュメンタリーシリーズの「感動の看護婦最前線」、「奇跡の生還者」のプロデュースキャスターを務める。「感動の看護婦最前線」も平成5年度と14年度の2度にわたって民間放送連盟賞を受賞する。さらに、日野原重明氏原案のミュージカル「葉っぱのフレディ」のプロデュースも手がける。
平成21年9月、キャスター生活21年半、「(新)報道2001」15年あまりの歴史に幕を閉じ、フジテレビジョンを退社する。国際医療福祉大学大学院教授に転身するが、神奈川県知事選立候補のため、辞職する。
平成23年4月23日に正式に神奈川県知事に就任し、「いのち輝くマグネット神奈川」の実現に向けて全力で取り組んでいる。
1960年に岩手県釜石市に生まれる。
1982年に慶應義塾大学医学部附属女子厚生学院を卒業後、慶應義塾大学病院に入職する。
以後13年間、臨床や現任教育に従事する。
2001年に東京医科歯科大学大学院保健衛生学研究科博士課程を修了する。
2001年に慶應義塾大学看護医療学部に講師として勤務する。
2007年に慶應義塾大学看護医療学部・大学院健康マネジメント研究科准教授に就任する。
その他役職等
慶應義塾大学病院看護部キャリア開発センター副所長
日本看護管理学会理事、日本在宅看護学会理事、
神奈川県看護協会・東京都看護協会等の認定看護管理者教育課程「ファーストレ
ベル」、「セカンドレベル」講師、
千葉大学認定看護師教育課程(乳がん看護)講師 など