第10回 黒岩知事が日本看護連盟に期待すること
黒岩:お久しぶりです。ますますお元気そうですね。
清水:ご無沙汰しています。黒岩知事とはジャーナリストでいらした頃からのお付き合いですね。出会いは、黒岩知事に『ナースたちの朝(あした)』というご本の中で、ぼろぼろに書かれたことからですね(笑)。
黒岩:そんなことがありましたか(笑)。
清水:看護の代表なのに准看廃止に冷たいというご指摘だったのですが、あの頃は私も看護行政に携わった直後だったので、すぐできる状況ではないと分かっていたのです。でも、あの頃から黒岩知事が頑張ってきてくださったお蔭で、看護師を巡る環境は随分と良くなってきたと感謝しています。
黒岩:知事に就任して1年4カ月が経ちました。私がジャーナリストとして大切にしてきたキーワードが「いのち」です。「マグネットホスピタル」という言葉がありますが、神奈川県が人をひきつけ、「いのち輝く」県であるように、「マグネット神奈川」を実現させたいと思っています。医療の問題についても、ほかの都道府県をリードするような最先端の県であるべく、医療のグランドデザイン策定に取り組んできました。そこで浮かび上がったのが看護師の問題です。神奈川県は人口当たりの看護職員数が全国で一番低いのですが、この問題を克服するために看護教育に焦点を当てたのです。1割の新人看護師が現場でリアリティショックを起こし、1年も経たないうちに辞めていく状況はおかしいです。リアリティショックを起こさせるような教育に問題があるのではないかということで、「神奈川県における看護教育のあり方検討会」を発足させ、今も検討中です。そこで最初に議題に挙がったのが准看護師養成問題で、准看護師養成を停止すべきであるという中間報告をいただきました。
― 黒岩知事が長く関わっていらしたテーマの一つですね。
黒岩:1996年に出された准看護婦問題検討調査会の報告書で、21世紀初頭には統合と出ていましたから、あの時点ですぐやるべきだったのに、すぐにはできませんでした。私自身の思いもありましたが、検討会の中でもそういう結論が出たことを受けて、神奈川県独自で准看護師養成停止をやっていこうと進めているところです。しかし、案の定、医師会が反対だと言ってきました。1996年も医師会のメンバーが入っていた検討調査会で停止と決めたのにも関わらず、医師会が後から反対したのと同じ構図が今回の神奈川県でも起きてしまいました。この際、看護連盟の皆さんには我々が長年やってきたテーマを全国運動として、准看護師養成を停止しようといううねりを起こしてほしいですね。
清水:黒岩知事が看護師の応援団として活躍してくださっていることに感謝申し上げます。特に、准看護師問題に関しては必死に取り組んでくださっており、神奈川県で最初に取り上げて、方向性を出されました。報告書も拝見しましたが、着々と進めていらっしゃいますね。神奈川県がモデルとして進めてくだされば、ついてくる都道府県もあるでしょう。
日本看護連盟が黒岩知事に期待すること
清水:准看護師問題だけではなくて、ほかの問題も期待しています。昔と違って、看護教育の中味が充実してきて、看護師の実力がつき、制度も変わってきました。しかし、それにも関わらず、臨床の場で看護師の実力がまだきちんとした評価がされていないのが問題です。臨床の中で看護師がうまく使われていないのは勿体ないですね。神奈川県では看護師の量の問題のみならず、質の問題にも取り組んでいただきたいです。看護師は様々な仕事を責任を持ってやっています。でも例えば、日本の病院の院長は医師でなければなれないことになっていますが、ほかの国では看護師が院長になって良い仕事をしている例がたくさんあります。日本は今、神奈川県も含めやっと副院長になる看護師が出てきたところですが、神奈川県の県立病院にはまだいませんね。適任者はいますし、いい看護師も育ってきていますので、神奈川県もさらに頑張ってやっていただきたいです。それを受けて、看護連盟もやっていきます。
黒岩:そもそも、「いのち輝く」という視点で考えたときに、看護師の役割は非常に大きいんですね。病気を治すのではなく、いのちを輝かせるという話です。病気になって、病院に行き、「ここが悪いですよ」と診断され、手術したり、治療したという流れの中で、患者さんと充実した信頼関係を作ることは当然、大事なことですが、看護師の仕事は患者さんの生活の現場にもあります。退院しても、そういう流れを大事にしたいですね。
清水:治る病気ばかりではありませんからね。むしろ、病気を持ちながら生活することが多くなっています。そういう意味では在宅で、看護師がもっとしっかり働かないといけませんが、日本はそこが遅れています。
黒岩:神奈川県は現在、県民の平均年齢が全国で3番目に若い県なのです。ところが、これから超高齢化の波が神奈川県に押し寄せてきます。高齢者になれば病気になり、介護が必要になりますので、今の医療体制のままでは通用しないですね。医療費がどこまで伸びていくのか分からないですし、そのための労働力がどれだけ必要になるのか分かりません。そのためには、病気にならない人を増やしていく、予防に力を入れる必要があります。私は予防だけではなく、東洋医学的な言葉ですが、未病という病気の直前の状態から治していくこと、あるいは医食農同源の大切さを訴えています。食のあり方、生活のあり方から考えて、病気にならないようにしていくのです。これは看護師の仕事で言えば、保健師活動的なものですね。こういったものを全面的に展開し、きめ細かくやっていくことによって、医療対策を進めていきたいです。
清水:生活習慣病になってからでは遅いですものね。家庭ではお母さんにしっかりと健康問題に関心を持ってほしいですし、学校や事業所での健康への取り組みも大切ですね。地域や学校、事業所には保健師が働いていますので保健師をもっと活躍させてやらないといけないんですが、旧厚生省は成人になってからのこと、旧労働省は事業所のこと、文部科学省は学校のことといったように、行政の区分が分かれてしまっています。しかし、それらは一体的に考えられるべきだし、その共通点に看護職がいますので、もっと活用してほしいですね。
業務の独立性を
黒岩:看護師は現場に出ないといけません。地域そのものを「面」で捉える機会を作らないといけないんです。そういったところでは医師がこなしきれない業務もありますので、看護師に期待したいですね。そして、そこまで広げるのであれば、業務の独立性をもっと進めていくべきです。
清水:おっしゃる通りです。
黒岩:何でも医師の指示のもとに動かないといけないというのは曖昧な概念なんですよ。
清水:独立性を阻んでいるところはありますね。実際問題として、訪問看護の現場では看護師が色々な仕事をしています。そうしないと、業務が進まないからです。もっと看護師に多くの判断をさせていけば、業務はより進むでしょう。
黒岩:看護の専門性を高めた高度な看護師も誕生しています。私が看護師の問題に関わるようになったのは1991年ですから20年経ったわけですが、そこは大きく様変わりしましたね。准看護師問題に関わるきっかけは准看護師からの「准看護師問題を何とかしてください」という手紙でした。何だろう、何でこんな制度があるんだろうと思ったところから始まりましたから、この問題が原点なんです。一方で、その当時から准看護師問題とは対極の話として、専門性を高めていくという視点があり、看護師のあり方を模索しようとしていたのです。そこで、番組の取材でアメリカに行き、ナースプラクティショナーを取材して、驚きました。日本では医師がやっている仕事をナースプラクティショナーがやっているんです。患者さんが病院に行ったときに、いきなり診断するのは医師ではなく、ナースプラクティショナーなんですね。しかも診療科ごとにナースプラクティショナーがいて、そこで大体のことが終わってしまいます。ここは医師に相談した方がいいなというときには後ろに控えている医師に渡します。
― そこまで専門性を高めているんですね。
黒岩:手術室も見ましたが、麻酔専門のナースプラクティショナーもいました。日本では麻酔科専門医のするような全身麻酔を見事に鮮やかな技でかけていました。准看護師問題は払拭すべき問題ですが、看護師の可能性をもっと広げていくことも考えていかなくてはいけません。もっと優秀な人が出てくるはずですしね。あの当時、番組の中で最初に紹介したのは当時あった、ストーマケア専門のETナースでした。日本でも専門看護師、認定看護師が出てきましたが、そういう現場を見ると、今の日本の看護師はすごいですね。
清水:そういうふうに変わってきたのは日本の看護教育が変わってきたからです。もともと、日本の看護師は医師が養成所を造って、医師が教育している職種だったのですね。病院が自院のスタッフを作るために学校を造っていたんです。看護師は医療費で養成されていたんですね。そこから抜け出せないところがまだ尾を引いていて、そこが大変なんです。最近はやっと独立してきました。大学も増えて、看護学校の校長職に看護師が就くなど、教育環境は随分と変わってきました。仕事の中身もかなり高度な技術や知識を求められるものから日常生活に密着した広範な看護の部分と広がってきていますから、ますます看護教育の充実が必要になりますね。
昭和55年 3月 早稲田大学政経学部卒業
昭和55年 4月 (株)フジテレビジョン入社
平成21年 9月 同退社
平成21年10月 国際医療福祉大学大学院教授
平成23年 3月 同退職
平成23年 4月 神奈川県知事に就任
フジテレビジョンでは3年間の営業部勤務を経て報道記者となり、政治部、社会部、さらに番組ディレクターを経て、昭和63年から「FNNスーパータイム」キャスターに就任する。その後、日曜朝の「報道2001」キャスターを5年間、務めた後、平成9年4月よりワシントンに駐在する。
平成11年から再び「(新)報道2001」キャスターに復帰する。自ら企画、取材、編集まで手がけた救急医療キャンペーン(平成元年~平成3年)が救急救命士誕生に結びつき、第16回放送文化基金賞、平成2年度民間放送連盟賞を受賞する。
その他、人気ドキュメンタリーシリーズの「感動の看護婦最前線」、「奇跡の生還者」のプロデュースキャスターを務める。「感動の看護婦最前線」も平成5年度と14年度の2度にわたって民間放送連盟賞を受賞する。さらに、日野原重明氏原案のミュージカル「葉っぱのフレディ」のプロデュースも手がける。
平成21年9月、キャスター生活21年半、「(新)報道2001」15年あまりの歴史に幕を閉じ、フジテレビジョンを退社する。国際医療福祉大学大学院教授に転身するが、神奈川県知事選立候補のため、辞職する。
平成23年4月23日に正式に神奈川県知事に就任し、「いのち輝くマグネット神奈川」の実現に向けて全力で取り組んでいる。
1935年に東京都に生まれる。1958年に東京大学医学部衛生看護学科を卒業後、関東逓信病院に保健師、看護師長として10年間、勤務する。その後、東京大学医学部保健学科助手を経て、厚生省(現 厚生労働省)看護課で、保健婦係長、課長補佐、課長として15年間、看護行政に取り組む。1989年の参議院議員選挙に自民党公認で比例代表区から出馬し、初当選し、看護をはじめ医療保健・福祉、環境問題などに関わる。その後、2期連続当選を重ねる。この間、労働政務次官、文教委員長、環境庁長官、少子高齢社会に関する調査会長を務める。2007年に政界を引退する。2008年4月に日本訪問看護振興財団理事長に、2009年5月に国際看護交流協会理事長に就任を経て、2009年6月に日本看護連盟会長に就任する。