第33回 助産師を取り巻く課題
助産師を取り巻く課題
黒岩:助産師を取り巻く課題にはどんなものがありますか。
島田:やはり教育でしょうか。助産師になるためのルートとして、4年制の中に組み込まれた課程もあれば、大学の専攻科や大学院もあります。大学院にしても、旧来の大学院と専門職大学院がありますしね。しかしながら「助産師になりたいのですが、どういうルートでなるのが良いでしょうか」と問われても、家庭の経済状況もありますから、4年制大学を出たあとに2年間の大学院というコースを強制できません。
黒岩:資格を取ることに加えて、修士も取得しないといけないとなると、大学院教育も難しいですよね。
島田:大学院では必ず論文を書かなくてはいけませんから、2年間のうちの1年間は論文に集中する必要があります。そうすると、大学院修了であっても現場で即戦力として動ける助産師として現場にでられるかというと、そうではない場合も多いと聞いています。日本特有の大学院教育の壁に当たっているところです。
黒岩:専門職大学院の方はいかがですか。
島田:助産師の知識・技術を2年かけて学べる点で理想的と言えますが、こちらは教員の数を確保することが大変な状況です。今後、どういった方向性で助産師を教育するのが一番いいのか、議論しているところです。
黒岩:教育のほかに、課題はありますか。
島田:助産所の存続やハイリスク分娩の増加ですね。助産師がどのように職能を高め、どのように力を発揮していくのか、施設の安全がハイリスク分娩に耐えられるのかなど、様々な課題が増えています。
黒岩:助産師は分娩実習をしないと資格が取れないそうですね。何例の分娩が必要なのですか。
島田:分娩回数は10例程度です。また、継続事例と言って、一人の妊婦さんを受け持ち、妊娠期から産褥期、産後までの経過を看て、継続的にケアをする実習もあります。
黒岩:今は分娩自体が減っています。そうすると、学生が実習で分娩を経験する回数も減っているわけですから、その確保が大変なんでしょうね。
島田:そうなんです。私どもの助産学生は10人ですが、1年間で多くの勉強を学内で行い、実習に行きますから、10人のみの教育というのは非効率です。経営面ですとか、助産師をさらに増やしていく取り組みの面からしますと、20人から30人は欲しいですね。しかしながら、分娩介助の回数を考えますと、それを受け入れてくれる医療施設がありません。東京では看護学校の中で分娩施設の争奪戦が起きています。神奈川県では助産師会に実習申請を出しますと、均等に機会をくださったうえで施設を紹介していただいています。
黒岩知事が島田教授に期待すること
黒岩:少子化対策にあたり、我々が看護師に期待するのは「未病を治す」ことです。病気を治すのでは間に合いませんから、未病から治していかないといけません。そこで、神奈川県では「未病を治すかながわ宣言」を策定しました。これを進めるにあたり、2つの理念と3つの取り組みを宣言したのです。3つの取組みは食、運動、社会参加です。この取り組みで、これからの超高齢化社会を乗り切っていきます。その中で助産師の仕事である「自然な分娩」は“医療”ではないですね。助産師は妊婦さんの人間としての身体、健康といった全体を看て、支える専門職ですよね。その専門性は「未病を治す」というアプローチにつながるものだと私は思います。
島田:おっしゃる通りだと思います。
黒岩:私は「いのち」と平仮名で書く「いのち」を大事にしています。いのちが輝くような神奈川県を作りたいのです。看護師の集まりに呼ばれて、講演するときなどに、「いのちに向き合っていますか」と問いかけると、ドキッとされることが少なくありません。看護師は医療の現場で病気や患者さんに向き合っているという意識は強くなるでしょうが、いのちに向き合えているかと言われると一瞬戸惑ってしまうようですね。しかし、未病を治す専門家は医師よりむしろ、看護師の方が向いているのではないでしょうか。助産師の皆さんもご自分たちの職能団体の中での可能性を積極的に広げていただきたいです。
島田教授が黒岩知事に期待すること
島田:妊婦さんに生活についてお聞きすると、食生活にしろ、ほかの生活にしろ、色々な問題を抱えています。生活というものは妊娠してから改善するのでは遅いんですね。一方で、低体重児の出生は増えています。これはほかの国にはなく、日本だけに見られる状態です。昭和50年代の新生児の平均体重と比べますと、今は男女ともに200グラムずつ小さくなっており、3000グラム弱なのです。これは女性の生活の積み重ねの結果です。そこで、助産師による健康教育が必要だと思います。地方自治体の一部では性教育を締め出しているところもありますが、性教育も健康教育の一つです。「将来、こういう仕事に就きたい」というような職業教育には学校の先生方も熱心ですが、健康教育は後回しになってしまっています。「睡眠時間が少なくても、食事をきちんと摂れていなくても、学業成績が良ければ問題視しない」という現状もあります。しかし、女性の将来のキャリアを考えるうえでは、まず健康であることが必要です。女性が小さいときから健康を維持していく知識や力をつけていくために、地域で支える取り組みを考えていただきたいです。
黒岩:そうですね。今日は様々な発見がありました。ありがとうございました。
島田:こちらこそ、ありがとうございました。
昭和55年 3月 早稲田大学政経学部卒業
昭和55年 4月 (株)フジテレビジョン入社
平成21年 9月 同退社
平成21年10月 国際医療福祉大学大学院教授
平成23年 3月 同退職
平成23年 4月 神奈川県知事に就任
フジテレビジョンでは3年間の営業部勤務を経て報道記者となり、政治部、社会部、さらに番組ディレクターを経て、昭和63年から「FNNスーパータイム」キャスターに就任する。その後、日曜朝の「報道2001」キャスターを5年間、務めた後、平成9年4月よりワシントンに駐在する。
平成11年から再び「(新)報道2001」キャスターに復帰する。自ら企画、取材、編集まで手がけた救急医療キャンペーン(平成元年~平成3年)が救急救命士誕生に結びつき、第16回放送文化基金賞、平成2年度民間放送連盟賞を受賞する。
その他、人気ドキュメンタリーシリーズの「感動の看護婦最前線」、「奇跡の生還者」のプロデュースキャスターを務める。「感動の看護婦最前線」も平成5年度と14年度の2度にわたって民間放送連盟賞を受賞する。さらに、日野原重明氏原案のミュージカル「葉っぱのフレディ」のプロデュースも手がける。
平成21年9月、キャスター生活21年半、「(新)報道2001」15年あまりの歴史に幕を閉じ、フジテレビジョンを退社する。国際医療福祉大学大学院教授に転身するが、神奈川県知事選立候補のため、辞職する。
平成23年4月23日に正式に神奈川県知事に就任し、「いのち輝くマグネット神奈川」の実現に向けて全力で取り組んでいる。
1959年に東京都で生まれる。
1982年に聖路加看護大学(現 聖路加国際大学)を卒業し、助産師として日本赤十字社医療センター、愛育病院、聖母病院に勤務する。
1997年に聖路加看護大学(現 聖路加国際大学)大学院を修了し、東京都立医療技術短期大学の講師に就任する。
1998年に東京都立保健科学大学の講師に就任を経て、
2004年に東京慈恵会医科大学医学部看護学科助教授に就任する。
2005年に昭和大学で医学博士号を取得する。
2007年に聖母大学看護学部教授に就任を経て、2011年に上智大学総合人間科学部看護学科教授に就任する。
日本助産師会副会長、日本助産学会監事など。