第23回 患者さんの声を聞く
患者さんの声を聞く
黒岩:患者さんの声をどのように受け止めて、組織として、その声にどう対応していくか、また看護師がその声を聞いて、どう学習していくかということは非常に大事ですが、済生会横浜市東部病院ではどのように進めていらっしゃいますか。
熊谷:私は患者サービス委員会の委員長も務めていますから、患者さんからご意見をいただいた場合は必ず現場に返しています。患者さんからいただいた声の中から「これは看護だね」ということを皆で共有しています。もちろん、患者さんからの「これは困ったよ」というご意見も現場に返し、どうしてこのようになってしまったのかを皆で話し合い、今後はどのようにしていくかというところまで持っていくんです。それから教育の中での事例検討も重視しています。
黒岩:こんな時代ですから、モンスターペイシェントもいるでしょう。「患者さん中心の医療」を完全に勘違いして、病院に怒鳴りこんでくる人もいると聞きます。そんなときはどう対処なさっているんですか。
熊谷:難しいですね。私はそういう事態を生んでしまってから対応しようというのではなく、そういう事態をできるだけ生まないようにしようと思っています。結果から言えば、多くの場合が説明不足なのです。そこで、私どもでは初めての外来では必ず問診を書きます。何日かに一度は私も担当しているんですよ。その際に、病院に期待していること、こんなところを診てほしいんだということを相互に理解できるようにします。そのうえで、「今から診察を受けるとなると、1時間は待ちますよ」と説明し、「それでも受診されますか」と伺うんです。患者さんへの説明不足のままで、問題が生じることがないようにしています。それでも全くご理解いただけないこともありますよ。警察に介入してもらうこともありますし、患者さんにお引き取りいただくこともあります。
黒岩:説明不足を解消しようという取り組みはいいですね。
熊谷:今の日本人はとてもせかせかしているんです。病院に限らず、色んなことにせっかちになっていますので、「病気なのに、なぜ優しくされないんだろう」、「病気なのに、なんで、こんなに待つんだろう」と思ってしまいがちです。病気になった人は一番、大事にされたいものなんですね。ですから、患者さんがどうして私どもを選んでくださったのかということを伺ったうえで、患者さんのご期待に添えるようにプランニングをして、受診していただくことを心がけています。
黒岩:以前、院内メディエーターの方を取材したことがあります。専門の看護師が院内メディエーターを務めて、患者さんへの対応をされているんです。それも一番、難しいケースを対応しています。あるとき、ある種の医療ミスで奥様の具合が悪くなったというご主人が怒鳴りこんできました。それにとどまらず、病院に毎日のようにやってきては「訴えてやる」と叫んだりしました。それを院内メディエーターの看護師が受け止め、その人が怒鳴るだけ怒鳴るのを全て聞きました。そして、その当事者を呼んで来たんです。
熊谷:医師をですか。
黒岩:その場合は医師でしたね。医師を呼び、院内メディエーターがご主人から聞いた内容を率直にその医師に問いただしていったそうです。時には厳しい口調で。最初ご主人は、「お前だって、どうせこの病院の職員なんだろう」と言っていたんですが、院内メディエーターが医師を問いただしてくれたことで、「この人は私の味方なんだ」と思うようになったそうです。そこから話ができるようになって、最終的にご主人も納得してくれたそうです。それだけでなく「よくやってくれた」と今度は病院のサポーターに転じてくれたそうです。ご主人は私たちの取材にも快く応じてくれて、「この病院はすごいですよ」と話してくださいましたよ。でも、そこまでの事態にならないようにすることが大事ですね。危機対応の仕組みが必要です。
熊谷:その方は怒るだけの理由をお持ちのようですが、最近は理不尽なことをおっしゃる方も少なくありません。その場合、私どもでは1対1になるのではなく、3、4人のスタッフで「どうしました」と囲みます。そうすると、「いや、何でもない」となることも多いんです。皆で取り囲むことで、患者さんが「今のは理不尽な要求だった」と分かってくれるようですね。6年間、データを集めて見えてきたことですが、それでも理不尽なことを言われる場合にはきちんとお話を伺わなくてはいけないと思っています。
黒岩:そういうきめ細かい対応はマニュアル化できないですよね。事例が積み重なっていくうちにできあがっていくことでしょうか。そういう事例を積み重ねることができるかどうかで、全く違ってくるでしょうね。
熊谷:色々なことがありますから、職員にはとにかく患者さんにお声をかけるようにと言っています。あるとき、高齢の女性の患者さんがもぞもぞされていたので、事務の職員が「どうしました」と声をかけたそうです。そしたら、患者さんの鞄がたまたま開いていたので、ふと見たら、包丁が一本入っていたんです。「これは」と聞いたら、「今日は具合が悪いから、病院で死のうと思って、包丁を持ってきた」という答えが返ってきたそうです。だから、職員が気配りをして、患者さんが困っていたり、よく分からない仕草をしたら、お声をかけなくてはいけないんですよね。
黒岩:なるほど。チーム医療の中では事務や受付の職員も大切だと気づかされますね。
熊谷:そうです。フロントには医師や看護師がいるわけではないので、事務の職員がきちんとサービスできないといけません。そういった感性のある人が望ましいですね。
看護師を増やす
黒岩:病院の努力があって、済生会横浜市東部病院では看護師が増えているんですね。神奈川県全体でもこの2年ぐらいは看護師数は伸びているんですよ。済生会横浜市東部病院は成功例の一つですね。
熊谷:私どもに看護師が入職するようになったのもここ2年ぐらいです。開院から5年は相当の努力が必要でした。なぜ、ここまで来られたかというと一つには実習が挙げられます。実習は「こういう看護ができる病院なんだ」と職場を見る一番の機会です。一方で、指導者たちが育ってきたので、いい指導が可能になりました。そうすると、実習に来た学生さんの入職に繋がるという好循環ができてきたんですね。スタッフには迷惑をかけましたが、開院と同時に実習の受け入れ病院になったことがようやく花開いたという感じです。
潜在看護師確保対策
黒岩:潜在看護師の復職支援に関してはいかがですか。昭和55年 3月 早稲田大学政経学部卒業
昭和55年 4月 (株)フジテレビジョン入社
平成21年 9月 同退社
平成21年10月 国際医療福祉大学大学院教授
平成23年 3月 同退職
平成23年 4月 神奈川県知事に就任
フジテレビジョンでは3年間の営業部勤務を経て報道記者となり、政治部、社会部、さらに番組ディレクターを経て、昭和63年から「FNNスーパータイム」キャスターに就任する。その後、日曜朝の「報道2001」キャスターを5年間、務めた後、平成9年4月よりワシントンに駐在する。
平成11年から再び「(新)報道2001」キャスターに復帰する。自ら企画、取材、編集まで手がけた救急医療キャンペーン(平成元年~平成3年)が救急救命士誕生に結びつき、第16回放送文化基金賞、平成2年度民間放送連盟賞を受賞する。
その他、人気ドキュメンタリーシリーズの「感動の看護婦最前線」、「奇跡の生還者」のプロデュースキャスターを務める。「感動の看護婦最前線」も平成5年度と14年度の2度にわたって民間放送連盟賞を受賞する。さらに、日野原重明氏原案のミュージカル「葉っぱのフレディ」のプロデュースも手がける。
平成21年9月、キャスター生活21年半、「(新)報道2001」15年あまりの歴史に幕を閉じ、フジテレビジョンを退社する。国際医療福祉大学大学院教授に転身するが、神奈川県知事選立候補のため、辞職する。
平成23年4月23日に正式に神奈川県知事に就任し、「いのち輝くマグネット神奈川」の実現に向けて全力で取り組んでいる。
1959年に神奈川県横浜市に生まれる。
1981年3月に神奈川県立看護専門学校を卒業し、1981年に済生会神奈川県病院に入職する。
1986年に神奈川県立看護教育大学校看護教育学科を修了する。
1987年に聖マリアンナ医科大学看護専門学校専任教員を経て、1992年に神奈川県立看護専門学校に専任教員として勤務する。
1997年に神奈川県衛生部医療整備課看護指導班に勤務する。
1998年に日本女子大学家政学部児童学科を卒業する。
2000年に神奈川県立看護教育大学校看護教育学科に専任教員として勤務する。
2003年に横浜国立大学大学院教育研究科学校教育臨床を修了し、教育学修士を取得する。また、済生会神奈川県病院に看護部長として入職する。
2006年に済生会横浜市東部病院に看護部長として入職する。
2007年に済生会横浜市東部病院副院長に就任し、看護部長を兼任する。
2013年に東京医療保健大学大学院マネジメントコースを修了し、
看護マネジメント学修士取得。
2013年に第48回神奈川県看護賞を受賞する。
2013年 認定看護管理者