第32回 助産師になるには
助産師になるには
黒岩:最近は助産師志望の看護学生は増えているのですか。
島田:大学に入ってくるときには「助産師志望です」という看護学生は多いんです。しかしながら、看護だけでも範囲が広いですから、大学入学後に各領域の経験を積んでいくうちに変わってきますね。また、助産師の実習は土曜、日曜も関係ないですし、夜間にもありますから、そのあたりで助産師を避けようという学生が出てきてしまいます(笑)。こちらが期待するほど、助産師の専門課程に入ってくれないというのが現状です。
黒岩:助産師は高卒後4年で資格取得というのが一般的ですか。
島田:助産師と保健師には指定規則があり、それぞれ1年以上の課程を修める必要があります。4年制大学の中に助産師の専門課程を含めている大学もありますが、4年制大学を終えて、1年の専門課程を設けている大学もあります。上智大学も2015年4月に大学卒業後の1年課程を開設する予定です。(※上智大学助産学専攻科2015年4月開設に向け、指定学校申請中です。)
黒岩:4年制大学を終えてから、助産師の専門課程が始まるんですか。この課程は大学院とも違うのですね。
島田:大学院で教育を行っているところもありますが、本学は助産学専攻科の1年課程で教育を行う予定です。
黒岩:やはり看護師の養成課程は複雑ですね(笑)。助産師でも4年制の中に専門課程があったり、4年制のあとに専門課程に進んだり、あるいは大学院など、様々で分かりにくいです。保健師も同様ですか。
島田:保健師にせよ、助産師にせよ、4年の中で統合教育を行うとなると、知識や技術の習得が十分でないこともあると思います。従来保健師は4年制大学を卒業すれば、もれなくついてくる資格でした。ですから、保健師の仕事に興味のない学生も保健所に実習に行き、よい実習ができない場合もあったと聞きます。そこで上智大学では、東京都等からの要請もあり、本当に保健師になりたい学生だけの20人コースつくっています。看護学科では全員が看護師の国家試験を目指しますが、保健師の国家試験は保健師コースを選択した学生だけが受験できます。
総合人間科学部で看護師を目指すということ
黒岩:上智大学の看護学科は総合人間科学部の中にあるのがユニークですね。
島田:総合人間科学部には看護学科のほかに、教育学科、心理学科、社会学科、社会福祉学科があり、看護学科は2011年に加わりました。総合人間科学部では、科学の知である「ヒューマン・サイエンス」、政策・運営の知である「ポリシー・マネジメント」、臨床の知である「ヒューマン・ケア」という「知の3本柱」を核として、人間の尊厳実現のために、地域で、企業で、そして世界で人を支え貢献できる人材、ソーシャルイノベーションを担える人材を育成しています。
黒岩:上智大学の看護学科は以前は聖母大学でしたね。今、キャンパスはどちらにあるのですか。
島田:1年次は四谷キャンパスで学びますが、2年次と3年次は目白聖母キャンパスで学びます。4年次は四谷キャンパスと目白聖母キャンパスの両方が学びの場です。
黒岩:私はフジテレビ時代に放送していた「感動の看護師最前線」の中で、聖母大学の戴帽式を取材したことがあるんです。先輩が後輩にマントを譲っていく姿がかっこよかったですね(笑)。今もあの風習は残っているんですか。
島田:残念ですが、もう残っていないんです。ただ、キャンドルは受け継ぎましたので、ナーシングコミットメント・セレモニーの際に使用しています。このセレモニーは、看護学科の2年次の学生が専門職を目指すにあたり、上智の精神と看護の技術を表す「手」を神父様が祝福してくださるもので、上智大学の聖イグナチオ教会主聖堂で行っています。看護師は手を使って人を支える仕事ですから 海外のカトリック系看護大学で伝統的に行われている「手の祝福式」にならって、上智大学でも行うようになりました。
男性助産師
黒岩:日本では男性の助産師はまだいないと聞いています。もし、男性助産師がいたとしても、日本の場合はニーズの問題もありますね。
島田:男性助産師は日本にはいないですね。ヨーロッパなどにはいますが、そういった国の助産師はいわゆる産婦人科の医師と同じような役割を担っており、日本のように、お産にずっと付き添ってケアするというシステムではありません。ヨーロッパやアメリカではお産の最中は夫がついている状況ですが、日本には 夫の立会いはなしでお産をしたいという希望を持つ妊産婦さんも少なくありません。そういった面からも、異性が妊産婦さんに24時間ついて、ケアするのは難しいでしょうね。
黒岩:男性助産師を誕生させるかどうかという問題は以前はよく話題になりましたが、最近はほとんど聞かなくなりましたね。
島田:議論はしたのですが、ケアの提供の状況が違う以上は諸外国のようにはいかないということに落ち着いたのではないかと思います。
昭和55年 3月 早稲田大学政経学部卒業
昭和55年 4月 (株)フジテレビジョン入社
平成21年 9月 同退社
平成21年10月 国際医療福祉大学大学院教授
平成23年 3月 同退職
平成23年 4月 神奈川県知事に就任
フジテレビジョンでは3年間の営業部勤務を経て報道記者となり、政治部、社会部、さらに番組ディレクターを経て、昭和63年から「FNNスーパータイム」キャスターに就任する。その後、日曜朝の「報道2001」キャスターを5年間、務めた後、平成9年4月よりワシントンに駐在する。
平成11年から再び「(新)報道2001」キャスターに復帰する。自ら企画、取材、編集まで手がけた救急医療キャンペーン(平成元年~平成3年)が救急救命士誕生に結びつき、第16回放送文化基金賞、平成2年度民間放送連盟賞を受賞する。
その他、人気ドキュメンタリーシリーズの「感動の看護婦最前線」、「奇跡の生還者」のプロデュースキャスターを務める。「感動の看護婦最前線」も平成5年度と14年度の2度にわたって民間放送連盟賞を受賞する。さらに、日野原重明氏原案のミュージカル「葉っぱのフレディ」のプロデュースも手がける。
平成21年9月、キャスター生活21年半、「(新)報道2001」15年あまりの歴史に幕を閉じ、フジテレビジョンを退社する。国際医療福祉大学大学院教授に転身するが、神奈川県知事選立候補のため、辞職する。
平成23年4月23日に正式に神奈川県知事に就任し、「いのち輝くマグネット神奈川」の実現に向けて全力で取り組んでいる。
1959年に東京都で生まれる。
1982年に聖路加看護大学(現 聖路加国際大学)を卒業し、助産師として日本赤十字社医療センター、愛育病院、聖母病院に勤務する。
1997年に聖路加看護大学(現 聖路加国際大学)大学院を修了し、東京都立医療技術短期大学の講師に就任する。
1998年に東京都立保健科学大学の講師に就任を経て、
2004年に東京慈恵会医科大学医学部看護学科助教授に就任する。
2005年に昭和大学で医学博士号を取得する。
2007年に聖母大学看護学部教授に就任を経て、2011年に上智大学総合人間科学部看護学科教授に就任する。
日本助産師会副会長、日本助産学会監事など。