健康寿命日本一を目指す

黒岩祐治のプレミアムインタビュー

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第27回 健康寿命日本一を目指す

― 黒岩知事は神奈川県を健康寿命日本一にすると宣言されています。

黒岩:これから超高齢化社会を迎えます。1970年には85歳以上の方々はほとんどいなかったので、労働世代で支えていけたのですが、今後はそれが難しくなります。2050年には85歳以上の人口が一番、多くなってしまうのです。最近、亡くなる方の年齡を聞いて驚いていますよ。100歳以上の方も珍しくなくなりました。ただ、寝たきりのまま、長生きをすることが幸せなのかということです。周囲の人も大変です。せっかく長生きをしたのであれば、ぎりぎりまで元気に暮らせるようにしたいというのが健康寿命の考え方です。

― 入院や介護の期間が長引くと、本人だけでなく、周囲も大変です。

黒岩:私の中学、高校時代の恩師の橋本武先生は、私の書いた本がきっかけとなり、90歳を過ぎてから「伝説の国語教師」として全国的に注目を集めました。『銀の匙』を先生が作られた「銀の匙研究ノート」を使いながら中学の3年間をかけて読んでいく超スローリーディングですね。昨年の秋に101歳で亡くなられました。でも、入院されたのは最後の1カ月だけなんです。

― 1カ月とは驚きました。

黒岩:入院されてすぐの時期にお見舞いに伺ったら、元気一杯でしたよ。来年、神奈川近代文学館が『銀の匙』を書いた中勘助の展覧会を行うのですが、橋本先生が中勘助からもらった手紙を展覧会に出してほしいと館長に頼まれたそうなんですね。その展覧会を記念した先生と私の対談についても依頼されたそうなんです。「よろしく頼みますね」と言われました。101歳の病床で、次の年のスケジュールを決めようというのですから、スゴイ!「まだまだ死んでいられませんよ」と明るくおっしゃっていましたね。入れ歯を外しておられたので、お話ししにくそうではありましたが、お話の内容はしっかりされていました。これはとても幸せなことだと思います。

― 素晴らしいですね。

黒岩:神奈川県は圧倒的なスピードで高齢化が進んでいきますから、ありとあらゆる政策を総動員して健康寿命日本一を目指していきます。ヘルスケアニューフロンティアもその一つです。そして、未病を治すにあたっては医食農同源を考えていかなくてはいけません。食には薬と同じような効果を持つのものあります。できるだけ地産地消の食材で作った食事を摂る生活習慣にするべく、学校給食も見直します。子どもたちから変えていきたいですね。学校給食の中で、子どもたちに地産地消の大切さを体験してもらいます。また、未病を治すために、どういった食材が効果的なのか、未病を治す食事とはどのようなものなのかを皆で知恵を絞りながらメニューを用意し、情報を公開します。ここではデータ化が重要です。


― 食のほかはいかがですか。

黒岩:運動も大切ですね。神奈川県では1日30分、週3回、3カ月続けるという3033運動を進めていますが、これをさらに拡げて多くの県民のみなさんに、運動の習慣をつけていただきたいと思っています。笹川スポーツ財団は日本の「チャレンジデー」を主催しています。チャレンジデーでは人口規模の近い自治体同士を、1日15分間以上、運動やスポーツを実施した住民の「参加率」で競わせるという取り組みで、とても興味深いですね。これを神奈川県でたくさんの市町村に参加するよう呼びかけています。また、ポイント制の導入も考えています。運動したこと、身体に良いことをしたらポイントを付与し、ポイントが貯まれば、スーパーマーケットなどの買い物に使えるシステムです。このような動機付けで楽しくなっていただいたり、得したなと思っていただけるような環境の中で未病を治していきたいものです。

― インセンティブを働かせるということですね。

黒岩:「CHO構想」というのも私たちのアイデアです。私は神奈川県庁のチーフヘルスオフィサー、CHOです。神奈川県庁には8000人近くの職員がいます。彼らにどんなインセンティブを働かせるのかを考え、県庁職員の健康増進に取り組んでいきます。企業でも健康診断を受けなかった人はボーナスを減らすといった、マイナスのポイント制のところがあるようですが、マイナスよりはプラスの発想をしたいです。罰せられるのは誰もが嫌ですしね(笑)。このように、未病から健康にという流れを組織ごとに作りながら、健康寿命日本一を目指していきます。



黒岩知事プロフィール

昭和55年 3月 早稲田大学政経学部卒業
昭和55年 4月 (株)フジテレビジョン入社
平成21年 9月 同退社
平成21年10月 国際医療福祉大学大学院教授
平成23年 3月 同退職
平成23年 4月 神奈川県知事に就任

フジテレビジョンでは3年間の営業部勤務を経て報道記者となり、政治部、社会部、さらに番組ディレクターを経て、昭和63年から「FNNスーパータイム」キャスターに就任する。その後、日曜朝の「報道2001」キャスターを5年間、務めた後、平成9年4月よりワシントンに駐在する。
平成11年から再び「(新)報道2001」キャスターに復帰する。自ら企画、取材、編集まで手がけた救急医療キャンペーン(平成元年~平成3年)が救急救命士誕生に結びつき、第16回放送文化基金賞、平成2年度民間放送連盟賞を受賞する。
その他、人気ドキュメンタリーシリーズの「感動の看護婦最前線」、「奇跡の生還者」のプロデュースキャスターを務める。「感動の看護婦最前線」も平成5年度と14年度の2度にわたって民間放送連盟賞を受賞する。さらに、日野原重明氏原案のミュージカル「葉っぱのフレディ」のプロデュースも手がける。
平成21年9月、キャスター生活21年半、「(新)報道2001」15年あまりの歴史に幕を閉じ、フジテレビジョンを退社する。国際医療福祉大学大学院教授に転身するが、神奈川県知事選立候補のため、辞職する。
平成23年4月23日に正式に神奈川県知事に就任し、「いのち輝くマグネット神奈川」の実現に向けて全力で取り組んでいる。

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