第15回 「一人開業」の実現を目指す
「一人開業」の実現を目指す
黒岩:これまで被災地での活動の様子をお聞きしてきましたが、非常に興味深かったです。神奈川県では高齢化が圧倒的な勢いで進んでいくわけですね。高齢者が増え、病気になって入院するとなれば、とても支えられないですね。そこで、在宅支援をどれだけできるかが大事になってきます。菅原さんが神奈川県に戻ってこられたところで、在宅医療をどう進めていくかについて考えていただきたいです。菅原さんは看護師が訪問看護ステーションを一人で開業するという、いわゆる「一人開業」を実現される運動をなさっていますが、今はどういった状況ですか。
菅原:2013年3月まで被災地特例が延びましたし、被災地特例とは別に閣議決定されていることもあり、国が結論を出すと言っていますので、何らかの動きがあるかもしれません。一人開業にあたっては、申請の実績を作ることが大事だと伺い、これまで12カ所で申請を行ったのですが、全部、却下されたんです。理由は「需要がない」ということでした。
黒岩:どういった地域で申請されたんですか。
菅原:福島県相馬市、南相馬市、飯舘村、青森県八戸市といったところです。
黒岩:どちらも被災地ですね。
菅原:被災地は特例措置があるので、申請が通りやすいと考えたんです。ところが、2011年に「需要がない」と言われ、愕然としました。その後、2012年2月に岩手県一関市だけが認めてくれました。現在、宮城県石巻市で三度目の正直を狙って、申請しているところです。牡鹿半島という地域で1800人の住民の皆さんの声を2週間で集めました。市議会議長、市議会副議長が同席のもとで市長に提出し、市長からも「前向きに進める」という返事をいただいたのに、国が口を出してきたのです。国が口を出せば、市の職員は動きが取れなくなってしまいますから、そこを打破するのが大変です。橋下徹や石原慎太郎さんが言っていた「地方がやろうと思っていることを国が口を出す」って、こういうことかと思いましたよ。
黒岩:看護師が一人開業を行うことに、なぜ国は反対なんでしょうか。
菅原:どのマスメディアが取材しても、分からないんです。医師会と看護協会が反対しているというのは聞いたことがあります。
看護師は在宅支援事業所を24時間体制でやっていくことを義務だと考えていますが、「一人では24時間できない」、「経営が安定しない」というのが主な理由のようです。しかしながら、経営学者の先生のご意見は「人を雇うから倒産するのであって、一人では倒産しない」というものです。確かに震災後の復興でも早かったのは大企業ではなく、個人事業主だったんですね。自営業者が見事に復興していく様子を見て、強いなと感じました。
黒岩:助産師さんは一人でも開業していて、24時間体制でやっていますしね。
菅原:そうなんです。そこで、私は「駐在訪問看護ステーション」と名付けました。被災地で駐在さんを見て、「駐在さんがいるから、この街は安全だし、地域の方たちの相談相手になっているんだ」と思ったんです。駐在さんはものすごく武芸に長けているわけではありません(笑)。でも、24時間、ご自宅にいるから、地域の安心感になっているんですね。看護師が「駐在訪問看護ステーション」という看板を上げて、そこに住んでいたら、「子どもが引きつけた」とか、「おばあちゃんが40度あるんだけど、救急車を呼ぶべきか」という相談にすぐに乗ってあげることができます。看護師も遣り甲斐を持てますし、街も安心です。現在、訪問看護ステーションの開設要件は看護師が2.5人いることですが、地方ではそれだけの人数は必要ないですし、また2.5人分の賃金が払えるほどの需要もありません。でも、街に助け合いの精神を生み出すはずです。
黒岩:一人で開業した場合、看護師をどう支えていくのですか。その看護師が訪問先に行けないこともあるでしょうし、その場合はネットワークを組むのですか。
菅原:私の理想は「駐在訪問看護ステーション」が小学校区に1軒ずつあり、中学から高校の校区でネットワークを組めたらいいと思っています。訪問看護ステーションの看護師はヘルパーステーションやケアマネジャーステーションと提携していることが前提ですし、患者さんには主治医もいます。仮に看護師がインフルエンザで1週間、寝込んだとしても、入浴介助であればヘルパーができます。訪問看護師の仕事のいくつかはヘルパーでもできるものなんですね。また、点滴や注射であれば、主治医に行ってもらいます。恒常的に主治医に頼むのは難しくても、日頃のお付き合いがあれば突発的な依頼はできますし、医師に負担もかからないでしょう。看護師同士のコミュニケーションは大事ですし、さらに充実させるためにも、私は「日本中に星降るほどの訪問看護ステーションを」と言っているのです。
黒岩:複数の看護師がいるより、一人の方がいいというのはなぜですか。
菅原:私は「一人の方がいい」と言っているわけではなく、「一人からやらせてください」と言っているだけなんです。一人から始め、お客様が30人になれば、2人目を雇うんですね。お客様が0人なのに、看護師を2.5人雇うのは大変です。仮に常勤換算が3や3.5になったとしても、ご主人の転勤や親御さんの介護などで1人辞めるとなると閉鎖しないといけなくなります。そうすると、利用してくださっているお客様も大変です。一人開業のメリットは新規で立ち上げやすく、2.5を割っても続けられることにあります。開業後に頑張って働いて利益を出せれば人を雇うというのは普通の商売のあり方であり、それを看護師にさせてほしいというお願いをしているに過ぎないんです。
黒岩:一人の方がいいわけではないのですね。そもそも、菅原さんが一人開業を広めようと思ったきっかけはどんなことだったんですか。
菅原:キャンナスではもともと潜在看護師を掘り起こして、できることをできる範囲でやっていけばいいと思っていたんです。介護保険制度が軌道に乗ったら、キャンナスは潰れてもよかったんですよ。ところが、潰れるどころか、何人もの看護師が集まってきました。その中で、6年前に、訪問看護ステーションの立ち上げから5年や10年やって、管理者や所長を務めたという看護師が続けて来たんです。そういった管理者クラスは理念が高く、「24時間やらないといけない」と言うわけですが、下のスタッフはついていけないんですよ。訪問看護ステーションは独立開業ではなく、基本的には病院がバックについています。病院の医師は管理者か下のスタッフかという究極の選択を迫られるのですが、管理者は医師の気持ちも分かっているんですね。下のスタッフが辞めるとなると、2.5を割ってしまいますから、医師に迷惑はかけられないと言って、管理者の方が辞めてしまうんです。それでキャンナスに来たのですが、私はおかしいと思いました。彼女たちの理念が高く、思いがこれほどまでに強いのであれば、彼女たちが地域を守っていける方法をキャンナスで始めようと、「一人開業」のための看板を上げさせてもらう運動を始めたのです。
黒岩:ボランティアナースというわけですね。
菅原:そうです。ボランティアで地域の人を支えたいという思いなんです。医師がやっている訪問看護ステーションとは別に、ボランティアで夜間や土曜、日曜に行けば済むことですからね。私は彼女たちに「お金にならないけどいいの。時給は1200円ぐらいだよ」と言ったところ、「うちの街ではそんな時給はもらえない。介護保険と同じ800円でいいです」と言うんですよ。それで、彼女たちを大事にしたいと思うようになったんです。
黒岩:これは開業権の問題ですね。看護師の開業権を認めていないということに行き着きます。薬剤師や助産師、鍼灸マッサージ師には開業権がありますが、看護師や理学療法士、作業療法士にはありません。
神奈川県でも、医師会との大戦争の末に、准看護師養成停止の実現に漕ぎ着けました。最初は2013年4月に入学する生徒を最後に補助金を打ち切る予定でしたが、最終的には2年の猶予期間を設けることで合意に至ったんです。国の制度の中でできないことでも、県でできることがあるということの一つの立証となり、嬉しかったですね。菅原さんは神奈川県にお住まいで、以前からボランティアナースや一人開業を実現する運動を続けてこられているので、神奈川県でどんなことが実現できるか、一緒に考えていきたいですね。
菅原:知事には特区を作っていただきたいなと思っています。
黒岩:特区を作らなくても、ほかに知恵があるかもしれません。菅原さんのお話を参考に、私も考えてみます。
黒岩知事プロフィール
昭和55年 3月 早稲田大学政経学部卒業
昭和55年 4月 (株)フジテレビジョン入社
平成21年 9月 同退社
平成21年10月 国際医療福祉大学大学院教授
平成23年 3月 同退職
平成23年 4月 神奈川県知事に就任
フジテレビジョンでは3年間の営業部勤務を経て報道記者となり、政治部、社会部、さらに番組ディレクターを経て、昭和63年から「FNNスーパータイム」キャスターに就任する。その後、日曜朝の「報道2001」キャスターを5年間、務めた後、平成9年4月よりワシントンに駐在する。
平成11年から再び「(新)報道2001」キャスターに復帰する。自ら企画、取材、編集まで手がけた救急医療キャンペーン(平成元年~平成3年)が救急救命士誕生に結びつき、第16回放送文化基金賞、平成2年度民間放送連盟賞を受賞する。
その他、人気ドキュメンタリーシリーズの「感動の看護婦最前線」、「奇跡の生還者」のプロデュースキャスターを務める。「感動の看護婦最前線」も平成5年度と14年度の2度にわたって民間放送連盟賞を受賞する。さらに、日野原重明氏原案のミュージカル「葉っぱのフレディ」のプロデュースも手がける。
平成21年9月、キャスター生活21年半、「(新)報道2001」15年あまりの歴史に幕を閉じ、フジテレビジョンを退社する。国際医療福祉大学大学院教授に転身するが、神奈川県知事選立候補のため、辞職する。
平成23年4月23日に正式に神奈川県知事に就任し、「いのち輝くマグネット神奈川」の実現に向けて全力で取り組んでいる。
菅原 由美 全国訪問ボラインティアナースの会 キャンナス代表プロフィール
1955年に神奈川県に生まれる。1975年から20年間、日本赤十字救急法の指導員として救急員の養成に携わる。1976年に東海大学医療技術短期大学第一看護学科を卒業後、東海大学病院ICUに1年間の勤務後、結婚と介護のために退職する。介護のかたわら、企業の診療所や保健所などに勤める。1995年に阪神大震災にアジア医師連絡会(AMDA)のメンバーとしてボランティア活動に参加し、クロアチアやサラエボでも活動を行う。1997年に訪問ボランティアナースの会であるキャンナスを設立する。1998年に有限会社ナースケアーの役員に就任する。1998年に神奈川県の委嘱を受け、3人の知的障害児の里親となる。2004年に『日経ウーマン』のリーダー部門の「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2005」を受賞する。東海大学医療技術短期大学非常勤講師に就任する。2009年にナースオブザイヤー賞、インディペンデント賞を受賞する。キャンナスを鳩山総理が視察する。2011年に東日本大震災の被災地で災害ボランティアナースとして活動を行う。
開業看護師を育てる会理事長、日本臨床医療福祉学会評議員、藤沢市介護保険事業所連絡会代表幹事、管理者部会長、日本神経疾患医療福祉従事者学会評議委員、NPO法人全国在宅医療推進協会理事、藤沢市高齢者虐待防止ネットワーク副代表、日本在宅医療学会評議員、さわやか福祉財団インストラクターなど。
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