第22回 看護師の定着率を高める

第22回 看護師の定着率を高める

熊谷 雅美
済生会横浜市東部病院副院長、看護部長

看護師の定着率を高める

黒岩:こんにちは。ご無沙汰しています。

熊谷:こんにちは。知事が国際医療福祉大学にいらっしゃったときに新人研修でお世話になりました。

黒岩:そうでしたね。さて、済生会横浜市東部病院では看護師の定着率が上がってきたと伺っています。まず、そのあたりのことからお聞かせください。

熊谷:病院が開院したのが2007年ですから、ちょうど7:1看護が始まった頃で、看護師を集めるのが大変でした。そのため、最初は全床オープンできなかったのです。全床オープンに到達するまで2年ぐらいかかりましたね。入ってくる看護師も多いのですが、組織が脆弱だったこともあり、辞める看護師もいました。開院して今年で7年目ですが、5年目ぐらいから徐々に定着してきた感じです。その理由としては、誰もが入職するときには夢を持っているものですが、その夢を実現できる組織に変われたことだと思っています。

黒岩:夢を持って入職してみても、夢と現実、あるいは理想と現実の狭間に立って、現実の厳しさについていけず、リアリティショックを起こして辞めてしまう新人看護師は少なくありません。1年以内に10%の新人看護師が退職するというデータもあります。そういった人たちへはどんな対応をされてきたのですか。

熊谷:一つは努力義務ではありますが、新人臨床研修制度ができましたので、病院中が新人を育てることに関心を持つようになったことです。もう一つは研修の充実ですね。皆が技術を高めるようになり、教える側が成長したことが大きかったです。私が力を入れたのは就業前現場体験です。夢見たことと実際の現場が違うことがないように、夏休みの間などにできるだけ病院に来てもらって、現場に入り込んで体験していただくという研修を積極的に行いました。

黒岩:「神奈川県における看護教育のあり方検討会」の最終報告に、「離職率の高い就業後2年目から5年目の若手看護師をターゲットとした新たな研修の実施など、教育体制の充実を図ることが有効」とありましたが、済生会横浜市東部病院ではいかがですか。

熊谷:開院のために、私が意図的に採用した結果、現在は8年目から10年目ぐらいの看護師が多いんです。ただ、知事がおっしゃるように、開院後3年目から5年目ぐらいはそのあたりの世代の離職は多かったですね。能力が高く、今後はリーダーを務めてほしいと思う人が辞めてしまうのは残念で、私は彼女たちと膝を突き合わせて理由を聞きました。その中で、組織風土や労働環境などの様々な問題が見えてきましたけれど、一番は新人看護師と同じで、急性期の現場が怖いということでした。

黒岩:それをどう克服されていったのですか。

熊谷:私一人の力で解決できる問題ではありませんので、病院全体の問題として皆で議論しました。そこで出てきた解決策がチーム医療のさらなる徹底です。たとえば、医師は朝、回診し、手術をしますが、夜の回診は看護師とは別に行うことがあります。それを夜の回診も看護師と一緒に行うように改善しました。医師が看護師に「これでいいよ。今晩はこれで行こう」と言うだけで、看護師の恐怖心は減るのです。救急センターでは90人の看護師のうち、毎年30人辞めていき、3分の1が入れ替わるという状況だったのに、辞める人が4人ぐらいにまで減っていきました。激変しましたね。現在は560床の病院で、看護師は約630人、離職率は10%程度です。

黒岩:やればできるものなんですね。医師と看護師が一緒に回診するだけで、看護師の恐怖心がなくなるとは驚きました。

熊谷:辞める看護師は救急センターに多かったのです。私どもは三次救急ですから、心肺停止状態の患者さんが運ばれてきます。もはや診断はつかないのに、治療をせざるを得ない状況で、看護師が血圧や脈を計ることで患者さんの生命を脅かすのではないかというのが大きなストレスなんです。そこで、医師と一緒にというのが重要なのです。次々に患者さんがいらっしゃいますから、医師がずっと一緒にいることは無理なのですが、この状態をストレスだと看護師が言ってくれたことで、解決できました。

黒岩:熊谷さんが看護師の話をじっくり聞かれたからこそ、問題点を浮かび上がらせ、解決に導けたんですね。

看護師のストレスをどう軽減するか

黒岩:以前、スイスのエイズ専門のホスピスに取材に行ったことがあります。そこで働く看護師自身、心的なストレスを強く受けますが、そういう看護師のメンタルをフォローするシステムができあがっているんですね。しかし、日本の病院にはこうしたメンタルヘルスケアを行うシステムが整っていません。師長さんや部長さんが「どうしたの」と聞いてあげるといった、個人的な努力に頼ってしまっています。今後はシステム化を考えるべきでしょうね。
熊谷:おっしゃる通りです。ケアする人のケアをどうするかといった問題ですね。今、病院はカウンセラーを置き始めてはいますが、相談したい人が自分で手を上げないといけないんです。知事がおっしゃるようなシステムがあれば、予防的なメンタルヘルスケアを受けることが可能になります。

黒岩:看護師は人間の生命のぎりぎりのところで働くのが当たり前であると思われています。それができない看護師はダメの烙印を押されてしまう。でも、普通は生命のぎりぎりのところでは働けないものですよ。「普通」の方を基準に置いて考えるべきでしょう。

熊谷:有り難いお言葉です。看護師は感情労働をしていますので、生命のぎりぎりのところに関わるのは大変なんです。

黒岩:感情というのは不思議なもので、看護師になった最初の頃は患者さんが亡くなったことにとても動揺して、家族と同じように泣いたり、慟哭したりしていても、段々と慣れてくる。慣れることは大事ですが、一方では慣れてはいけないものもあります。プロフェッショナルとして感情をコントロールするのも仕事の一つです。家族の立場からすれば、看護師が一緒に泣いてくれるというのは救いになったりもします。自分たちが泣いているのに、看護師が淡々と処理をしているとなると、なんか寂しいですしね。

熊谷:ほとんどの看護師が患者さんと一緒に泣いていると思いますよ。泣いているんだけれど、そこに看護を提供せざるを得ない状況があります。だから、知事がおっしゃったように、看護師が消耗していくんです。

黒岩:そこで看護師の言葉の発し方は重要ですね。プロフェッショナルになって、感情をコントロールできるようになったけれども、家族が悲しんでいるときに突き放すような口の聞き方をしてはいけません。ものの言い方やトーン、声を発するタイミングなど、まさに空気を読めることはとても大事ですね。そういうトレーニングはどのようになさっているのですか。

熊谷:人の気持ちを察するというのは看護師というよりも、一人の人間としてあるべきことですね。しかし、看護師はセンシビリティの高さとプロとしての対応を期待されています。やはり、看護学校での教育や就職後の研修の中で、ある事例を切り取り、患者さんの思いはどうなのかというリフレクションを通して身につけていくものでしょうね。多くの患者さんと関わり、その過程をリフレクションする一方で、看護師自身も人生経験を重ね、新しいことを体験しながら成長していけば、皆さんからのご期待に応えられるようになるのではないかと思っています。

熊谷 雅美 プロフィール

1959年に神奈川県横浜市に生まれる。
1981年3月に神奈川県立看護専門学校を卒業し、1981年に済生会神奈川県病院に入職する。
1986年に神奈川県立看護教育大学校看護教育学科を修了する。
1987年に聖マリアンナ医科大学看護専門学校専任教員を経て、1992年に神奈川県立看護専門学校に専任教員として勤務する。
1997年に神奈川県衛生部医療整備課看護指導班に勤務する。
1998年に日本女子大学家政学部児童学科を卒業する。
2000年に神奈川県立看護教育大学校看護教育学科に専任教員として勤務する。
2003年に横浜国立大学大学院教育研究科学校教育臨床を修了し、教育学修士を取得する。また、済生会神奈川県病院に看護部長として入職する。
2006年に済生会横浜市東部病院に看護部長として入職する。
2007年に済生会横浜市東部病院副院長に就任し、看護部長を兼任する。
2013年に東京医療保健大学大学院マネジメントコースを修了し、看護マネジメント学修士取得。
2013年に第48回神奈川県看護賞を受賞する。
2013年 認定看護管理者