第29回 看護の原点は現場にある
看護の原点は現場にある
黒岩:そもそも看護とはどこから始まったのかという原点を押さえることが大事だと思うんですね。今、目の前にある人をどうしないといけないのかということから看護が始まり、そして看護のあり方が体系づけられました。しかし、既に体系づけられた今の看護では、まずは人から入っていくものだということが忘れられているのではないでしょうか。体系づけられた学問がまずあって、最後が人というのは違和感がありますね。
叶谷:同感です。
黒岩:医師も同様です。まずは現場に具合の悪い人や困った人がいて、その理由を考えたら、環境が不潔だったりしたわけです。病気を治す医学とは関係のないことから始まったんですね。公衆衛生、パブリックヘルスというものはそういった環境への配慮から生まれた考え方でしょう。その後、医学や科学の研究が進み、体系づけられました。専門性も高くなり、病気に勝つことが最先端医療の目標になったのですが、原点であった「人」が忘れられているようです。
叶谷:そこは教えていかないといけないですね。IT化が進み、紙カルテが電子カルテになったことで、気づいたらコンピューターばかり見て、患者さんの顔を見ていなかったという事態にもなりがちです。患者さんに何が起こっているのか、患者さんは何を悩んでいるのかという現場が原点であると、私たち教育者はどんなに時代が変わっても大切なこととして意識させないといけません。そこで、私どもの大学では基礎医学と病棟での看護を体系づけられるような工夫をしています。「患者さんの問題を解決するにあたって、あのとき習った理論が役に立った」と学びと実践を繋げることを目指しています。
黒岩:これからも高齢社会が続いていきますので、さらに重要になりますね。神奈川県では超高齢化社会の逆ピラミッドになってしまうまでのスピードが早いと予想されています。
叶谷:私も逆ピラミッドについては授業でよく話していますね。
黒岩:高齢者が増えすぎるとどうなるんでしょうか?今までのように病気になったら病院にいくということが続けられるとは思えません。とても病院だけでは支えられるものではないでしょう。そこで、神奈川県では「未病を治す」ことを打ち出しています。健康から病気へとグラデーションで連続的に変化する、その未病の状態から治さないといけません。そのためには薬に頼るのではなく、食生活やライフスタイルの改善が必要です。この分野と老年看護学は重なりますね。
叶谷:そうですね。これからはQOLが重視されます。病気をしないというのではなく、健康寿命です。生き生きと年を重ねていくという考え方がないと、医療も追いついていけません。高齢者の方々も支えられるだけでなく、自分たちで自分たちを支えるという政策がないと間に合わないでしょうね。
黒岩:従来のシステムでは病気と健康ははっきりと分かれていました。医師や看護師といった医療職は病気の人を診る専門家であり、そのための教育を受けてきて、専門性も伸ばしてきたわけです。ところが、未病はグラデーションの部分にありますので、どこからどこまでという分け方が通じません。健康な人の中にも「今日は何となく具合が悪い」というような未病がありますし、うつ病のような心の病もあります。今後は医療の概念そのものが変わっていくでしょう。
叶谷:私もそう思います。
臨床と教育の現場を近づける
黒岩:私は看護とは臨床なのだとずっと言っていますし、今後はより臨床重視でないといけません。以前の看護学校では、先生が何十年も使ってきたようなノートによる講義をしていて、学生の半分は疲れて寝ているというような風景も見られました(笑)。ある程度の座学が終わったら、次は実習ですが、初めて患者さんに会うのにどうしていいか分からないまま、学校に帰ってくるということも少なくなかったんです。
叶谷:そうでしょうね。
黒岩:私が矛盾を感じたのは看護学校を卒業し、国家資格を取った看護師が就職して1年以内に10%が退職すると知ったときです。とても勿体ない話だと思います。その理由はリアリティショックなんですね。勉強してきたことと違うことに病棟で出会ったときに、ギャップを感じるそうです。理想と現実の狭間なんでしょうね。それは辞める看護師が悪いのではありません。リアリティショックを起こさせるような教育が悪いんです。生々しい現場を見せないままで看護教育を終えるのは根本的に間違っています。現場あってこそですから、現場の状況から逆算してカリキュラムを作るといいですね。臨床から始まる看護でないと、実践的になりません。
叶谷:おっしゃる通りですが、制度的な弱点もあります。医学部ですと大学の教授がいて、必ず付属病院がありますから、教授は臨床の現場にも携わっているんですね。一人の教員が常に臨床と教育の現場に顔を出しているのです。しかし、看護は違います。臨床現場は一人の患者さんに責任を持つという意味で24時間体制ですので、臨床と教育の現場が分かれてしまい、一人の教員がどちらも教えることができません。そういったことから、臨床現場の看護師と教育にあたる教員が人材交流を行い、違う現場も見ようという方針を国が出しました。臨床現場の看護師が教育の考え方を身につけたり、教員は病院に看護師として勤務することで、臨床現場の現状を把握する取り組みが始まっています。大学だけで教育を完璧に行うことはできません。連携や協働で学生を育てる時代なんですね。
黒岩:横浜市立大学ではどのような取り組みを始めるのですか。
叶谷:キャリア支援実践開発センターを作り、学生の卒業前、卒業後のキャリアアップを支援する検討をしています。現在、附属病院の看護師にも教育現場の中での教育や研究を始めていただいています。学んだあとで現場に帰ると違うはずですし、教育現場のスタッフも病院で働けるシステムを構築していきたいと考えています。
神奈川県の看護師確保対策
黒岩:神奈川県知事に就任して驚いたのは人口当たりの看護師数が少ないということでした。そのため、就任後すぐに「神奈川県医療のグランドデザイン」を策定したのですが、最大の課題が看護師確保でした。次に、その問題にどこから斬り込むかということで、「神奈川県における看護教育のあり方検討会」を作りました。その成果として最大のものが准看護師養成の停止であり、それから病院実習の充実です。病院実習にあたっては病院も大きな負担となります。現場の看護師はただでさえ忙しいのに、看護学生を受け入れるという仕事も増えますからね。そこで、看護実践教育アドバイザー制度を設けました。これは現場発のアイディアで、教育に携わる人材を育てつつ、病院の負担も軽減できるという制度です。さらに、教育現場と臨床現場の交流や連携も進めていきます。
叶谷:心強く、有り難い制度ですね。
黒岩:この2年で潜在看護師の復職支援にも力を入れたのは確かですが、現場で働く看護師が5171人も増えたのです。こんなにも早く効果が出るものかと思っていますよ。特に准看護師養成停止は大きなメッセージになったようで、看護学校も増えています。神奈川県内の看護学校の1学年が700人を超えそうです。ギアが入ってきましたね。現場をより重視し、即戦力のある看護師が増えることを期待します。
叶谷:日々、黒岩知事が看護師を応援してくださっているニュースを拝見するたびに感謝の思いで一杯です。
谷叶 由佳 プロフィール
1967年に北海道函館市で生まれる。
1989年に北海道大学医療技術短期大学部看護学科を卒業する。
1991年に千葉大学看護学部看護学科を卒業する。
1993年に東京大学大学院医学系研究科保健学専攻修士課程を修了する。
1993年から1995年まで千葉県がんセンターに勤務する。
1998年に東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻博士課程を満期退学する。
1998年に株式会社ヘルスケアシステムズ看護管理部長に就任する。
1999年に東京医科歯科大学大学院保健衛生学研究科助手に就任する。
2002年に東京医科歯科大学大学院保健衛生学研究科にて論文博士号(看護学)取得する。
2003年に神戸市看護大学看護管理学助教授に就任する。
2004年に山形大学医学部看護学科地域看護学講座教授に就任する。
2012年に横浜市立大学医学部看護学科老年看護学領域教授に就任する。
2013年に横浜市立大学医学部看護学科長に就任する。日本看護科学学会代議員、日本看護研究学会理事、日本看護管理学会理事など。