第17回 特定看護師について

第17回 特定看護師について

川嶋 みどり
日本赤十字看護大学 名誉教授

特定看護師(特定行為に係る看護師の研修制度)について

川嶋:知事は准看護師問題が社会の中で見えないものになってきているとおっしゃっていましたが、私は看護師の仕事も見えなくなってきたと感じています。医療の中に看護が吸い込まれてしまっていて、国の政策も医療と福祉ではなく、医療と介護になっているんですね。医療の中に看護が入ることによって、看護師の存在意義そのものが皆さんに分かりにくくなっているのではないかと懸念しています。

黒岩:なるほど。でも昔に比べれば、専門性が高くなってきているでしょう。私も専門看護師や認定看護師を取材したことがありますが、昔の看護師のイメージとは全く違いますね。自分の部屋を持っていたり、専門性のもとで現場を仕切って、医師に指示を出したりしています。

川嶋:看護師の歴史も150年近く経っていますから、そういう看護師も出てきてはいますが、スタンダードなところはいまだにプアですね。私は62年間、看護師をやっていまして、産休は2回、取得しましたけれど、それ以外はほとんど休まずに続けてきました。その中で、看護師が足りていた時代というものが全くなかったんです。看護師は昔から今までずっと足りないんですよ。そういう状況の中で特定看護師が出てきましたが、なぜ医師の絶対的行為を看護師が引き受けないといけないのかと思います。だから特定看護師には反対しています。

黒岩:川嶋先生は以前から反対の立場でいらっしゃいますものね。

川嶋:日本医師会の羽生田俊副会長と特定看護師問題について話し合ったこともありましたね。大学で教えていても、私は基礎的なことをきちんとできる看護師を育てたいのに、最近の学生は高いところを目指し、資格ばかり取る傾向にあります。そして、今の看護師は手を使いません。ディスプレーばかり覗いて、バーコードをピピピッとやっています。この状況を何とかしないといけないと思っていますし、それができるのが被災地なのですが、なかなかうまくいかないですね。

看護師の言葉がけ

黒岩:私はかつて取材中、常に看護って何だろうという人間としての思いで見ていました。その一つの答えとして、言葉が重要な要素だと気が付いたんです。患者さんは苦しいし、あるときにはわがままをぶつけてくるかもしれません。そうやって、思いをぶつけられたときに、看護師がどう応えるのか、どういう言葉を選び、どういう音声で、どういうニュアンスで、どういう間(ま)で応えるのかということです。それはマニュアルにはありませんよね。

川嶋:患者さんそれぞれの文化的な背景が異なりますので、マニュアル化はできませんね。以前、外国人看護師を入れようというときに、日本語ができないから駄目だという意見がありましたが、そういったコミュニケーションギャップは高齢者と若い看護学生の間でも頻繁に起きています。先日も、高齢者の足を洗うためにズボンの裾をまくりながら、看護学生が「ぎりちょんまでいいですか」と聞いているんです。高齢者は「ぎりちょん」という言葉を聞いても、何のことか分かりません。学生は真面目にやっているつもりですし、そういうおかしな話は一杯あります。私も若い人のことを色々と調べて、理解するようにしましたが、知事がおっしゃった音声やニュアンスや間(ま)だけでなく、もっと根本的なものもありますね。

黒岩:例えばどんな人にも「頑張りましょう、頑張りましょう」や「大丈夫、大丈夫」というのはおかしいですね。

川嶋:相手がどんな人かをまず考えなくてはいけません。病室のドアをばっと開けて、大きな声で「おはようございます」と言っても、対応できない患者さんも少なくありません。声を落として「おはようございます」、「いかがですか」と言うべき場面もあります。そのあたりの指導は難しいです。

黒岩:看護の奥の深さですよね。人間である看護師が人間である患者さんに向き合うのが看護の原点であると思います。実際に入院すると、看護の有り難さを実感できるはずですけどね。

川嶋:今の看護学生に「普通の暮らし」を理解させることが難しいんです。被災地で、親しい人が亡くなったり、家や土地、車といった財産を失ったりされた方は「暮らしが流れた」という思いが強いんです。暮らしは家庭それぞれで全く違いますし、しかも時間をかけて積み上げてきたものなんですね。それがなくなり、壊れた暮らしを元に戻すのは大変です。ところが、こういう話を今の看護学生に言っても、「普通の暮らし」を理解できないんです。看護の歴史を調べてみますと、看護師という職業が誕生する前から、お母さんが子どもを看取ったり、奥さんがご主人の世話をしたりしてきました。人々の暮らしの中から看護が生まれたわけですから、普通の人間的なセンス、「大変だ、辛そうだ」という基本的な思いがないと、看護は成り立たないのです。でも、今はあまりにも専門的になりすぎてしまって、そこが飛んでしまっています。知事がおっしゃったような言葉遣いや間(ま)を教育するのは難しい時代ですね。小学校教育からの問題ではないでしょうか。

黒岩:「感動の看護婦最前線」というドキュメンタリー番組を制作し、多くのシーンを撮影してきた中で、私は看護師がどんな言葉遣いで患者さんに話すのかということに注目していました。そうしたら、北海道の看護師で、妊娠していて、もうしばらくしたら休暇に入るという人が患者さんに「痛くないかえ」と尋ねていたんです。その言い方に何ともいえない優しさがあふれていて、見ている私たちもほっとするような気持ちになりました。あんなふうに優しく言われたら、仮に痛くても、痛さが飛んでいくのではないでしょうか。逆に「痛くないですかっ」と切り口上で言われたら、刺さるように痛くなると思いますよ(笑)。看護教育の現場ではそういった教育はどこまで行われているのですか。

川嶋:カリキュラムが密なので、そういう教育の余裕がありません。患者さんに触れる実習を多くさせたいのですが、実習病院の数が足りないという問題もあります。実習病院の環境も皆が忙しく働いていますし、じっくりケアできないんですね。これでは実習期間中にロールモデルを見付けられないですし、言葉がけ一つにしても、先輩のやり方を見て覚えるだけになっています。だから、ペーパーテストは合格するかもしれないけれど、実践力に乏しい看護師になってしまいます。

黒岩:神奈川県は恥ずかしい限りですが、人口あたりの看護職員数が全国で最下位なんです。そこで、なぜ看護師が少ないのかという問題を解決するにあたり、新人看護師の離職を食い止めなくてはいけないと思いました。これは神奈川県だけの問題ではありませんが、看護師の資格を取得して、病院に入職した看護師が1年以内に10%が退職しています。この数字は医師では考えられません。私が「なぜ、1年以内に辞めるのか」と尋ねると、リアリティショックだと言うんですね。私はそのときに初めてリアリティショックという言葉を知りました。学校で勉強してきても、現場で起きていることはあまりにも違い、思っていた以上に過酷な現場だということにショックを受けるそうです。そういうショックを起こさせる教育自体が違っています。看護理論ばかりを勉強させ、何とか看護という科目ばかりを頭に詰め込ませるのではなく、現場とはどういうものかという教育をすることが基本なのではないでしょうか。

川嶋:そう思います。

黒岩:一人の人間と目の前で向かい合ったときにショックを起こして、早期退職してしまうような看護師を育てることは正しい看護教育とは言えません。形骸化している教育にメスを入れないと、看護師不足という数の問題に対応できません。それは単に教育施設を増やせばいいというのではなく、看護教育の質を見直すことが重要です。そこで、神奈川県では「神奈川県における看護教育のあり方検討会」を設けました。その検討会で最終的に出てきたのが准看護師養成問題であり、早く養成を止めようということになったんです。

潜在看護師の「聞く力」に期待する

黒岩:神奈川県は恥ずかしい限りですが、人口あたりの看護職員数が全国で最下位なんです。そこで、なぜ看護師が少ないのかという問題を解決するにあたり、新人看護師の離職を食い止めなくてはいけないと思いました。これは神奈川県だけの問題ではありませんが、看護師の資格を取得して、病院に入職した看護師が1年以内に10%が退職しています。この数字は医師では考えられません。私が「なぜ、1年以内に辞めるのか」と尋ねると、リアリティショックだと言うんですね。私はそのときに初めてリアリティショックという言葉を知りました。学校で勉強してきても、現場で起きていることはあまりにも違い、思っていた以上に過酷な現場だということにショックを受けるそうです。そういうショックを起こさせる教育自体が違っています。看護理論ばかりを勉強させ、何とか看護という科目ばかりを頭に詰め込ませるのではなく、現場とはどういうものかという教育をすることが基本なのではないでしょうか。

川嶋:そう思います。

黒岩:一人の人間と目の前で向かい合ったときにショックを起こして、早期退職してしまうような看護師を育てることは正しい看護教育とは言えません。形骸化している教育にメスを入れないと、看護師不足という数の問題に対応できません。それは単に教育施設を増やせばいいというのではなく、看護教育の質を見直すことが重要です。そこで、神奈川県では「神奈川県における看護教育のあり方検討会」を設けました。その検討会で最終的に出てきたのが准看護師養成問題であり、早く養成を止めようということになったんです。

病院と宗教

黒岩:日本の病院の中ではタブーかもしれませんが、宗教との関係もお話ししたいです。韓国の病院に取材に行ったときに病院の中にお坊さんや住職、牧師さんがいました。仏教徒やキリスト教徒が入院しているわけだから、不思議ではないんですね。お坊さんが患者さんの話をじっくり聞いてあげていました。でも、日本の病院でお坊さんがうろうろしていると、縁起でもないと言われてしまいそうです。

川嶋:不吉だということでしょうね。

黒岩:宗教は本来、生きている人が苦しいときに助けてもらうためのものです。そういうときに手を差し伸べるのが宗教の役割なので、日本のタブー視には違和感があります。

川嶋:牧師さんはまだしも、お坊さんは駄目だと言われてしまうでしょう。
 

黒岩:以前、新潟県の長岡西病院のビハーラ病棟を取材したことがあります。仏教版のホスピスで、あるスペースにお坊さんがいました。線香の匂いが立ち込めていて、ちーんという音もするのです。最初はお坊さんがいるということで、地元の方もびっくりしたらしいですが、慣れてくると、安心だと受け入れているんですね。こういう施設がもっと広がっていくかと期待しましたが、広がりませんでした。

川嶋:仏教看護学という領域もあるんですけどね。お線香の匂いは亡くなったときのことを想像させてしまうんでしょう。仏前結婚式よりも仏前のお葬式の方が多いですしね。

黒岩:葬式仏教になってしまったというところがあるんでしょうね。超高齢化がどんどん進んでいく中で、これからの医療は大きく変わらざるをえません。病気と向き合うだけでなく、いのち全体を支えることが、これまで以上に大切になってきます。そんな中、ナースの役割は、ますます重要になってくると思いますね。

川嶋 みどり プロフィール

1931年に京城(現ソウル)に生まれる。1951年に日本赤十字女子専門学校(現 日本赤十字看護大学)を卒業し、日本赤十字社中央病院(現 日本赤十字社医療センター)に勤務する。1952年から1955年まで日赤女専、日赤女子短期大学に派遣される。日本赤十字社中央病院小児病棟勤務を経て、日本赤十字女子専門学校専任教員、日本赤十字女子短期大学助手、日本赤十字社中央病院耳鼻科外来係長を経て、1971年に退職する。1971年から東京看護学セミナー代表世話人として、看護基礎教育、卒後研修、教員養成講座などの講師をしながら執筆、講演活動を行う。1974年から1976年まで中野総合病院で看護婦教育顧問に就任する。1982年に健和会臨床看護学研究所所長に就任する。2003年から2011年まで日本赤十字看護大学教授(看護管理学、老年看護学)、2006年から2010年まで看護学部長を務める。2011年に日本赤十字看護大学客員教授に就任を経て、現在は日本赤十字看護大学名誉教授を務める。「東日本これからのケア」プロジェクト代表を兼任する。
 1995年に第15回日本看護科学学会会長を務める。1995年に第4回若月賞を受賞する。2007年に第41回フローレンス・ナイチンゲール記章を受賞する。
 著書に『チーム医療と看護―専門性と主体性への問い』『看護を語ることの意味―“ナラティブ”に生きて』(看護の科学社)、『キラリ看護』(医学書院)、『看護の危機と未来―今、考えなければならない大切なこと』(ライフサポート社)ほか多数。