vol.29医療法人 行岡医学研究会 行岡病院
「地域医療に専念して70有余年、これからも地域とともに歩みます」
生命の医学から幸せの医学を病院のモットーにしたいと考えております。医学的治療の切磋琢磨にとどまらず、入院環境を含めた総合的な患者様へのケアが行えるよう、努力していく所存でございます。
院長 行岡正雄
協同
やさしい医療を実践します。
「やさしい医療」とは、「患者様が安心して医療を受けて頂くこと」です。
整形外科は骨・筋肉などの運動器に関する疾患に対して保存療法から手術療法まで幅広く対応している。手術療法が必要な脊椎疾患に関しては脊椎・脊髄センターでの対応になるが、リウマチ科、スポーツ整形、手の外科といった専門外来では他院で治療に難渋する症例も積極的に扱う。スポーツ専門外来では夜間診療を行う。また、外傷・事故などの救急疾患に対しても24時間対応している。
行岡病院ではスポーツ障害、外傷に対する専門的診療を行っており、手術治療だけでなく、リハビリや障害予防のための指導も行う。以前から大阪大学スポーツクリニックと緊密に連携しており、これまでも多くのハイレベルなスポーツ選手を扱ってきた。手術治療は多くの場合関節鏡を用いた小侵襲手術を行っており、早期かつ確実なスポーツ復帰を目指す。膝前十字靭帯損傷などの膝関節の関節鏡下手術を主に行うが、足関節や肩、肘関節などに対する関節鏡下手術も行う。また、手や手関節のスポーツ外傷についても、大阪大学手の外科クリニックの医師と協力して治療を行っており、スポーツに関連するあらゆる疾患に対する治療が可能となっている。
リハビリテーション部では理学療法士、作業療法士、言語療法士が治療、訓練を通して、患者さんの生活の回復、生活の質をさらに高めることを目標にしている。理学療法科は立つ、歩く、階段の昇り降りなどの訓練を、作業療法科は衣服の着脱、入浴動作などの訓練や自助具、手の装具の製作、家屋改造の指導を、また言語療法科はよりよいコミュニケーションを図るための援助を行う。
主に脳卒中、整形外科疾患、慢性関節リウマチ、スポーツ傷害を対象にしており、また高齢化社会に対応した老人のリハビリテーションにも積極的に取り組む。
最近では56床の回復期リハビリテーション病棟を設け、より充実したチーム医療を実践し、一人でも多くの患者さんが一日でも早く家庭に、そして社会に復帰できることを願って、より充実した健康管理を目指している。
看護専門職として患者様に安心し、満足して頂けるように“愛ある看護”を目指します。
行岡病院では「看護部現任教育計画」と「看護部能力開発の基準と計画」を策定している。平成21年度の「看護部能力開発の基準と計画」では、医療チームの中にあって、看護の役割と責任を果たすことのできる人材を育成すること、研修を通し、看護職の資質の向上、看護の充実および改善を図ること、自分の能力を査定し、必要な学習を選択し、自ら学ぶことを目標としている。
卒後年数ではなく、個人の能力に合わせたラダーでの研修が特徴です。仕事の後は疲れていますし、講義形式は集中しづらいようです。実際に参加できるような形式の方が向いているみたいですので、グループワークを主に取り入れています。今の若い人たちには適しているようですね。レベルⅡ、Ⅲになりますと、主体的な意見が活発に出されます。前もって、課題を出しておくケースもあります。
プリセプターは2、3年目の看護師が担当し、4年目以降の看護師がプリセプターのサポートに当たっています。入職3カ月目には精神的な面のフォローアップも行っています。人を育てるにあたっては、その人にないものを引っ張り出そうとしても難しいので、できたところを褒めながら、もともと持っている良いところを少しでも引き出すことが大事です。新人に直接関わるのは主任や中堅クラスの看護師ですので、その層の教育にも力を入れています。彼女たちが生き生きと仕事し、優れた接遇態度や勉強をしている姿勢を見せれば、新人には大きな影響を与えますので、レベルⅢ、Ⅳの研修ではリーダーとしての自覚を持たせるような内容にしています。
私どもの理念が乱されないように、理念に従って行っています。私どもが大事にしてきたことを伝えなくてはいけませんが、一方で、私どもが持っていないことを中途入職者が持っているときには教えてもらっています。3月、4月は特に人の動きが大きい時期ですので、折に触れて、理念を話す機会を設けています。話し合いの機会を持てば、不安も解消されますし、逆にスタッフから「大丈夫」と言ってもらえることもあります。スタッフには本当に恵まれていますね。
行岡医学技術専門学校での教員生活を終え、病棟に戻って3年目になります。今の病棟のスタッフにはそのときの教え子が数人いるんです。病棟に戻るときに、卒業生が「一緒に頑張ろう」と言ってくれて、嬉しかったですね。現場を離れてはいましたが、基本は看護師ですし、自転車の乗り方を忘れないのと同じで、特に抵抗はなかったです(笑)。来年はいよいよ教え子が教員への道を歩き始めます。今後は現任教育で行っていることが詰所の中で実を結べるような取り組みをしつつ、スタッフの定着を図りたいです。
高校が進学校だったので、大学に行くのは当たり前という雰囲気だったんですね。ところが、私はあまり大学へ進学することがイメージできなかったんです。そのかわり専門職に就くことの憧れがあり、看護師を目指すことにしました。ちょうど大阪に親戚もいましたので、当時の国立大阪病院の看護学校を選びました。
近畿大学の附属病院ではICUに勤務していたので、バーンナウトのような感じで退職したんです。そこで全く違う仕事をしようと、1年間、ビジネススクールで秘書実務を学びました。秘書としての就職もほぼ決まっていたのですが、「これでいいのかな」という戸惑いが出てきたんです。その頃、たまたま看護師の友人に会い、彼女は「夜勤明けできつい」と言っているのですが、私にはとても輝いて見えたんですね。それで、やはり看護師の仕事に戻ろうと決意し、兵庫医大の附属病院にお世話になることにしました。最初はICUにいましたが、出産や育児があったために心臓外科の外来に異動させていただき、勤務を続けることができました。「やらなきゃ」と思えば、プレッシャーになりますが、徐々に楽しんで仕事をすることができるようになり、プレッシャーがプラスのファクターに変わっていったように思います。自分のテリトリーではないことであっても、与えられた役割に自分をマッチさせていくことが大事です。結果論かもしれませんが、「ここまではやってみよう」というところまでやってみたら、そこで一度、降りてみて、その後は「頑張らない」ように気持ちをコントロールしていけたことが仕事を続けてこられた理由ではないでしょうか。
西宮協立脳神経外科病院に勤務したことですね。私にとっては初めての私立病院でしたので、最初は大学病院との違いに驚くことばかりでした。まだ「地域医療」という言葉も一般的でない時代でしたが、地域医療連携室の立ち上げのスタッフになったんです。机一つからのスタートで、開業医の先生方にご挨拶に伺ったり、地域の医療マップを作ったり、糖尿病教室や市民講座を開いたり、看護師として関われることに積極的に取り組みました。温かく支援していただいた院長や事務長には今も感謝の気持ちで一杯です。大学病院にいたら、事務方などの他部署と連携しながら仕事を進める機会はほとんどありませんので、あの5年間は一つのキャリアとしてラッキーだったと思っています。
私個人としては専門性を高めていくことの方が管理職としての職務を全うするよりも好きなんですよ。近大は心臓外科の優秀な先生方が揃っていましたので、心臓外科やICUで救命救急を勉強させていただけるのは楽しかったですしね。しかしながら、お役に立てることがあればと思い、行岡病院に着任し、今度は地域の救命救急がどうあるべきかと考えなくてはいけなくなりました。同時に、看護部の体制をきちんと構築していくことも求められました。そこで、病院機能評価の認定を受けたことで、看護部のスタッフの意識や考え方に変化が生まれましたね。
私どもでは、このほど新館を開設し、スポーツ整形にさらに力を入れていくことになりました。スポーツ整形に関わる看護師自身もスポーツに親しんできた人が多いので、肘や膝や靭帯のことがよく分かっています。靭帯の手術は医師のスキルによるところが大きいのですが、私どもの優秀な医師のもとで看護師が興味を持って学んでいる姿は頼もしいですね。スポーツリハビリ専門の理学療法士も常駐し、北天満小学校のグラウンドを借りて、ボールを投げたり、走ったりするリハビリも行うなど、内容が充実してきました。回復期リハビリテーション病棟のカンファレンスではそういったコメディカルと熱心に意見を交換しています。
優しさに尽きると思います。若い頃はいろんな看護観を持っていましたが、管理者研修以後、究極のところは優しさだと気付きました。人の痛みや苦しさを理解し、命を相手にする仕事なのですから、優しさを持つことで思いやりも持てるはずだと確信しています。
主任、中堅クラスの看護師を育てていきたいです。師長も大事ですが、師長を支える主任、中堅クラスを育てることは時代のニーズでもあります。そのためのプログラムとして、医療のことだけではなく、どんなことでも受容できる大きな人間になれるような教育、発想の転換、モチベーションの向上といったことに取り組んでいきたいですね。病院で働く全ての人に先生役になってもらえるプログラムを作れたらと考えています。
また私どもには附属の看護学校があります。そこの指導者になって、病院の理念を伝えていくことも大きな役割です。今後も学校との連携を強化し、実習の受け入れや指導者会議などを通じて、情報交換をしながら、質の高い教育の場を提供していきたいですね。
まずは心身のケアをきちんと行うことです。それができていないと、患者さんの命と向き合えるような看護ができません。そして、患者さんが自分の身内だったらと考えて、優しさや思いやりを持つことを忘れないでほしいですね。その気持ちがあったら、仕事をずっと続けていけると思います。
苦に思うことはなかったですね。委員会活動など、いろんなことをさせていただきました。学生時代に実習に来たときの担当の方がロールモデルになっているんです。話しやすくて、いい先輩です。ほかの先輩方も明るくて、「落ち込んでも仕方ない」という雰囲気なんです。そういう環境で仕事を続けられたのはよかったです。
指導の仕方について悩むことはありましたけど、専門学校の後輩でしたので、やっぱりかわいいという気持ちが常にありましたから、常に明るく接するようにしていました。自分自身が目指してきたように、プリセプティーにも目標を持って頑張ってほしいと思っていました。基本は明るく、現場では厳しいときもあるといったメリハリを大事にしていました。
山中師長は看護学校のときの先生でしたし、憧れの気持ちはありました。でも、まさか自分が教員の研修に行けるとは思っていなかったので、お話を聞いたときはびっくりしました。それから専門学校の職員の方や高山部長と話すうちに「チャンスをいただけたんだ」と思うようになりました。
実習に来た学生の指導をしているので、明るい学生ばかりということはよく知っています。それでも後輩たちが現場で負けないように、自分の知識を伝えていきたいです。今はまだそんなにイメージが湧かないですね。一からのスタートですので、まずは来年の研修を頑張りたいと思っています。
現場はとてもアットホームで、楽しく面白い職場です。忙しいことは忙しいのですが、師長もスタッフも皆で助け合っています。高山部長も毎日、ラウンドしてくれていて、スタッフの名前と顔を覚えているんです。そういうメンバーで、もっと現場を改善していきたいと思っています。そうしたら看護師も増え、看護師が増えたら病院もよくなるのではないでしょうか。そのために自分の知識や経験を役立てていける看護師になりたいです。
1年目は手技やルートの入れ方といった技術面の研修が中心でした。病棟では、まださせていただいていない時期で、自信もなかったので、事前に研修を受けられたのはよかったです。特に輸液ポンプを触ることに自信がなく、病棟でいつも先輩に聞いていたので、研修で改めて教われて、助かりました。
2年目になってからはケースごとの振り返りがメインです。発表の場を与えられるのは緊張しますが、皆に聞いてもらうことが勉強になると先輩方に励ましていただいたので、頑張っています。5階病棟は終末期の患者さんが多いので、ケースも患者さんやご家族との関わりが中心です。私自身が関わることに消極的だったり、ご家族とのコミュニケーションが不十分だったりすることが反省点ですね。
ペインコントロールやセルフケアが多いです。終末期の患者さんは徐々に動けなくなっていくので、清拭やシャンプーといった清潔に関わることをお手伝いしています。体調が辛くなってきた患者さんが辛さの中で「ありがとう」と声をかけてくださるときは本当に嬉しいですし、遣り甲斐があります。
失敗してしまって落ち込んでいるときに、さらに失敗してしまい、さすがに先輩に怒られてしまいました。そんな日は家で泣いてしまいますが、テレビを見て気分転換したり、寝ることで解消できています。母も看護師ですので、細かい内容は言わず、「落ち込んでるんだ」と話すこともあります。母から「そんなときもあるよ」と励まされたり、母の若い頃の失敗談を聞くこともあります。仕事ができるのも家族の支えが大きいですね。
先輩方は皆さん、優しいです。そして、申し送りのときに要点が分かりやすい話し方をされるので、私も先輩方を真似て話そうとするのですが、なかなかうまくいきません(笑)。でも、頑張って吸収したいですね。先輩方の咄嗟の判断も勉強になっています。
母がケアマネージャーをしていることもあって、私も将来は看護師だけでなく、保健師の仕事をしてみたいです。看護師は病院での関わりが中心になりますが、保健師は家庭という生活の場にお邪魔するので、患者さん一人一人の背景の違いなどが興味深いです。看護師としては、申し送りをハキハキとスムーズにでき、後輩へ的確な指導ができるリーダーになっていけたらと思っています。
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