第56回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

第56回 日本版ナースプラテクショナリーは何時に?

 先日「特定看護師(仮称)の創設」に向けて、厚生労働省の「チーム医療の推進に関する検討会」が報告書をまとめました。特定看護師とは従来の看護業務より高度な医療行為を行なうことができる新たな資格です。すでに認定看護師、専門看護師がある上に、さらに特定看護師を作るというのは、患者にとってはチンプンカンプン、あまりに複雑です。

 実は私も誤解をしていました。今度の検討会で「日本版ナースプラクティショナー」ができることになったと思っていたのです。ナースプラクティショナーはアメリカのナースの資格で、医師に代わって診療行為をすることができます。こちらの方は「診療看護師」と訳すのだそうです。特定看護師はどうやらそれとは違うようです。

 認定看護師、専門看護師は日本看護協会の認めている資格であって、国家資格ではありません。おそらく特定看護師は政府のお墨付きによる公的な資格になるのでしょう。特定看護師が行なえる行為としては次のようなものが挙げられています。

 確かにこれまでより医療に踏み込む分野が拡がっていますが、これは明らかに日本版ナースプラクティショナーと呼べるものではありません。ナースプラクティショナーについては、今から15年ほど前、私もアメリカで取材し、番組の中でリポートしたことがありました。特定看護師と決定的に違うのは医師の指示なしに診断や治療ができるという点でした。

 ナースプラクティショナーは各科にいました。私が取材した小児科では外来で診察していたのはナースでした。ドクターは奥の部屋に控えており、問題がある時だけナースからの相談を受け、患者の前に姿を現していました。特に私が舌を巻いたのは麻酔専門看護師でした。手術室で気管挿菅をしている姿はまさに麻酔科医のそれであり、その挿菅の技術の適格さ、鮮やかさには驚きました。

 ナースプラクティショナーはもともと小児科などの医師不足を補うために、1960年代から養成が始まり、今では国家資格として11分野、約14万人が働いています。導入のもうひとつの背景には高騰し続ける医療費がありました。アメリカのドクターフィーはあまりにも高額で、国民皆保険制度のないアメリカでは低所得者には負担が重すぎたのです。

 日本とアメリカでは事情が違いますが、志が高く、優秀なナースをさらに高いレベルに引き上げる道があることは、患者にとってもメリットが大きいはずです。その番組の中でも私は日本版ナースプラクティショナーの導入を訴えかけました。それがカタチになったのが認定看護師制度でした。

 いきなりアメリカのような国家資格にすることは難しかったため、日本看護協会が認める資格としてスタートさせたのでした。しかし、公的な資格ではないために、その資格を持っていても直接的に待遇面に反映されることはありませんでした。

 実は日本にもナースプラクティショナーと呼べる資格がありました。それは助産師です。彼らは産科医の指示の下に働くだけでなく、単独の助産行為も許されていますし、開業権も持っています。助産師のことをイメージすれば、日本でもナースプラクティショナーへの道は開かれやすいのではないかと、私は常々考えていました。

 少し横道にそれますが、私はこの件でイヤな思いをしたことがあります。アメリカのナースプラクティショナーを紹介した先の番組の中で、「助産師は言ってみれば産科の専門看護婦のようなもの」と紹介しました。そのコメントに対し、一部の助産師から猛烈な抗議を受けたのです。

 「助産師を産科専門の看護婦と呼ぶとは言語道断。助産師をバカにするな。訂正し謝罪しろ」というのです。私は助産師たちから評価されるとばかり思っていただけに、唖然としましたが、手紙を書いて私なりの見解を伝えました。私は「そもそも助産師への理解を拡げようと思い、あえてそういう表現をしたのであって、決してバカにしたものではない。そのコメントの後に助産師の働く姿を感動的に描いたVTRを放送しており、多くの視聴者からも助産師への敬意の声が寄せられている。しかも、私は「産科の専門看護婦のようなもの」と言ったのであって、「産科専門の看護婦」とは言っていない」

 ところが執拗に抗議は続きました。要するに「助産師を看護婦呼ばわりするな」と言いたいようでした。それは看護師への侮蔑的態度であって、助産師の優越性を訴えたかったのでしょう。しかし、助産師は保助看法で規定された資格であって、広義の看護師であることは間違いありません。助産師としてプライドを持つことはいいとしても、あまりの了見の狭さに辟易としたことを覚えています。

 結局、それから15年も経過したのに、今回も日本版ナースプラクティショナーはお預けとなりました。検討会の報告書には「慎重な検討が必要」と表記されるにとどまっています。特定看護師により看護の行為自体は拡大していますが、最も根本の医師の指示の下という部分は変わりませんでした。日本医師会は看護師が医療行為を単独で行なうことは危険であるとして、反対の姿勢を崩しませんでした。

 日本医師会が相変わらず頑迷固陋なままなのは想定の範囲内ですが、私が理解できなかったのは日本看護協会も態度がはっきりしなかったことです。ようやく2月になって、「医師との連携・協働の元に自律して一定の医療行為が行なえる看護師」として日本版ナースプラクティショナー創設に向けて意見をまとめましたが、やはり遅きに失したということでしょう。

 確かに、アメリカでは医師より安いからという経済的理由でナースプラクティショナーが導入されているという面があることは否定できません。医師代わりに使われるのではたまらん、看護とはそもそもそういうものではないという主張も理解できます。ただ、チーム医療の担い手として、チーム一体として取り組んでいく中心的スタッフという位置付けであるならば、自律して働けるナースを目指すのは当然のことではないでしょうか?

 制度導入が遅れる中、私の所属する国際医療福祉大学大学院では2009年春からナースプラクティショナー養成コースがすでに始まっています。基本的な診療や薬の処方までできるようにする2年間のコースです。正式な資格になっていない現状でよく生徒が集まるものだと思いますが、平均11年の臨床経験を持つ8人のナースが学んでいるというから驚きです。

 特定看護師は私としては中途半端な資格であまり納得できませんが、まずは第一歩ということなら仕方ありません。日本は少しずつ少しずつしか変わっていけない国のようです。しかし、まだ検討会の報告書のレベルであることは軽く考えない方がいいと思います。報告書の内容が大きく伝えられると、これで決まったと思う人も多いでしょうが、特定看護師だってできるかどうかすら、本当はまだまだ分からないのです。

 かつて厚生省の「准看問題調査検討会」で「看護師養成の統合」がまとまり、准看養成停止が決まったと思ったにも関わらず、その後の日本医師会の先祖返りのような反対姿勢への転換で、すべてが水の泡に喫した苦い経験をありました。これから、地方の医師会から「看護師に医療行為をさせるとは何事だ」という古典的な意見が噴出することだってありえます。慎重に一歩ずつ進めていく必要がありそうです。みなさんとしては、来るべき日本版ナースプラクティショナーの時代に備えて、心と頭と技術の準備を怠りなく進めていくべきではないでしょうか?(以上)

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