第49回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

第49回 医療のあり方は重大な政策!!

 政権交代のかかった総選挙で、この8月は例年にも増して暑い夏となりました。各党がマニフェストを掲げ、連日、激しい政策論争を展開しました。内政、外交の幅広いテーマがありましたが、私は医療問題が主要な争点にならなかったことをむしろ不思議に感じていました。

 救急医療や産科、小児科など、今の医療が危機的状況にあることは、国民の多くが肌で感じる事態にまでなっています。その最大の原因が、「聖域なき構造改革」という旗を掲げ、社会保障を削減することこそ改革だとしてきた小泉構造改革路線にあったことは、多くの専門家の指摘するところでした。

 民主党の鳩山代表が「コンクリートよりいのち」と訴えたことから、民主党は医療の在り方を根本的に変えることを、政権交代の柱に据えるのかと私は思っていました。ところが、実際に作られたマニフェストは子育て支援策などが中心であって、医療について踏み込んだ提言はありませんでした。

麻生総理が小泉構造改革路線との決別を宣言したために、違いを見せにくいと判断したからなのかもしれません。マニフェストの「民主党の5つの約束」の中に「年金・医療」という項目が入ってはいましたが、「後期高齢者医療制度の廃止」と「医師数を1・5倍に」だけが具体的な政策だったというのは、拍子抜けでした。本編の中では、医療供給体制の再建、診療報酬の増額、地域医療計画の抜本的見直しなどにも言及はされていましたが、具体的な数値目標などはいっさいありませんでした。


 医療の在り方というのは国のカタチを決める最も重大な政策です。オバマ大統領が今、最大の政治課題として取り組んでいるのが、まさにこの医療保険改革です。言ってみれば、アメリカは今、日本の国民皆保険制度を見習おうとしているわけです。しかし、自由市場主義を基本理念とするアメリカでは、日本では想像できないほど抵抗も強いようです。クリントン大統領時代に、今の国務長官を務めるヒラリー夫人が旗振り役となって、改革を目指しましたが、頓挫したという苦い経験があります。


 今回の総選挙は日本の政治にとって歴史的選挙であったわけですから、医療の在り方についてダイナミックなチェンジを打ち出す最大のチャンスだったはずです。今の医療が問題ないというならまだしも、崩壊の危機と国民の多くが認識している中では、新たなグランドデザインを提示しない方がむしろ異常だったのではないでしょうか。

 今回の総選挙では、東国原、橋下ら人気知事らが地方分権をマニフェストに掲げるよう各政党に迫りました。彼らの人気を利用したいという政党の思惑が哀れにさえ思えるように、新米知事らに大政党は振り回され続けました。「総裁候補にさせろ」とまで迫られて、さすがに国民も興ざめしましたが、彼らが迫った地方分権とはいったいなんだったのでしょうか?「ぼったくりバー」という刺激的な言葉で、注目を集めたさせたのはお見事だったかもしれませんが、地方分権の中味の議論はほとんどなされないままに、とにかく地方分権は素晴らしい政策だという大前提のままに、大騒動になってしまったのは情けない限りです。

 地方分権はひとつの手段にすぎず、むしろ目的にすべきなのは「地方自立」であると私はかねてから思っていました。地方分権が住民にとって具体的にどういうメリットがあるのか、場合によっては地域間格差がさらに拡がることも覚悟しなければならないということを理解していた人はどのくらいいたのでしょうか? 民主党が「地域主権」という言葉に置き換えて、マニフェストに掲げたことは彼らの意地を示したものと見るべきだとは思いますが。

 ただ、民主党が地域主権というなら、その具体策と住民にとってのメリットを提示して欲しかったと私は思います。たとえばこんな言い方はできなかったものでしょうか。「地域主権の医療を目指す!」つまり、地域主権の具体策として医療の在り方を提示することはできなかったかということです。医療は最も中央集権の徹底した分野です。厚生労働省が圧倒的に始動している分野でもあります。民主党がぶち壊そうとしている官僚主導が行き届いている世界です。

 もちろん、国民の健康を守るために国が責任を持つということは大事なことです。しかし、医療のすべてを全国一律に細かく規定しなければ、国民にとって満足のいく医療は実現できないものなのでしょうか?診療報酬の細部まで国が決め、病院の在り方も、スタッフの配置も、ベッドの数も、すべて国が決めなければ絶対にいけないというものなんでしょうか?


 地域主権の医療だったら実際にはどうなるだろうか?って、みなさん、考えてみて下さい。これは頭の体操です。民主党は実際にはそんなこと、主張していませんでしたし、争点にもなっていなかったのですから。でも、私はもし、民主党がそこまで言い切っていれば、目指すべき国のカタチはもっと明確に伝わってきたのではなかったかと思うのです。

 地域ごとにどんな医療供給体制を作るか、それが地域の住民の裁量に任されたなら、それぞれの地域は必死になるでしょう。自分たちの生活圏の中で、各医療機関をどのように有機的に連携させていくべきなのかを、徹底的に工夫しなければ、自分たちの安心は守れなくなるのです。国の規制を自分たちに地域だけはずしてみようという発想も出てくるに違いありません。

 以前、東京杉並区の川北病院の川北博文理事長が、「ER特区構想」を掲げ、アメリカのERドクターを招いて最先端の救急医療を地域で実験的に実践したいという提案をしたことがありました。厚生労働省はこの構想を受け付けませんでした。規制改革特区のアイデアなのに、なにゆえに国が規制してくるのかと、川北氏は激怒しており、私も同感でした。しかし、これが地域主権であるならば、住民たちの同意が得られさえすれば、すぐにでも実現できるでしょう。。

 地域主権の医療としてどの規模がふさわしいのかを考えることによって、民主党の主張している基礎的自治体というイメージもはっきりしてくるでしょうし、逆にもっと広域の道州制の意義も見えてくるのではないでしょうか。救急医療がそうであるように、医療は基本的には地域の課題です。その地域ならではの創意と工夫によって、自分たちが安心できるカタチを作り上げていくべきではないでしょうか。

 地域住民の意思によって、特別な基準の受け入れ施設を造ってもよし、日本では認可されていない薬や治療法や手術を実施してもよし、外国人ナースを有効に活用してもよし、海外との交流を独自に進めてもよし…。私が以前から主張しているような中西医結合も、中国の病院との医療交流の拠点を作ることにより、本場の漢方治療も合わせて受けられる病院が実現することは可能になるでしょう。

 もちろん、地域が独自に決めたことへの責任は地域全体で負わなければなりません。国を悪者にして責めたてたりはできません。それこそ、主権であって、民主主義の基本です。政権交代で国を変えるというなら、こういう具体策に踏み込んでこそ、意義があると私は思います。キャッチフレーズだけ踊って、聞こえのいい言葉に翻弄されることの過ちをもう繰り返したくないと強く思うのは私だけではないでしょう。


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前々回の47回のコーナーで取り上げたミュージカル「葉っぱのフレディ」の来年夏のニューヨーク公演についてですが、募金の受け皿が決まりました。日野原先生の長年の夢であるニューヨーク公演実現のためにご協力をいただける方は、下記のサイトから資金提供をお願いします。

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