今年もまた、私がプロデュースしているミュージカル「葉っぱのフレディ」の上演が近づいてきました。連載の12回目にも書かせていただきましたが、2000年の初演から数えて、10年目になります。企画・原案の日野原重明先生から依頼を受けて、私がプロデューサーを引き受けざるをえなくなって始めたミュージカルでしたが、まさかこんなに長く継続して上演してこられるとは夢にも思いませんでした。
私の主な仕事はスポンサー集めです。なぜ、自分がいろんな企業に頭を下げて、資金集めをしなければならないのか、投げ出したい気持ちになることもしばしばでした。しかし、夏の本番の舞台で、子供たちのストレートな歌声が劇場いっぱいに響き渡り、私自身、感動の涙を流し、お客様から賞賛の声を寄せられると、ああ、続けられてよかったなぁ…と思って、またがんばってしまうのです。
とはいうものの、今年はこれまでにない厳しい経済情勢ですから、長くお付き合いいただいた企業も次々と撤退してしまいました。たまたま今年は九州各県をツアーで回りますが、それは地元の企業のみなさんが支えて下さるおかげです。資金的に厳しい状況は知恵で乗り切るしかないということで、今年は特別の仕掛けを考えました。
連載45回目でご紹介した日本看護協会の前常任理事のたかがい恵美子さんにミュージカル「葉っぱのフレディ」サポーターになっていただくことで、日本看護協会の全面支援をお願いすることができました。たかがいさんにはあらゆる場所でアピールしていただくとともに、我々もフレディの仲間として、看護界の新しい顔であるたかがいさんの認知をあげる場をご提供していきます。お互いにとってメリットのあるいわゆるウィンウィンの関係を目指そうと思っています。
その一環として、日野原先生とたかがいさんの対談を日本看護連盟の情報誌「アンフィニ」誌上で行いました。ミュージカル「葉っぱのフレディ」がきっかけとなって実現した企画ですから、たかがいさんも大喜びでした。ところが、この対談が大騒動を巻き起こすことになったのです。
対談の冒頭、日野原先生がいきなり「僕はこの作品をニューヨークに行って上演したいんだ」っておっしゃったのです。これは先生の以前からの夢であって、私もなんとか実現できないものかと挑戦をしてきました。2年前には、実際にニューヨークの舞台を仮押さえして、具体的な準備も進めたことがありました。最大の課題は資金です。
ニューヨーク公演だけに6000万円の協賛金が必要でした。国内の公演分と合わせて1億2000万円の資金集めに私は奔走しました。こういう仕事をする人間というのは、このプロジェクトで私しかいませんので、あらゆる人脈を駆使して、依頼して回りました。
私が孤軍奮闘しているのを見て、救いの手を差し伸べてくれる人も出てきました。自分の知り合いの大企業の社長に私を連れて行って、一緒に頭を下げてくれたのです。ソフトブレーン創業者の宋文洲さんです。ありがたいご厚意でした。
その結果、だいたい1億2000万円の目途が立つところまで行きました。そしていよいよゴーサインを出そうかという時になって、いきなりアメリカでサブプライムローンの問題が起きたのです。これをきっかけとして、株価が一気に下落し始めたため、協賛を約束してくれていたスポンサーが数社、降りてしまいました。それで泣く泣く断念せざるをえなくなってしまったのです。
その代わりとして、昨年の洞爺湖サミットの連動プロジェクトとして、サミット開催に合わせて恵庭市で特別公演を行いました。会場にはジュニアサミットに参加している世界各国の子供たちを招待しました。はたして海外の子供たちのハートをつかむことができるかどうか、心配もあったのですが、結果的には大成功でした。全員がスタンディングオベーションで日本の観客以上に感動の拍手を送ってくれたのです。日野原先生がこれはNYでもいけると思ったのは、やむをえないことではありました。
しかし、それ以降は、リーマンショックもありましたから、とても再チャレンジをするムードではありませんでした。ですから、私は当分の間は無理だと諦めていました。ところが、日野原先生の夢を聞いた瞬間にたかがいさんが反応を示したことにより、事態は急展開を見せることになったのです。
「先生、日本看護協会には60万人の看護師がいるんです。一人100円ずつ出せば、6000万円ですよね。先生の100歳のお誕生日のお祝いにしましょうよ」たかがいさんは無邪気にそう言いました。日野原先生が大喜びされたのは当然のことです。日野原先生は早速、私の元へ来年8月のご自分の日程を送って来られました。来年8月でもすでにいくつかの日程が入っていたのですから、驚きです。しかし、この時点で日野原先生の中でニューヨーク公演は決定事項となってしまったのです。
60万人会員が全員100円ずつお金を出すということが現実的に可能なことなんでしょうか?協会の運営資金の中からまとめていただけるのなら、こんなにありがたい話はありませんが、そんなことが許されるはずなどありません。日本看護協会の会員だけで無理ならば、もっと幅広く資金提供を呼び掛けていく必要があります。しかし、最大の問題は万が一、資金が6000万円に到達しなかった場合です。その際は、誰がリスクを取るというのでしょうか?
限られたスポンサーにお願いしていた場合は、事情を説明して、金額が目標に到達しなかったからと言って、途中で中止することもできます。しかし、幅広く、一般の人に声をかけた場合には、中止のしようもありません。常識的に言えば、この話はなかったことにすべきでしょう。あまりにもリスクがありすぎます。それなのに、私はそういう常識的決断ができないでいます。いよいよ夢が実現するぞと大喜びされている日野原先生に、今さら諦めて下さいとはどうしても言えないのです。
考えてみれば、もともと常識ではありえない形で誕生した作品です。いきなり私に振られた時は、3ヶ月後に2000人のホールを抑えてあるのに日野原先生が書かれたという台本しかないという状況でした。3か月で新作ミュージカルなんてできっこないといくら説明しても理解してもらえず、絶体絶命の中から作り上げた作品でした。舞台の幕が上がった時はまさに「奇跡が起きた」と感動した次第でした。
日野原先生は先日、朝日新聞のコラムにニューヨーク公演のことを書かれました。それを読んだあちらこちらの友人たちから、「NY行くんだって?」というリアクションが入ってきました。既成事実をどんどん積み上げていくというのが日野原流です。初演の時も、なんとか断念してもらおうと思案している私の気持ちは意にも留めず、全国各地の講演会で「黒岩さんがミュージカルを作ってくれることになりました」と宣伝し始めるわ、三笠宮殿下ご夫妻をゲストで呼んでしまうわ…で、逃げるに逃げられなくなってしまったのです。
確かに、あの時はそれでも舞台は完成しました。あれくらいの強引さがなければ、大きな仕事はできないのかもしれません。しかし、だからといって、やればできるという安易な成功体験ができたとしたら、それはあまりにも危険すぎます。無謀な挑戦にもなりかねません。私は今、10年前と同じ、苦境に立たされています。ダメなものはダメと突っぱねる強さがあればいいのかもしれませんが、私は断ることが最も苦手な人間なんです。
もし、募金の受け付けを始める腹が決まれば、この欄で呼びかけることもできたでしょう。受付を始めるのが早ければ早いほど、効果があるのは分かり切ったことです。しかし、結局、現時点では結論を出すに到りませんでした。
「日野原先生のお祝いだったらどうぞ使って下さい」と、巨額の資金提供を引き受けて下さるかたが出てくれば、それで一気に解決です。どなたかそんな奇特な方をご存知ないでしょうか?http://www.freddie.co.jp/index.html(以上)
一覧にもどる