第43回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

第43回 ~メディカルスクールについて考える~

 先日、高校の後輩に35年ぶりに会って驚きました。 彼はもともと東大経済学部を卒業後、官僚として働いていたはずでしたが、いつのまにか医師になっていたのです。 いったい何があったのか、食事をしながらたっぷりと話を聞きました。

 彼は中央官庁でエリート官僚として16年間、働いていたのですが、その仕事の中でバイオに興味を持つようになり、役所を辞めてバイオベンチャー企業を支援するためのファンドを立ち上げました。村上ファンドの村上世彰氏とは高校の同期だったそうですが、わが母校の卒業生はユニークな人材には事欠きません。

 元来、凝り性の彼はバイオに関わるうちにもっと自分自身でバイオのことを研究したくなって、医師になる決意をしました。彼は東大卒業とはいえ、文化系です。改めて理科系の医学部を受験するのはたいへんなことです。しかし、彼はいとも簡単にその壁を超えてしまったのです。しかも受験勉強はほとんどしなかったというから驚きです。

 実は、彼が医学部に入ったのは、高校生と一緒にいわゆる大学受験をしたのではなく、学士編入制度で3年生から医学部生になったというのです。試験は生命倫理についての英語の論文でした。バイオを勉強していたからこそ、準備なしでも答えることができたと言います。

 結局、彼は4年間、北海道大学医学部で学んだ後、47歳で医師国家資格を取得しました。49歳の今は自分の子供のような人たちと一緒に臨床研修医としてがんばっているということでした。

 全国80の医学部のうち36校がこのような学士編入制度を採用しています。私も大学受験では苦労しましたので、医学部受験のたいへんさはよく知っています。社会人になってから挑戦するのはよほどのことでないかぎり不可能でしょう。ですから医師になるには、たとえ何年浪人しても高校卒業後に医学部受験をしなければ無理だと思い込んでいました。それだけに医学部の学士編入制度は、社会人に希望の光を与えるのではないかという気がしました。

 それならナースでも医学部に編入する人もいるのではないだろうかと思っていると、拍子抜けするくらいにすぐに見つかりました。たまたま私たちが取材した東海大学の医学部には保健師の資格を持つ松浦宏美さんがいたのです。10年間、保健師として働き、31歳の時に学士編入したと言います。

「もっと主体的に患者さんに関われる仕事をしたい、そうすると医師しかないと思い受験を決めました」とテレビカメラの前で明るく答えてくれました。本来は保健師自体がもっと主体的に患者さんと関われるようになっていくべきなんでしょうが、それを妨げるさまざまな壁がある現状では、自ら医師になった方が早いと彼女は感じたようです。順調に行けば、近い将来に彼女は保健師と医師の資格を併せ持つ存在になります。保健師の前に立ちはだかる壁を突破するような仕事をしてくれることを期待したいものです。

 実は今、医師養成のあり方に大きな議論が起きようとしています。それはメディカルスクール構想というものです。今の医師養成コースは高校卒業後、6年間の大学の医学部教育となっています。メディカルスクールというのは、大学を卒業した人が入る大学院のようなもので、4年間の専門教育を受けることになります。今は最短で24歳で医師になれますが、メディカルスクールでは26歳になります。大学の学部は問いませんから、法学部や経済学部出身でも医師を目指すことができるようになります。看護大学を出てから医学部に進むというのも、学士編入よりもより簡単にできるようになります。

 臨床医として適性を疑うような医師が多いのは、今の医師養成のあり方に問題があるからではないかというのが、そもそもこの議論の出発点でした。何故医師になろうと思ったのか、私の周りでもその動機付けは“不純”なものが多いようです。高校時代の成績がよかったから。親が医師だから。一生食いはぐれることがなく、楽な暮らしができそうだから。女の子にもてそうだから…。

 むしろナースの方が動機付けがはっきりしていて“純粋”な人が多いようです。漠然としたナースへの憧れだけではなく、自分や家族の闘病体験がベースとなって、病気で苦しむ人のチカラになりたい、いのちを支えたいと思ったという人がたくさんいます。私の周囲を見渡すかぎり、医師の中には人のいのちを救いたいからというような言い方をする人の方が少ないかもしれません。

それは医師になる決意をするのがあまりにも若すぎるからではないかという見方があります。そもそも医師になるには難しい医学部試験を突破しなければなりません。そのためには高校生の時に進路を決めなければなりません。だから動機付けよりも進路指導が先になってしまって、不的確な医師が誕生してしまうというのです。メディカルスクール構想はそういう問題点を克服するために、出されてきたアイデアです。

 実はアメリカ、カナダ、オーストラリアなどはメディカルスクールを採用しています。日本の医師は高校卒業後、大学医学部に進みますが、その時点から基本的な交友関係は医療関係者だけの狭い世界に限定されてしまいがちです。ところが、アメリカなどでは4年間の大学生活で法律や経済などを学ぶ生活を送った後、医学の専門教育を受けますから、必然的に医療関係者以外の人脈も豊富になりますし、物の見方も広くなるでしょう。それは臨床医として、重要な素養となるに違いありません。

 今、この議論が日本でも起きようとしているのは、医師不足解消の妙薬としても期待されているからです。大学医学部の定員を増やす方針を決めましたが、実際に医師の数が増えるには最低6年以上はかかります。メディカルスクールを採用すれば、大学卒業生はたくさんいるわけですから4年で医師が誕生することになります。

 東京都は検討委員会を始めていますし、4つの病院団体協議会も導入に向けた報告書を発表しています。まだ、表立って反対の声は表面化していませんが、取材してみると、絶対に反対とする関係者も少なくはないようです。教育期間が少なくなると医師の質が落ちる、教員が確保できない、養成コースが二つというのは問題だなどというのが主な理由のようです。

 さて、ナースのみなさんはこの構想をどう受け止めるでしょうか?大卒ナースには医師への道も開かれるというのですから、歓迎する人もいるでしょう。医学部に行きたかったけど、偏差値が足りなくてナースの世界に入ったという人にとっては願ってもないチャンス到来でしょう。でも、ナースから医師になってしまえば、もはやナースであったことは忘れて医師として発言するだけになってしまうのではないか、ナースの世界から優秀な人材が医師に移行してしまうことになりはしないか、心配するムキもあるでしょう。

 また、資格を取得するのに複数のコースがあるというのはナースの世界が抱える負の部分であって、メディカルスクールに反対する医師の気持ちも分かると思う人も多いかもしれませんね。

 ただ、私としてはナースのみなさんがメディカルスクール構想の是非を考えると同時に、改めてナースという資格そのもの、看護教育そのものを見つめ直すべきではないかと思います。せっかくナースの資格を持ちながらも、医師にならなければ満たされない思いがあるとするならそれはいったい何なのでしょうか?当然、社会的地位、収入などの要素もあるでしょうが、ナースがナースとしてもっともっと高めていけるような仕組みにすることが最も重要なことではないでしょうか。

 看護学校を卒業したけれど、基礎的看護技術すらほとんどできない新人ナースが多いという状況を耳にします。動機付けはしっかりしていたにもかかわらず、臨床で不的確なナースを送り出してしまうというのはどういうことでしょうか?そういった看護教育の実態をまず改善しておかないと、メディカルスクールに優秀な人材をどんどん吸い取られていってしまうだけになってしまうのではないかと危惧する次第です。

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