この連載の第32回「父の死が教えてくれたこと」で書いた内容が本になり、このたび講談社から出版されました。「末期ガンなのにステーキを食べ、苦しまずに逝った父~中西医結合医療の可能性を信じて」という本です。今回はこの出版の背景をご紹介しながら、ナースの仕事に役にたつ視点を提示してみたいと思います。
まずはずいぶん長いタイトルの本だなと思われたと思います。私も驚きました。タイトルは出版社がつけるので、これは私自身のアイデアではありません。分かりやすいと言えば確かにそうですが、ちょっと長すぎるような気もします。ただ、出版社としてはできるだけたくさん売りたいという思いから、必死でタイトルを考えているわけですから、私は信頼していた編集者であったこともありお任せすることにしました。
私の著書はこれで11冊目となりますが、本の出版というのはたいへんです。今回の本も執筆に2年もかかってしまいました。しかも、本というのは作家が原稿を書いたら、それがそのまま本になるというようなものではありません。編集者との共同作業が必要なのです。
作家は自分が書きたいものを勝手に書いていますが、編集者はそれがどうすれば売れるかを考えます。作家が書いた原稿がそのまま本になるというのはよほどの大御所でないかぎりないでしょう。編集者からはさまざまな注文が出され、作家はそれに応えるべく必死で闘うのです。
今回も激しい闘いがありました。そもそも私が書こうと思った内容は「中西医結合医療」でした。中国伝統医学の漢方と西洋医学の融合した新しい医療によって、私の父の末期肝臓ガンが完治したという事実を書こうと思ったのです。私のイメージの中にあったタイトルは「父のガンを完治させた中西医結合医療」とか「日本の医療を変える中西医結合医療」など、「中西医結合医療」という言葉が前面に出ているものでした。
しかし、私の原稿を読んだ編集者は、それでは本は売れないと判断したようでした。彼にとって私のオリジナル原稿が面白かったのは、父と私の親子の関係だったということでした。「どうして黒岩さんが自分のお父さんのためにそんなに必死になって闘おうとしたのか、その部分が非常に面白いですね」と言うのです。
そこで彼から要求が出されました。「お父さんのことをもっともっと書いて下さい。黒岩さんとお父さんの関係がよく分かるような、子供時代のエピソードなどもどんどん書いてみて下さい」私はその要求に応えるべく、薩摩隼人だった父が幼い私に託していた夢のことなどを思い出し、書き綴りました。それは私が書こうとしていた中西医結合医療とは特に関係のないエピソードでした。
私が追加で書いた原稿を彼に送ると、彼はそれを元の原稿に大胆に入れ込むとともに、中西医結合医療について私が書いていた部分は大幅にカットしてきました。それだけではなく、原稿の順序や校正も自由自在に変えてきました。
20年前に初めて出版した時はそういう作業に戸惑い、反発もしました。作家である自分の原稿がどうしてそんな風に変えられなければいけないのか、納得がいきませんでした。しかし、結果的には自分のオリジナル原稿よりもはるかにいい本が出来上がったことで、私は本作りとはそういうものなんだと学ぶことができました。
実は今回も元の原稿では父の闘病ドキュメントの部分と、中西医結合医療の部分のつながりが今ひとつうまくいっていなかったのです。自分でもその欠点はよく分かっていました。しかし、どういう風に作り変えればいいか、よく分からなくなっていました。作り変えるには、原稿をバッサリと落とす作業も必要です。しかし、自分で書いた原稿というのはなかなか削ることができないものなのです。
これ以上自分ひとりでもがき苦しむよりも、編集者の客観的な目で整理してもらった方がいいと判断して彼に委ねました。本来は原稿をこんなに書き込む前に、あらすじと目次の段階で編集者と相談し、方向性を決めてから書くというのが効率的な本の作り方です。今回は1人で走りすぎてしまいました。
いっぱいに書き込まれたものを修正するのは、編集者としてはかえってたいへんです。しかし、彼は見事にその期待に応えてくれました。再構成してもらって出来上がった原稿を最初から読んでみると、驚くほどに私のオリジナル原稿の持っていた欠点が見事に改善されていました。
彼とは20年近い付き合いですが、一緒に本を出版するのはこれが初めてのことです。「いつか一緒にベストセラーを作ろう」というのが、私たちの夢でした。しかし、彼はプロとして妥協を許さない厳しい編集者でしたから、私が持ち込む企画になかなかゴーサインを出してくれませんでした。原稿用紙にして100枚以上を書いて見せてボツにされたことも一度ならずではありません。実は彼はこの2月で講談社を定年退職することになっていました。私もこのまま時間切れになってしまうかと半ば諦めかけていました。そして最後の賭けともいうべき原稿を、去年の秋、彼に見せたのです。
彼の動きの早さには驚きました。原稿を渡した直後に、「これはいける」という返事をくれました。そしてたまたまその翌日にあった講談社内の企画会議に提案し、一気に出版のゴーサインを取り付けてくれたのです。担当の編集者が出版したいと思っても、社内の企画会議で却下されるというのはよくあることです。その最大の壁をアッと言う間に超え、早々と発売は1月22日と決定されました。
発売日が決まると後はそれに向けての作業は急ピッチで進められることとなりました。その中で、先ほど触れた追加原稿の注文や、彼の校正見直し作業が同時並行的に進められていきました。どんなタイトルにするのか、本の表紙はどのような装丁にするのか、帯にはどんな言葉を書くのか、表紙は硬い紙を使うハードカバーにするのか、ソフトカバーにするのかなどなど、編集者の仕事はたくさんあります。
今回は編集者の判断で表紙に父の似顔絵をイラストで入れることになりました。タイトルに合わせて、ステーキを食べている父の様子を北谷しげひさという売れっ子のイラストレーターに依頼したということでした。その北谷さんとは今に至るまで、私は顔を合わせたこともありません。編集者というのは本作りにおいてプロデューサー兼ディレクターのような役割をする人なんですね。ベストセラーになるかどうかはタイトルのつけ方ひとつで決まったりもします。
さて、医療の現場で言えば、作家はドクターで編集者はナースと見ることはできないでしょうか。例えば、ドクターは手術をして患部を取り除きます。しかし、その患者が本当に元気な身体に戻っていくかどうか、そのプロセスはナースの重要な仕事です。手術だけで患者は健康を取り戻すことはできません。回復期における看護が充実していればこそ、後に手術の成果も実感できることになります。
ドクターが病巣を見つめているとしたら、ナースは人間としての患者さん全体を見ているはずです。時にはそこにある種の闘いがあるかもしれません。日常生活に戻った姿を想定しながら、支えるのが看護です。それはドクターには大きな関心事ではないかもしれません。患者にとって手術も大事ですが、どんな日常生活に戻れるかが最終的には患者にとっては最も重大なことになります。そんなナースの仕事は、作家が書き終えた原稿を売れる作品に仕立て上げていく編集者の作業に似ているのではないでしょうか。
いかにも作家の1人芝居に見える本作りでさえチームプレーが必要です。作家にはない視点を編集者が持ち込むことによって、本のグレードは上がります。医療現場にチームプレーが求められるのは当然のことです。それぞれのプレイヤーが異なる視点を持ち、それをひとつに融合させられれば、より質の高い医療が実現できるはずです。ナースとしてどこまで独自の視点を持ちうるか、そしてそれをいかにドクターの視点と融合させうるか、それがナースの仕事の課題と見ることができるのではないでしょうか。
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