第41回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

第41回 ~よきサマリア人のたとえ話~

 先日、新幹線に乗っていた時のことです。「ただ今、急病人が発生しました。医師、看護師の方がいらっしゃれば15号車まで来て下さい」というアナウンスが流れました。急病というのはいったいどの程度の症状なのだろうか?全車に緊急アナウンスするくらいだから、かなり切羽詰った状況なのかもしれない。もしかしたら、心臓や脳の急性疾患でいきなり心肺停止状態になったりしているのではないだろうか。そういえば私が乗った駅でもたくさんの老人が乗り込んでいたし…。私の車両と離れていて様子を窺い知ることもできなかったので、あれやこれやと思いを巡らせていました。

 そして、はたしてそういう呼びかけにはたして実際に応える人がいるのかどうか、私は半信半疑でした。医師、看護師であっても黙っていたら分からないわけですし、名乗り出る義務もありません。逆にわざわざ名乗り出て治療しても、うまく行かなかったら責任を問われる可能性がないとは言えません。今は何でもクレームをつけて医療者を攻め立てる患者、いわゆるモンスターペイシャントも増えています。「触らぬ神に祟りなし」という言葉もあります。余計なことはしないに越したことはないと、居眠りを決め込んでいる医師も看護師もたくさんいるだろうなと思っていました。

 ところがしばらくして、ブルゾンを羽織った一人の青年が猛烈な勢いで私の横の通路を駆けて行ったのです。それはまさに全力疾走でした。明らかに15号車を目指しているに違いありません。彼が医師であるかどうかの確認をしたわけではありませんが、おそらく間違いないでしょう。私はその彼のただならぬ様子に感動を覚えていました。ひとつのいのちに向かって必死で走っていくその後姿がなんとも崇高で美しいものに見えました。

 おそらく彼の身体は反射的に動いていたのでしょう。アナウンスを聞いた瞬間にダッシュし始めたに違いありません。ためらいがあれば、車内であのような走り方はできなかったはずです。まだそんな医師がいてくれたのかと救われる思いでした。

 新幹線は次の駅で緊急停車し、その患者さんは救急隊に引き継がれました。列車到着時にはすでに救急隊がホームで待ち受けていましたから、連携は実に見事に行なわれたようです。患者さんの様子は分かりませんでしたが、なんとかいい結果につながって欲しいと祈るばかりでした。

 発車した後、しばらくするとその医師が通路を戻って来ました。今度は顔がはっきりと見えました。明るい表情ではありませんでしたから、かなり厳しい状況だったのだろうと想像しました。30代半ばくらいに見えました。その前をもう一人の紳士が歩いていました。50代後半の感じでしたが、いかにも医師らしい風貌の人でした。その人が駆けつけた様子は記憶にはありませんでしたが、表情から今、大きな仕事をしたことが伺えました。

 その患者さんは突然の急変に際して、新幹線車中にたまたま乗り合わせた最低二人以上の医師に介抱されたに違いありません。そうだとしたらそれはとても幸運なことでした。たまたま傍にいたというならまだしも、わざわざ新幹線の車両を何両も移動してきてくれたのです。移動するだけでもたいへんなことです。それをリスクも省みず、駆けつけてくれた彼らの人間愛溢れる行動にきっと心から感謝されていることでしょう。

 新幹線ではありませんが、飛行機内で急病人が出た際に医師が申し出るかどうかについて調査した資料があります。旭中央病院神経精神科の大塚祐司氏が同病院の医師を対象に調査したものです。その「航空機内での救急医療援助に関する医師の意識調査」によりますと、自ら申し出ると答えたのが67人中の41.8%(28人)、その時にならないと分からないが49.2%(33人)、申し出ないが7.5%(5人)でした。名乗り出ない理由として、自分の専門領域かどうか分からないが74.6%、法的責任問題を問われたくないが68.7%でした。

 自ら申し出るという医師が4割という数字をどう見るか、私は自分の想像よりも多いという感じがしました。申し出ないと明言する医師が7.5%というのも意外なくらいに少ないと思いました。同じ病院の中での意識調査ですから、少しはカッコつけようと意識が働いたのかもしれませんが、かなりの数の医師がそれだけの意識を持ってくれているならうれしいことです。

 法的責任については「よきサマリア人の法」というのがあります。急病人が出た時に善意で救助に当たった人については責任を問わないという法律です。アメリカやカナダにはありますが、日本にはありません。厳密に法律論だけからすれば、名乗り出て救助に当たった医師は日本では罪に問われる可能性はあります。

 私が新幹線で遭遇した医師たちはやはりそれだけのリスクを犯していたことになります。しかし、実際問題として彼らが罪に問われることがあるでしょうか? 万が一、亡くなったとしても、それで遺族が医師を訴えたりしたら、世論は黙ってないのではないでしょうか。明らかに殺意を持っての行動なら別ですが、車内で起きた緊急事態にいきなり殺意を持った医師が駆けつけるなどということなど考えられません。

 日本にも「よきサマリア人の法」を作るべきだという声もあります。自ら申し出る医師が4割しかいないと思う人は、そう主張するかもしれません。しかし、そういう法律ができれば申し出る医師はほんとうに増えるのでしょうか?アンケート調査の結果では少しは増えるかもしれませんが、実際にアクションに移す医師が増えることについて、私は懐疑的にならざるを得ません。「触らぬ神に祟りなし」と思っている人の多くは法律がどう変わろうと行動そのものに変化はないのではないかと思うからです。

 先日、友人の医師の言葉を聞いて暗澹たる気持ちになることがありました。
「今、救急患者がたらい回しにされているのは医師が少ないからだなんて言ってるけど、あれはウソだね。僕も救急病院で勤務していたことがあるけど、受け入れることは十分できるにも関わらず、面倒な患者だと分かれば『やめとけ、やめとけ』なんて感じで拒否したことなんていくらでもあるよ。自分のところで受け入れなくてもどこかで受け入れられるだろうと思うから、簡単に断っていたからね。あれじゃ、いくら医師を増やしたって事態は改善しないよ」

 たまたま彼のいた病院にそういうことがあったというだけで、まさか救急病院で一般的にある光景ではないでしょう。しかし、そういう現実があることだけは彼自身が当事者ですから、間違いないことのようです。それは医師は正当な事由のないかぎり患者を拒んではならないとする医師法19条「応召義務」違反です。罰則規定はありませんが、許されることではありません。

 一部ではあってもそういう医師もいるという嘆かわしい現実を私は聴いていただけに、新幹線の中を駆けていった医師の姿により深い感動を覚えたのかもしれません。医師、看護師たるものはみんな本来はそうであって欲しいものです。そもそも彼らは人のいのちを救いたいという気持ちから、この職業を目指したのではなかったのでしょうか?それなのに、いつのまに同じ列車の中で消え去ろうといういのちと遭遇しても、見て見ぬふりをするような心になってしまったのでしょうか?

 「よきサマリヤ人の法」を作るよりも、善意による勇気ある行動そのものが結果のいかんに関わらず、多くの人から賞賛される世の中にすることの方がよほど大事だと私は思います。自分の権利ばかり主張し、うまくいかなければすぐに他人のせいにするという今の風潮を正していかなければ、善意は守られません。そのためには小さい頃からの教育も大切です。

 それとともに、私が目撃したような素晴らしい事例をできるだけ多くの人に伝えることも必要だと思います。おそらく当事者の医師は自分で自分の行動を褒め称える発言はしないでしょう。だからこそ、今回私がこの連載で取り上げ、ご紹介することにしたのです。ただ、今になって思えばあの時、私も勇気を持って、「ご苦労様」の一言でもかけて差し上げるべきだったなと反省しているのですが…。(以上)

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