第40回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

第40回 ~やりがい・志の再確認と現実~

 東大医学部卒業予定者約100人のうち、23人が外資系コンサルタント会社、マッキンゼーの就職説明会に出席していたと言いますが、この問題を私たちはどう考えればいいのでしょうか?彼らはとりあえず医師として働くつもりはないということでしょう。医師を目指して、長い間、勉強してきてせっかく医師国家資格を獲得したにもかかわらず、医師の仕事をしないということは、医師以上に魅力的な仕事だということなのでしょう。

 それがマッキンゼーだと聞くと、医療よりも金儲けを優先したいからなのかと思ってしまいます。概して、外資系の給与は桁が違います。リーマンブラザーズの破綻で、状況は少し変わってきているかもしれません。しかし、つい先日も私の大学時代の友人の女性が、外資系投資会社で5億円のボーナスをもらったという話を聞いたばかりです。

 彼女は確かにたいへんに優秀だということですが、それでもやはり高額すぎます。それが世界的な発明をしたとか、素晴らしい会社を起こして大成功を収めたというなら話は別です。金を右から左に動かす目先が利くというだけで、使い切れない大金をボーナスとしてもらってしまうというのは、異常としか言いようがありません。

 東大医学部は受験界の最高峰であって、少なくとも大学入学の時点では最高の頭脳を持った人たちです。それだけ恵まれた才能を持っているなら、最高の収入を得て、いい暮らしがしたいと思っても当然かもしれません。彼らは小さい頃から進学塾に行ったり、有名私立校に行ったり、親もかなりの投資をしているはずです。

 しかし、医師になったところでいきなり高給を得られるわけではありません。特に勤務医の労働は過酷ですし、少しのミスも許されません。最近はすぐに患者から訴えられ、逮捕される危険性さえあります。ワリに合わないと彼らが思ったとしても仕方ないでしょう。

 それよりも外資系に行けば、若くして破格の収入を手にすることができます。都心の超高級マンションに住み、高級外車を乗り回し、いわゆるセレブな暮らしが可能なのです。そんな夢のような生活を手にしたいと思う彼らの選択を誰が非難することができるでしょうか?

 彼らの職業選択の自由を奪う権利は誰にもありません。しかし、なんとなく割り切れない思いを持つのは私だけではないでしょう。別に理工学部、農学部出身のエリートたちがその専門分野とは違った職業についても、なんの問題も感じないでしょう。医学部の学生というのはそもそも人のいのちを守るべく専門教育を受け、医師という国家資格を得るはずの人材だからです。

 医師一人を養成するためにたくさんの税金も使われてきたはずです。特に東大は国立大学ですから、税金の比重は特に大きいはずです。もちろん、私学も含めすべての大学教育には税金が使われていますが、医学部は他学部とは比べ物になりません。それは彼らが医師という国民のいのちを支える重大な仕事につくからであって、なにも大金持ちになっていただくからではありません。


 医師というのは国民全体の財産です。今はただでさえ、医師不足が社会問題になっている時代です。医師の養成数には限りがありますから、医師として働かない彼らの人数分はそのまま医師不足につながってしまいます。厚生労働省もようやく医師不足を認め、医学部の定員を増やすことを決めました。それでも実際に医師が増えるには10年近くかかります。それなら、まずは医師の有資格者には医療の現場で最大限、その力を発揮してもらわなければなりません。そういう緊急事態であるからこそ、新しい医師国家取得者たちがマッキンゼーに行くことに、私はやりきれない思いを感じてしまうのです。

 防衛医大の卒業生は授業料免除と引き換えに、医師国家資格取得後、8年間は防衛省で働くことを義務付けられています。自治医大も同じように地方勤務が義務付けられています。すべての医師国家取得者になんらかの義務化を課すことはできないものか、せめて最低限、彼らを養成するために投入された税金に見合うだけの働きをしてもらうことを義務づけるべきだという意見が出てくるかもしれません。東大医学部卒業生が23人、医師として働くか、働かないかの違いがどれだけ大きなことか、いかに税金の無駄遣いになってしまうか、そういうことを考えると、なんらかの対策が必要だという気がしてなりません。

 ただ、そういう力ずくの方法よりも本当に必要な対策は、医師がやりがいのある仕事であるという環境を整備することです。金では買えない、誇りと充足感を得られるような仕事にしていかなければ、彼らをつなぎとめることはできないでしょう。医師を目指したということ自体、もともとは人の役に立ちたい、病気の人を救いたいという思いがどこかにあったはずです。

 もちろん、医師を目指した動機として、うちが医院だからとか、成績がよかったからとか、いい暮らしができそうだからなどという人たちもいたでしょう。たとえ動機がそのように医療と無縁なものであっても、実際の医療の現場で働くうちに使命感に目覚めていく医師も決して少なくないはずです。しかし、一度も臨床に出ることもないまま、いきなり外資系に行ってしまうのであれば、そういう目覚めのチャンスすら得られないことになってしまいます。

 病院経営者の集まりで、彼らが口々に話していたのは、「今のままでは医師のやる気が失せていってしまう」ということでした。勤務医の労働条件の過酷さが最近、急にクローズアップされていますが、たとえどんなに忙しくても、やりがいのある仕事なら苦にならないはずです。

 私たちテレビ業界も忙しさという点においてはヒケをとりません。私もよく身体が持つなと自分で感心するほど、いつも動き回っています。今の「新報道2001」のディレクターなどは12時を過ぎるような残業や徹夜作業は当たり前で、週末は3日連続徹夜という超過酷な勤務も平気でこなしています。それでもみんなが頑張れるのは、仕事を成し遂げた時の言い知れぬ達成感があるからです。自分が制作に関わった番組がカタチになり、多くの人に見てもらえる喜びを実感すると、疲れなどは一瞬にしてすっ飛んでしまうものです。

 医療の現場も同じではないでしょうか。勤務がどんなに過酷であっても、得られる喜びが大きくて達成感にあふれていると思えるなら、医師が労を惜しんだり忌避したりすることはないはずです。今の最大の問題点は病院がやりがいを感じられる魅力あふれる仕事場になっていないことです。

 ナースにとっても全く同じことが言えます。辞めるナースが後を絶たず、働いていない潜在ナースが60万人もいるというのは、ナースにとってもやりがいを感じにくい職場になっているからでしょう。医療費削減を大前提にする国の政策の問題点は当然、最大の問題でしょう。しかし、医療費を上げればすべて解決するとも思えません。

 私は病院の中のマネジメントのあり方も大きな鍵を握っていると思います。医師としては有能であっても病院経営においては素人同然という院長は多いでしょう。これまではそれですんだのでしょうが、今は時代が違います。ドクターやナースが働きやすく、やりがいを感じられるような職場環境をどう作っていくか、患者からのクレーム処理のあり方はどうあるべきかなど、マネジメントのプロの目で組織を再構築していく必要があるのではないでしょうか。

 そういった視点で考えれば、もしマッキンゼーに行った医師たちがそういう病院経営、マネジメントのプロとして、医療界に戻ってきてくれるとしたら、それはそれで大きな意義があることではないでしょうか。マッキンゼーの仕事としても病院経営のコンサルタントとしてあるべき姿を提示してくれるなら、それは医師の資格を無駄にしたことにはならないかもしれません。短期的には医師不足を加速させるかのような進路選択に見えたが、実はもっと大きな視点から医療界全体を救う仕事をしたということになったというなら、私が感じた割り切れなさも吹き飛ぶでしょう。彼らが桁違いの報酬を手にしても、そういう志を持っていてくれればの話ですが・・・。

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