第36回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

第36回 〜少子化時代の看護教育改革〜

 先日、小さな勉強会で日本看護協会の久常会長のレクチャーを聞く機会がありました。「今後求められる看護師基礎教育~20年後の看護職確保の観点から」という表題でした。
久常会長は厚生労働省の看護課長時代、准看養成停止をめぐって共に日本医師会と闘った私にとっては同志でもありました。

 行動力、交渉力、説得力など、看護界で彼女の右に出るものはいないと私は思っています。高知出身の豪傑ではありますが、とてもチャーミングな女性でもあり、私も大ファンの一人です。今回のレクチャーは概ね、同感できるものでしたが、少し考え方の違いを感じてしまう点もありました。

 大前提として彼女が提示したグラフは衝撃的なものでした。それは少子高齢化が進むとどうなるかという世代別人口を現した推計人口のグラフでした。

  18歳以下 75歳以上
1980年 159万人 366万人
2005年 136万人 1164万人
2030年 89万人 2266万人

 つまり、少子化の進行で看護学生の確保は困難になる一方で、75歳以上の高齢者はどんどん増えていくということです。1980年から50年で、18歳以下の人口が半減するのに、75歳以上は5倍に増えるというのです。これはまさに国家の一大事です。

 さて、どうすればいいかということですが、久常会長は看護職員の離職率の高さに注目しました。病院で働く看護職員の12・4%が毎年辞めてしまうのだそうです。特に新人看護職の離職率が高く、なんと9・2%、およそ10人に一人が1年以内に辞めてしまうと言います。こういった事態を改善することがまずは喫緊の課題であると主張しました。確かに、ただでさえナースの確保がたいへんな時代が訪れようとしている中で、せっかくナースの資格を持って働いている人がどんどん辞めていくのでは、どんな方策も意味を持ちません。

 さらに彼女は離職する看護師の内訳を学歴別に分けてデータを提示しました。それによりますと、大学病院に就職した新卒ナースの中で看護大学卒業の者が0・56%であるのに対して、3年過程の養成所卒業の者が6・19%にも上るということです。つまり、看護教育レベルを上げることがナースの離職を食い止めるのに有効であることを強調しました。

 よって、久常会長は「看護師の基礎教育を早急に改革し、充実させる」ことが必要だと結論づけたのでした。私がかつて久常会長と共に闘ったのも「准看護養成教育を廃止して看護教育に一本化すべき」というテーマであり、看護教育改革は彼女の悲願でもありました。ですから、看護基礎教育を充実させるべきという点で私も異存はありません。ただ、私としては若干の物足りなさを感じざるをえませんでした。むしろ、「看護教育はすべて大学教育に一本化し、その中で基礎教育も充実させる」と主張して欲しかったからです。おそらく彼女の本当の思いは同じなんでしょうが、今は立場上、実現可能なところから主張しようとされていたのだと思います。

 今や看護大学は157校にも達していますが、未だに3年過程の養成所が看護教育のメインであることに変わりはありません。それどころか、未だに2年過程の准看護教育も残っています。医学部が最初から大学教育に一本化されてきたことと比べて、看護教育の改革が遅々として進んでいないのが現実です。

 私は看護師養成はすべて大学教育にすべきだと考えていますが、実は教育の中味については懸念も感じています。どんなナースを育てようとするのかという点で、大学が時代のニーズに的確についていけるかどうかに不安が残るからです。久常会長のレクチャーの中にもその不安を裏づけするような内容が盛り込まれていました。

 それは最初から臨床で使えるナースをちゃんと養成してくれるかどうかということです。最近の新人ナースはほとんどの基礎的な看護技術ができないと友人の看護師長が嘆いていました。「患者のいない状況でのシーツ交換と、簡単な清拭しかできずに唖然としました。いったい何を勉強してきたんだろうと思いましたネ」久常会長もこういう現実を踏まえているからこそ、あえて看護基礎教育の充実を掲げているのでしょう。しかし、どうしてこんな状況になってしまっているのでしょうか?

 今は看護教育の中味は時代とともに大きく変わっています。医療の進歩に合わせて、学んでおかなければならない内容がどんどん増えているからです。3年過程でも専門科目は母性看護学、小児看護学、成人看護学、看護学総論の4科目だったのが、老人看護学が加わって5科目になり、さらに精神看護学、在宅看護学も入って7科目にまで増加しています。それなのに、昭和26年に年間5077時間だった教育時間が、平成8年の改定では2895時間にまで激減していると言いますから、驚きです。一科目あたりの教育時間が減っているのです。

 その一方で、昭和26年当時は3927時間もあった病院実習が、平成8年改定では1035時間と、なんと3分の1以下にまで激減しています。かつては病院実習中心の看護教育だったものが、今は専門科目の“お勉強”中心になっているということです。それがために、看護の基礎的な技術が十分にこなせないまま、新人ナースとして現場に配置されることが多くなっています。それは当の新人ナースにとっても、ストレスのかかる状況であることは容易に想像がつくことであり、それで1年も経たないうちに辞めてしまうことにつながっているようです。

 臨床重視の看護教育に変えていくことこそ、最優先課題ではないでしょうか?ところが、看護教育の年限は伸びてもなんとか看護学ばかりが積み上がっていくのであれば、解決策にはなりません。看護教育が医師教育の弊害を後追いすることはなんとしてでも避けるべきだと思います。医学部教育は専門性に特化しすぎて、それぞれがタコツボ化し、総合的に人間全体を診る医師が育ちにくくなってしまいました。看護までも人間全体を看ることができなくなってしまっては困ります。

 老年看護学と小児看護学をそれぞれの専門教授から理論や歴史を座学であれこれ学ぶよりも、まずは実際の老人や子供に接することから始めるべきではないでしょうか?どんなに看護学理論を身につけても、生身の老人とまともなコミュニケーションができないのであれば、いい看護ができるはずはありません。臨床優先で、実践を後から理論付けていくような教育が望ましいと思うのです。

 私は一部の古いタイプの医師がよく「看護婦の教育レベルを上げたら看護の学者ばっかりできて、現場で働くナースがいなくなる」「理屈ばっかり覚えてるナースより優しいナースがいいじゃないか」と言っていたことをよく思い出します。しかし、看護大学を卒業したナースでさえ、ろくな看護技術ひとつできないという現状を聞くにつけ、彼らの言ってたことが現実化しようとしているのではないかと心配になってくるのです。

 ただ、改めて議論の入り口に戻ってみた時、2030年の少子高齢社会の状況を看護基礎教育の向上だけで救えるのかという問題を直視せざるをえません。私はフィリピン、インドネシアなどの外国人ナースを積極的に受け入れていかなければ、とても支えきれるものではないと思います。しかし、この点だけは久常会長とは全く違う見解でした。日本看護協会会長としては、人手不足の解消のために外国人ナースを入れることには絶対に反対でした。日本人ナースの待遇が下がることを懸念しているのです。

 しかし、彼らアジアのナースはみんな海外で働くことを前提に大学4年生の教育を受けたエリートたちでもあります。3年過程の日本の看護教育、ましてや2年過程の准看護教育を目のあたりにした時、彼らがどんな反応を示すのでしょうか?私は彼らを迎え入れることによって、日本の看護教育をすべて大学教育へと変革させる起爆剤にすべきと思っています。日本人お得意のいわゆる“外圧”を利用した改革です。この点については、残念ながら我が同志であっても、久常会長とは全く平行線のままに終わってしまいました。(以上)

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