第28回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

第28回 〜メディカルジャーナリズムについて〜

 私は国際医療福祉大学の客員教授をしていますが、昨年より東京乃木坂にある大学院での講義に参加しています。元朝日新聞の論説委員だった大熊由紀子教授の授業をサポートするカタチで、都合のつく日程で講義に行っています。そこで今、とってもユニークで、斬新な授業を進めていますので、ご紹介したいと思います。

 私が授業を受け持っているのは、メディカルジャーナリズムコースです。この大学・大学院にはもともとメディアの第一線で働いていた人が何人も教授として名を連ねています。せっかくのそういった人材を活かそうということから数年前よりこのコースができました。
メディカルジャーナリズムというと、新聞や雑誌の記者・ライターをイメージしがちですが、私には初めから映像ジャーナリストを育てたいという気持ちがありました。

 この大学のグループ企業の中にCS放送の「医療福祉チャンネル774」というチャンネルがあります。私がプロデュース・キャスターを務める「黒岩祐治のメディカルリポート」という番組ももう4年目に入りました。グループならではのメリットを活かすべく、この番組制作そのものと大学院の授業とをドッキングさせたのです。

 大学院の学生に企画を出してもらい、そのリサーチから取材、リポート、ゲストの出演交渉、編集、ナレーション、スタジオ出演まで、すべてを本人に担当させました。私一人で面倒を見ることはとてもできませんでしたので、番組専属のディレクターに徹底フォローしてもらいました。

 その記念すべき第一回目の作品がこのたび完成しました。担当した学生は三ツ堀祥子さんです。聖路加看護大学を卒業後、助産師として3年間の勤務を経て、今は再び大学院の学生として学んでいます。彼女が選んだテーマは「患児の兄弟」というものでした。最初に彼女のプレゼンテーションを聞いた時は、私には言葉の意味さえ分かりませんでした。

 「カンジの兄弟」と耳で聞いて分かる人はどのくらいいるのでしょうか?普通の人に通じない言葉は使わないようにしよう。代わりに「病気の子供の兄弟」と言うことにしよう。それが最初の指導でした。助産師の実務経験もある専門家ですから、眼の付け所はさすがでした。しかし、プレゼンテーションでも専門用語が次から次へと続出するのです。それは彼女にとって身にしみついた普通のことのようでした。

 学会発表をするならそれでもいいでしょうが、テレビではそういうわけにはいきません。一般の視聴者にも通じる言葉に代えていくことがジャーナリズムの第一歩です。どんなに難しい内容でも中学生にも分かるように噛み砕いて話すということは、私の担当する「報道2001」においても、常々心がけていることです。

 彼女の問題意識は次のようなものでした。大きな病気になった子供がいると親はその子供のことに集中してしまい、その兄弟への目配りがなくなってしまいがちです。そのことでその兄弟が寂しい思いをし、それが後々にさまざまな心の問題に発展する可能性もあるというのです。医療者は病気の子供だけでなく、その兄弟にも目を向けるべきであり、両親や周りの人にもそういう意識を持ってもらうようになって欲しいというわけです。

 言われてみるとなるほど確かにそうだろうなとは思うものの、なかなか気づかないものです。そういうテーマであるがゆえに放送して取り上げること自体に大きな意義があると思い、私はこのテーマを番組企画として採用することを決定しました。その時の彼女の喜びようはたいへんなものでした。

 彼女は大学時代からこの問題で実際にボランティア活動を実践してきたと言いますから、“筋金入り”だったのです。しかし、自分が活動を実践する当事者であるのと、それを客観的に人に伝えるというのは、全く異なります。そこで、どういう番組にして、どう伝えるか、しかも「メディカルリポート」という番組に合ったカタチにするにはどうすればいいか、考えてもらうことにしました。

 彼女は早速、意欲的にリサーチを始めました。大阪でNPOを立ち上げてボランティア活動を続けているナースにコンタクトを取ったり、大学でこの問題を取り上げている教授に合って取材先を紹介してもらったり、活動の一環として開かれた沖縄でのキャンプの取材に出かけたりと、順調な滑り出しのように見えました。しかし、初めての世界で、しかもいきなりプロ仕様の番組作りをするわけですから、そう易々と進むはずもありません。

 リサーチはどんどん進んだのですが、実際にカメラを回そうとすると、プライバシーの問題で拒否されることが続出し始めました。子供の心の問題ですから、もともとカメラ取材が困難を伴う分野だったのです。あれだけ意気揚々としていた三ツ堀さんもすっかり元気を失っていました。リサーチがどれだけできても実際に取材対象を絞り込み、カメラが回らなければ、テレビの番組にはなりません。

 しかも、私は難しい課題を彼女に課していました。それは番組がなぜこの問題を取り上げるのかの導入部分をどうするかという点でした。もともとこの番組で毎回いろいろな医療福祉の課題を取り上げるとはいえ、その一つ一つには意味づけが行なわれていました。医療崩壊の現状があるからとか、看護師不足の問題がクローズアップされているからとか、医療訴訟が増加しているからとか、今取り上げるべき理由、きっかけは必ず明示されていました。それはテレビ番組では必然の要素と言えます。

 しかし、この「病気の子供の兄弟」という話には今、取り上げるべききっかけはどこにあるのか、少なくとも私には分かりませんでした。たとえば、最近の有名な事件の背景にはこういう問題があったとか、不登校の子供たちを調べてみたらこういう問題との関連が浮き彫りになったとか・・・。やはり、今の時代との関連づけが必要でした。そこで彼女に徹底的にリサーチするように話しました。

 ところが、どんなに調べてみても、そういうデータも研究も出てこないというのです。親殺し、兄弟殺人などの背景にはそういう事情があったとしても不思議はないと思ったのですが、簡単に事件の“原因”とするのは、憚られていたのかもしれません。研究者の論文でもあればいいのですが、それも見当たらなかったようです。そういう状況の中で、場組制作側が勝手に関係づけることはできません。

 きっかけ探しはまた振り出しに戻ってしまいました。取材は進まないし、きっかけは見当たらないということで、三ツ堀さんは窮地に陥ってしまいました。我々も通常の3倍以上の打ち合わせ時間を作って、一緒に知恵を絞りました。まずはそもそもの原点に立ち戻ってみることにしました。三ツ堀さん自身がなぜこの問題に目を向けるようになったのか、それがどうして膨らんできたのか、そのプロセスを丹念に振り返ってみました。すると、ある絵本の存在が浮かび上がってきました。病気の子供の兄弟だった自らの体験を下に書かれた絵本でした。

 結局、その絵本そのものをきっかけにすることにしました。「こういう絵本が出版されたんです」というのは、導入としては悪くはありません。あれこれ思い悩んだ末に、三ツ堀さん自身のきっかけをそのまま使うことにしたのです。行き詰った時は、一つでも解決すると他も自ずから動いてくるものです。

 三ツ堀さんの熱意が通じ始めたこともあるのでしょうが、取材が可能になるところが少しずつ出始めました。病気の子供の兄弟本人とその母親がインタビューに答えてくれたのです。別の家族も協力を申し出てくれました。病院として取り組んでいる院内活動も取材の許可が下りました。収録の日に向かって加速度的に取材は進みました。

 ところが逆に取材が広がりすぎてしまい、論点が見えなくなってきました。今度はその整理です。また原点に戻って、要するにこの話の論点はなんだったのかについて徹底的に議論しました。すると、医療者、家族、地域の問題と分けて論じる必要が浮かび上がってきました。現状紹介の部分とそれに対する対策の部分もゴチャゴチャにしない方がいいことが見えてきました。結局、1回だけで終わらせるのではなく、2話にすることしました。三ツ堀さんのデビュー作はいきなり2つの番組になったのです。

 三ツ堀さんは報告者としてスタジオにも出演し、無事に収録を終えました。その夜はスタッフともどもみんなで祝杯を挙げました。三ツ堀さんも大きな達成感に酔いしれていたようでした。私たちも彼女のひたむきさに付き合ったことで、みんな大きな刺激をもらいました。忘れかけていた番組作りの面白さを改めて体感することができたようです。こうしてメディカルジャーナリズムコースの新たな第一歩が始まりました。この先にどんな展開が待ち受けているか、私自身も今からとっても楽しみです。

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