第26回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

第26回 〜辞めた総理と辞めるナース〜

 安倍総理の突然の辞任には私自身もほんとうに驚かされました。参議院選挙の大敗にも関わらず、いち早く続投を表明した安倍総理は、そのことによって起きる反発も圧力もすべて織り込み済みだったはずでした。どうしてこんなことになったのか、今も釈然としませんが、要するに精神的ダメージによって燃え尽きてしまったということのようです。

 安倍政権は自分が選んだ閣僚たちに足を引っ張られ続けた1年弱でした。大臣としてふさわしくない問題発言や政治と金の問題が次々と出てくるだけでなく、自殺者は出るわ、“絆創膏大臣”まで登場するわ・・・、まさに泥舟状態でした。「安倍総理自身が悪いわけじゃないのに」という声も、危機対応のまずさと、任命責任という言葉でかき消されてしまいました。その挙句の参議院選挙の大惨敗です。結果はすべて総理自身の責任にされてしまいました。

 それでも歯を食いしばって、続投を決め、起死回生を狙って改造内閣で再スタートを切った矢先、またぞろ閣僚に同じ政治と金の問題が出てきてしまいました。そして遠藤農林水産大臣が辞任、それ以外にも底なし沼のように閣僚たちの“身体検査”漏れが発覚しました。もうやってられない!ブツッと音を立てて総理の気持ちは切れてしまったのでした。

 「あそこでギブアップしたから安倍総理にとってはまだよかった。あのまま無理を続けていたら、取り返しのつかないことになった可能性さえある」ある精神科医は分析しています。マスコミでも当初は無責任な投げ出しという論評が多かったですが、全体像が見えてくるにつれて、心と健康の問題という分析が中心になってきています。

 本来、安倍総理は問題を起こした大臣は遠慮なくどんどん切るべきでした。柳沢厚生労働大臣が「女は産む機械」と言った時に、私は安倍総理に直ちに辞めさせたほうがいいと箴言したことがありました。しかし、彼は「小泉総理も誰も大臣をクビにはしていない。唯一の例外は田中真紀子だけ」などと言いながら、かばい続けるのでした。「柳沢さんと心中する気ですか」とまで言ったのですが、彼は断固として首を縦には振りませんでした。

 私は安倍総理とは同じ昭和29年生まれの午年同士で、彼の人となりはある程度は知っているつもりです。彼はとにかく優しい男です。人を憎んだり、貶めたりは絶対にしません。ですから、敵もいませんでした。だからこそ、あの若さで頂点を極めることができたのです。ただし、「優しさ」というのはトップリーダーに求められる資質なのかどうか・・・。ここが難しいところです。

 小泉前総理は確かに閣僚のクビは切りませんでした。しかし、郵政解散の時には、反対派の候補の選挙区にはいわゆる刺客を送り込むなど、徹底した非情・冷酷さも持ち合わせていました。トップリーダーにはある種の非情さも、時には必要なのかもしれません。安倍総理の場合は、人に非情に当たれなくて、結局は自分ですべて引き受けてしまったのでしょう。その結果、最後には最悪の結果を導いてしまいました。

 今回の安倍辞任劇は私たちにいろいろなことを教えてくれているように思えます。みなさんもナースとして働いていて、辞めようと思ったことは一度ならずあるでしょう。燃え尽きてしまって、もうやってられないと切れそうになったことはあるでしょう。私だってフジテレビの社員としての限界を感じ、まさに燃え尽きて辞めようと思ったことが何度もありました。ただ、辞めたいと思うのと、本当に辞めてしまうのとは大きく違います。最後の最後のところで踏みとどまらせるものがあるのかどうかの違いです。

 安倍総理には踏みとどまらせるものがなかったということでしょう。一国のトップリーダーが抱える精神的重圧というのは私たちの想像を絶するものであって、我々と比較するレベルのものとはケタが違うでしょう。しかし、だからこそ、それを側から支える強力な力が必要だったのです。

 燃え尽きて辞めてしまうというのは、どの世界でもあることです。ただ、ナースの世界ではあまりにも数が多すぎるのではないでしょうか。潜在看護師の問題を取材して驚いたのですが、全国にその数なんと55万人というのです。看護師不足が今また大きな社会問題になっていますが、看護師全体の数が少ないわけではありません。働いている看護師の数が足りない、つまり、資格を持っていながら看護師として働いていない人が多い、すなわち看護師がどんどん辞めていってしまうということです。せっかくの国家資格がなんとも粗末に扱われていることに愕然とする思いです。

 今、政府も日本看護協会も各病院も潜在看護師を職場に戻すためにあらゆる手段を講じています。ナースバンクを作ったり、無料の職業紹介事業を行なったり、復職の研修を実施したり、ナースセンター同士をネットワークさせて全国の情報が分かるようにしたり、それぞれの病院ごとに地元の潜在看護師に復帰を呼びかけたりと、きめ細かいさまざまな努力が行なわれています。

 ただ、それは所詮、応急的な処置にしか過ぎません。そもそもナースが辞めなければ潜在看護師にはならないわけですし、それを復帰させる苦労など必要なかったはずです。最大の解決策は、「ナースに一度なったら絶対に辞めようなどとは思わない」魅力あふれる仕事にすることではないのでしょうか。

 もともとナースになろうとする人たちには大きな夢があったはずです。人の役に立ちたい、病に苦しむ患者さんを支えてあげたい、患者さんが元気になって喜ぶ顔が見たい・・・。そのために看護学校で必死に勉強をし、国家試験に合格して、国家資格まで取得したはずです。そんなたいへんな思いをしてまで掴んだ夢をどうしてそんなにいとも簡単に捨ててしまうのでしょうか?

 新人ナースが最も辞めるそうです。理想と現実の狭間についていけなくなっていきなり燃え尽きてしまうようです。最近の子は我慢が足りないという声もよく聞きますが、私には看護学校での教育に大きな問題があるような気がしてなりません。看護はすべて患者さんとの関わりの中にあるものです。しかし、学校でそのような教育をしているのでしょうか?

 看護学を理論的にどんなに頭に叩き込んで、知識をたくさん記憶しても、それでいい看護が実践できるものではありません。生身の患者さんと人間同士でどう向き合うかについて、もっともっと実践的に学習していくことが必要です。看護学生の病院実習の取材をしたことがありますが、彼女たちの異常な緊張感を見ていて、初々しくていいなと思う反面、たったこれだけの実習でプロになっていくことの危うさを感じざるをえませんでした。

 極端な話ですが、看護教育はすべて臨床における実習でもいいのではないかと思います。まず、臨床ありきで、そこから浮かび上がる問題点を理論的に学んでいくべきなのではないでしょうか?普通に人間に相対するだけでもたいへんなのに、ナースが向き合うのはみんな患者さんです。患者さんというのは、ただ単に病気と闘っているだけではありません。それぞれの人生の中で、複雑で難しい状況に置かれているのです。

 病気そのものが治れば解決するというものでもありません。病気によって抱え込まざるをえなくなったものすべてが患者さんにとっては大きな課題なのです。家族のこと、恋人のこと、仕事のこと、将来のことなど、患者さんは病気そのものの苦しみ以上にたくさんのことに悩み、苦しんでいるはずです。そんな患者さんの心に寄り添うことが看護には求められています。教科書に書かれていることをいくら覚えても、ほとんど役には立たないでしょう。相手の目線に立つというのは本当の意味での優しさであって、それを身につけるには現場をたくさん踏むしかありません。

 習うより慣れろという言葉もありますが、まさに看護こそ現場を最重視した教育が何よりも必要だと私は思います。そういう実践的な教育なしに、いきなり生と死の狭間の厳しい環境に放り出される若い人たちこそ可愛そうです。彼らがすぐに燃え尽きてしまってもそれは仕方ないと言えるのではないでしょうか?

 政界もリーダーを育てるシステムがガタガタになっているとよく言われます。かつては派閥ごとにボスがいて、新人政治家は見よう見真似で帝王学を身につけていったものです。それが派閥の弊害が声高に叫ばれたおかげで、今や派閥は形骸化し、それに代わる人材養成システムもできていない状況です。それが安倍総理の脆弱性にもつながったのではなかったでしょうか。

 辞めた総理と辞めるナース。衝撃の安倍辞任劇を見ながら、この両者に共通するものを感じた次第でした。

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