少子化対策が声高に叫ばれている一方で、お産をする場所がどんどん少なくなっているという矛盾した現象が起きています。妊娠したのはいいけれど、医療機関に出産を拒否され妊婦が途方に暮れるというのが悲しいかな、わが国の産科医療の現状です。これにはさまざまな要因が重なっていますが、ナースのみなさんに直接関わるのが看護師の内診をめぐる問題です。
ナースのみなさんにはあえて説明するまでもありませんが、妊婦の産道に指を入れて子宮の開きを確認したり、胎児の頭の下がり具合を確認したり、破水をしているかどうかを診たりするのが内診ですね。しかし、内診がそもそも医師と助産師にしか認められていない行為だったということをナースのみなさんはご存知だったでしょうか?
実際の産科の現場では看護師が行なうことが当たり前の光景になっていましたが、まさか法律違反を承知の上で確信的に行なっていたわけではないでしょう。そもそもナースに許される処置内容には、明確でないことがたくさんありました。「診療の補助」とはいったい何を指すのか、ずっとあいまいなままに放置されてきました。注射という日常的な業務でさえ、正式にナースの処置として認められたのは最近のことです。そういう意味で看護師の内診問題もナースにとっては特別なことではなかったかもしれません。
ところが、平成17年、横浜の産婦人科が看護師に内診をさせていたとしていきなり刑事事件として摘発されたことから、事態は重大な問題に発展してしまいました。全国の産科で看護師の内診にストップがかかり、このためにお産を扱えなくなる医療機関が続出したのです。
“事件”が起きたのは横浜市の産婦人科「堀病院」です。平成15年、37歳の妊婦が長女を出産後、分娩時弛緩出血により大学病院に搬送され、翌年の2月死亡しました。これに対して、遺族が横浜地裁に提訴。堀病院は家宅捜索を受け、病院長らが保助看法違反として書類送検されました。結果的には今年2月、横浜地検は医療現場の実情を考慮して起訴猶予としました。この“事件”の不可思議なところは内診と妊婦の死亡とは因果関係がないにも関わらず、看護師の内診が刑事事件の対象とされたことです。
もともと保助看法を見るかぎり、助産婦は内診ができるが看護師はできないなどと書かれていません。それなのに、厚生労働省はある地方からの問合せに答えるカタチで平成16年に看護課長名で内診は看護師には認められていないという見解を出したのです。堀病院に捜査が入ったのもこの通達が根拠になっていたと思われます。
助産師は全国で約2万6000人いますが、日本産婦人科医会の調査では必要数に7000人足りないそうです。その数の不足を医療機関では50年以上も当たり前のこととして看護師で“代用”してきたのです。正式に法律的な問題はないのかどうかは別にして、事実として幅広く一般化していた処置にいきなりストップがかかったのですから、現場が混乱するのは当然です。
日本産科医会は17項目もある内診の中でも比較的難易度の少ない処置だけでも看護師に認めて欲しいと主張しています。具体的には子宮がどのくらい開いているか(頚菅開大度)、赤ちゃんが膣の入り口から何センチくらいのところまで降りているか(児頭下降度)のふたつです。しかし、頑として首を縦に振らないのが日本助産師会です。資格の上で規定された業務だからダメなものはダメというのです。
助産師の数を増やすことが一番大事な解決策であることは間違いありません。しかし、それは今すぐにできることではありません。養成数を増やしたところで、その人たちが資格を取得して実際の戦力になるまでには何年もかかります。潜在助産師を職場に戻すにしても、数の不足を埋め合わせるには十分ではありません。
それならば現実的に今、この事態をどう乗り越えるべきかと考えるならば、看護師の内診をいかに安全なカタチで実現するか、その具体策を早急にまとめてシステムを作り、実行に移すことではないでしょうか?それにはある一定の条件を満たした看護師に特別な研修を行なった上で、産科医会なり、看護協会なりが認定するというのが最も現実的な方法ではないかと私は思います。
これに対して日本助産師会のある幹部は言いました。
「そんな簡単なものではありません。あくまで助産師を増やすべきなのであって、資格はやはり資格ですから。看護教育の中でキチンとすれば大丈夫でしょうが、今の現状でも看護教育そのものも過密で、とてもそれ以上のトレーニングをすることはできません」
助産師会としては助産師という資格に対するこだわりは強固なものがあるようです。
私はかつて番組の中での発言をめぐって、助産師会から抗議を受けたことがあります。「感動の看護師最前線シリーズ」の中でのことです。アメリカのナースプラクティショナー(専門看護師)を紹介し、このような専門性を高めたレベルの高いナースは日本でも必要になるのではないかとコメントした後、助産師のドキュメンタリーにつなぎました。その時、私は次のように言ったのです。
「実は日本でも昔から“産科の専門看護師のようなもの”がありました。ご覧下さい」
それは助産所で働くある助産師のがんばりを伝える感動的なドキュメンタリーでした。観た人の誰もが、病院とは違った家庭的なぬくもりのあるお産を実践している助産師に思わず拍手を送りたくなるような内容でした。助産師会から感謝状が届いても不思議ではないような番組でした。ところが届いたのは、感謝の言葉ではなく、クレームでした。
「助産師のことを“産科専門の看護師”と言っていましたが、それはデタラメな表現です。助産師は助産師であって看護師ではありません。“産科専門の看護師”などというものは存在しません。訂正しなさい」
私は“産科の専門看護師のようなもの”と言ったのであって、“産科専門の看護師”などとは言っていません。しかも“のようなもの”とまで言って正確を期しているのです。私はそう回答をしましたが、クレームをつけてきた人はどうにも収まらなかったようです。会としての正式なクレームにはなりませんでしたが、その時、私は助産師のみなさんの本音が見えたような気がしました。
つまり、助産師が看護師と呼ばれることへの抵抗感なのです。先のクレームにはそういう一文もありました。「そもそも『看護師最前線』という番組で助産師を取り上げること自体おかしいではないですか?」この感覚は一般の私たちには全く理解できないものです。患者から見れば、助産師も保健師も広い意味での看護師です。そこをいちいち区別して考えることにどれほどの意味があるのでしょうか?
本来は保健師・助産師・看護師と別々に資格が規定されていることもおかしいと私は思っています。資格としては看護師に一本化し、保健専門看護師、助産専門看護師にするべきではないでしょうか?それぞれの資格に対して、みなさんがプライドを持たれることは素晴らしいことです。しかし、私に寄せられたクレームには助産師が看護師を見下すような匂いがあって、とても気になりました。
今回の内診問題についての日本助産師会の幹部の発言を聞いて、私は思わずあの匂いを思い出してしまいました。看護師が、助産師がという前に、今起きている緊急事態をどう乗り越えるかを考えるべきではないでしょうか?日本助産師会が頑迷固陋に自分たちの領分を守ろうとし続けるならば、日本の産科医療の危機はさらに深刻化するのではないかと私は心配でならないのです。