第14回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

第14回 〜「ま・た・ね」〜

 今年の夏もミュージカル「葉っぱのフレディ〜いのちの旅」が全国18回の公演を終え、無事に千秋楽を迎えました。企画・原案は聖路加国際病院理事長の日野原重明先生、私がプロデューサーです。今年はこの公演の中で一人の素敵なナースとの出会いがありました。「ま・た・ね〜がん終末期の患者さまがくれた贈りもの」(講談社)という本を書かれた滝沢道子さんです。

 滝沢さんは日野原先生が情熱を傾けて作られた日本初の独立型ホスピス「ピースハウス」に勤務されていたナースです。今は出産を控えた大事な時期でしたが、大きなお腹で、家族みんなで観劇に来て下さいました。ロビーで声をかけられ、「とっても感動しました」と感想を言っていただき、ご著書を頂戴しました。私にとっては初対面だったのですが、その本を見ると日野原先生が表紙に推薦文を書いておられるではありませんか。そこでご家族全員を楽屋の日野原先生の元へご案内しました。

 その時点ではただ日野原先生のお知り合いをお連れしたという意識しかありませんでした。しかし、後でその本を読んでみて、私はいろいろと考えさせられると同時に、深いご縁のようなものを感じてしまいました。どうして滝沢さんが家族みんなでこのミュージカル「葉っぱのフレディ」を観に来て下さったのか、そして私に声をかけてくれたのか・・・。実はすべてがどこかでつながっていたかのような感覚を覚えたのでした。

 この「葉っぱのフレディ」には不思議なチカラがあります。アメリカの哲学者、レオ・バスカーリアが書いた絵本をみらいななさんが翻訳したもので、105万部の大ベストセラーになっています。葉っぱは散っても春には新しい姿になって生まれてくる、いのちはめぐっている。そんな輪廻転生とも言うべき死生観を淡々と描いた作品です。メッセージ性は強いもののきわめてシンプルな物語であるだけに余計に広がりを持ちやすいのかもしれません。次々にいろいろな人の思いに飛び火していくのです。

 かつて息子さんを亡くされて失意のどん底にあった俳優の森繁久弥さんがこの物語に出会ったことで、再び生きる勇気を得たと言います。森繁さんはこの物語を朗読し、邦楽家の東儀秀樹さんが音楽をつけ、CDとして発売されました。その直後、森繁さんと日野原先生の対談が企画されたことにより、今度は日野原先生が入れ込むようになり、ミュージカル化を思いつきました。そして「感動の看護婦最前線」シリーズでご一緒し、いのちを見つめる看護のあり方を共に追求してきた私がひょんなことからプロデュサー役を引き受けることになったのです。滝沢さんもそんな不思議なつながりの中で、今回私の前に現れたのでした。

 このミュージカルは2000年にスタートして以来、上演を繰り返してきました。オーディションで選ばれた子供たちが葉っぱに扮して歌い踊るいのちの物語です。「春に生まれて冬に死んじゃうんだったら僕はどうして生まれてきたの?」というフレディの問いかけにクレアが歌って答え、葉っぱが一枚一枚散っていくシーンは、何度観ても涙が溢れてしまいます。

 原作は葉っぱだけの物語ですが、日野原先生の脚色により、自らを体現したような老医師、ルーク先生がストーリーテラーとして登場します。舞台の冒頭で、ルーク先生が一人で語る自らの若かりし頃のエピソードがあります。死を覚悟して静かに受け入れようとしていた16歳の少女に対して、「死ぬなんて言っちゃダメだ。がんばれ」としか言えなかった自分への悔恨の気持ちを口にします。「この少女との出会いと別れが私の生き方を変えたのです」というセリフから、「葉っぱのフレディ」の物語が始まります。

 実はこのエピソードは日野原先生の実話に基づいています。この体験が先生を終末期医療に生涯をかけさせるきっかけになったのだと言います。この5分間のシーンを今年も日野原先生は東京公演で3回、自ら役者として舞台に立たれ、演じられました。94歳の現役舞台俳優ですから、日本一の高齢俳優かもしれません。ちゃんとセリフを覚え、身振り手振りよろしく、堂々たる演技を披露され、カーテンコールでは軽やかなステップまでこなされるのはお見事としか言いようがありません。今年は公演の初日に皇后陛下が足をお運び下さいましたが、役者・日野原重明の晴れ姿に惜しみない拍手をお送りでした。

 滝沢さんの本はホスピスで向き合い、看取った27歳の桐山涼子(仮名)さんとの1年を詳細に描いたものです。涼子さんは滝沢さんと同い年の「美人サーファー」だっただけに、共感するところが大きかったのでしょう。二人で死について真剣に語り合い、ともに泣き、励まし合いしている間に二人は患者・ナース以上の強い絆で結ばれていきます。それだけにナースとしての倫理と良心、親友を看取るつらさの狭間で悩むことになったようです。

 「ま・た・ね」というタイトルは涼子さんの座右の銘だった言葉だそうです。「友達と会って別れるとき、もう今度は会えないかもしれないって思うとつらくなるから、必ず最後に『ま・た・ね』って言うんです」明るく前向きに自らの死を受け入れようとする涼子さんの姿が目に浮かぶようです。この本は死を考える人間ドキュメンタリーですが、私にはこの作品がミュージカル「葉っぱのフレディ」とオーバーラップして見えてしまうのです。

 「引越しをするまでのときを読み、準備をするんだ」「死ぬっていうのも変わることなんだ」「いのちはいつまでも永遠に生き続けているんだよ」葉っぱたちのセリフの一つ一つが二人の会話と重なっているような気がします。葉っぱたちが散っていくとき、きっと「ま・た・ね」と言っているんだろうなって想像してしまいます。

 「ま・た・ね」の中で、滝沢さんと涼子さんが深夜、死について語り合うシーンが描かれています。

 「死んじゃったら、どうなるのかな・・・?」
「天国に還るのだと思うよ。私は洗礼を受けても受けなくても、いい人は天国に還るような気がするの。涼子さんもきっと天国だと思うよ」
 「そう?」
「なんで死んだら人は生き返らないのか、教えてくれた患者さんがいたわ」
 「どうしてなの?」
「そこは生き返るのがもったいないほど、すてきなところだからですって」

 なんて素敵なやりとりでしょう。滝沢さんは当時27歳ですが、堂々たるホスピスナースぶりではないでしょうか。彼女はこのエピソードを紹介した後、次のように続けます。
 「患者さまから『死』の話題が出された場合に、一般病院でなら、『何を気弱なことをおっしゃるのですか?まだまだあなたは大丈夫ですよ』と励まし、婉曲に避けてしまっていたでしょう。しかし、あえてホスピスにいる以上、『死』についてたずねられれば、率直に答える義務があると思います。患者さまが自然な形で『死』の準備ができるように手助けできるのが、ホスピスナースの役割です。」

 かつての若き日野原先生の悔悟が今の若いナースにこんなカタチで生きているのかと思うと私も感無量です。そしてそれをつなぐ架け橋になっているのが、ミュージカル「葉っぱのフレディ」だと言えるのではないでしょうか。日野原先生がなぜあれほどまでにこの作品に情熱を燃やされるのか、そこに込められた思いがどんな波動となって人の心に伝わっていくのか、また、同じ思いを持った人がどうやって響き合い、引き付けられてくるのか。滝沢さんは教えてくれるような気がするのです。

 本のあとがきに日野原先生はこんな一文を寄せておられます。
「このホスピスでのすべてのドラマは、みな事実であり、またはミュージカルでもあり、哲学でもあるのだと私は思いました。ミュージカルの幕が下ろされたあとのカーテンコールで、涼子さんがこう歌うのが聞こえませんか。あの7月7日のお通夜に流された曲—
サヨナラなんて 決して今は言わずに NEVER SAY GOOD BYE いつかまた 笑顔で会えるから」

 涼子さんは生前に葬儀屋さんをホスピスに呼んで、自分の葬儀を自分でプロデュースし、詳細を自ら打ち合わせをしていました。通常ではありえないことですが、これもホスピスケアの成果と言えるでしょう。この曲も涼子さんが自ら選んだものだったのです。まるですべてがミュージカルのように思えてきます。ちなみに滝沢さん自身も地元の劇団に入ってミュージカルを演じていたと言いますが、これは単なる偶然と言えるのでしょうか?

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