第08回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

第8回 〜患者中心の医療とは〜

 「医療はサービス業である」と言ったら、ある看護学生たちに抵抗感を示されたことがありました。私は当然のことだと思っていたので驚きました。彼女たちにとってのサービス業とはレストランやホテルやお店などの接客業であって、自分たちが関わろうとしている医療とは質が違うと考えていたようです。

 つまり、サービスとはあってもなくてもどっちでもいいけれど、あった方が気分がいい、所詮、その程度のもの。しかし、自分たちは看護という専門職を目指しているのであってその専門性を患者に提供するのだから、なくてはならない大切なもの。「ファーストフードでハンバーガーを笑顔いっぱいに売っているのとは違うんです」

 なんと傲慢なのか、と思いきや、そう話している本人たちはとってもまともな看護学生であって、勘違いしている風でもありませんでした。看護のことを真剣に考え、真摯な態度で学び、なんとかして一人前になりたいと必死で思っている学生だったのです。そんなに一生懸命に向き合っていたからこそ、サービス業と言われてピンと来なかったのでしょう。それどころかむしろ、サービス業扱いされてカチンと来たのでしょう。

 彼女たちのイメージの中で、サービス業とは仕事の中であまり高い位置づけがされていなかったようです。彼女たちが明確に線を引く基準になっていたのが、おそらく専門性ということばだったようです。確かにファーストフードのバイトさんや、レストランで働くウエイトレスにそれほど専門性は要求されないでしょう。デパートやお店の販売員には商品の知識がある程度は要求されるでしょうが、国家資格が必要なほどの専門性ではありません。

 しかし、看護は人のいのちに関わる仕事であって、患者さんにただ笑顔で接していればいいというようなものではない。専門知識と経験に基づいた的確な判断が求められる仕事だからこそ、学生の間にこんなにたいへんな勉強をしているんだ。それが彼女たちの偽らざる思いなんでしょう。看護学生として自らを鼓舞するための理屈としてはなるほどと思わせるものではありますが、こういう思い込みのままプロになられちゃたいへんだという気もしてしまいます。

 サービス業とは「お客様は神様」という言葉のとおり、顧客中心の世界です。ということはすなわち医療がサービス業でないと言えばそれは、「神様はお客様ではない」と言っているのと同じことです。中心になるべきは顧客、すなわち患者ではなく医療を提供する側だということです。医療の専門家が素人の患者たちに医療を施してやるという発想です。

 彼女たちもそういう言い方をされるとまた違和感を持つようですね。「私たちこそ患者様のチカラになりたい、患者様のための医療を実現したいと思っているのであって、そのために看護の道を志したんです。看護を施してやるなんて発想は微塵もありません」彼女たちの思いは純粋で崇高なものであることは間違いありません。一部のドクターには患者に医療を施してやるという発想をほんとうに持っているとしか思えない人もいますが、ナースにそういう人はあまりいないでしょう。

 彼女たちがそういう発想で仕事をするなら、それはまさに「医療サービスのプロとして働く」ということなのです。確かに病院のナースが患者に対して、「いらっしゃいませ」「毎度、ありがとうございます」「またのお越しをお待ちしています」などと言うのはおかしなことです。しかし、病院ではそれに対応した的確な言葉はあるはずです。「どうされましたか?」「お大事になさって下さいね」「また、具合が悪くなられたらいつでもいらして下さいね」ありがとうというだけがサービス業の言葉ではありません。

 どうして看護学生たちはそこまでサービス業という言葉にひっかかってしまうのでしょうか。それは彼女たちが受けている教育に問題があるからではないかと私は思います。つまり、医療サービスという概念を明確に教えられていない、あるいは教える人がいないからではないでしょうか。「患者中心の医療」という言葉は普通に使ってはいるものの、それは概念的なものであって、実践の中でどうカタチにするのか、言葉にするのかの実践的な教育はあまり行われていないのではないでしょうか。

 サービス業にはCSという言葉があります。カスタマー・サティスファクション、つまり顧客満足という概念です。どうすればお客様の満足度を高めることができるかどうか、実践的トレーニングを積み重ねながら、体得していくのです。

 私の友人のホテルマン、丸ノ内ホテルの徳永みゆきさんは全社員のCS研修を受け持っています。私も部外講師として招かれ、少しだけお話をしたことがありますが、徳永さんの研修ぶりは私自身も感嘆するほど徹底したものでした。立ち居振る舞い、言葉遣い、電話の応対、表情の作り方などカタチだけではなく、気持ちの持ち方、クレーム処理の仕方まで、あらゆる事態を想定した実践トレーニングです。

 笑顔と一言で言っても、どうすればいい笑顔になるか、自分ではなかなか分からないものです。それを目、口、それぞれのカタチを分析しながら、表情とはどういうものか、どういう風にすれば、作り物ではない笑顔が自然に出てくるようになるのか、一人一人に教えていくのです。目だけ笑っていても口が笑っていなければ笑顔にならないというのは、私自身聞いていて目からウロコが落ちるような思いでした。

 と言っても、決められたマニュアルどおりにすればいいというものではありません。誰もが同じような笑顔で、決められた挨拶をするファーストフードの接客とは違います。心が伴っていなければ、ほんとうの接客サービスは絶対にできないと徳永さんは何度も強調します。

 彼女は元は国際線の客室乗務員でした。タチの悪い客もいたそうです。わがまま放題の客、周りに迷惑をかけっぱなしの客、言いがかりをつけてくる客、酒癖の悪い客など、いろいろいたと言います。「味がまずい」と客にコーヒーをかけられたこともあったそうです。中には、機内で急に具合が悪くなる客、心臓が停止してしまった客に心肺蘇生法を実践したことまであったと言います。華やかそうに見える仕事もなかなかたいへんだったようです。

 そこで学び、培ってきたノウハウを今、ホテルマンの接客に活かそうとしているのです。客室乗務員時代から専門学校でスチュワーデスを目指す学生の授業を担当し、その世界ではカリスマ教師と言われていたそうです。彼女の指導を受けた生徒だけが大量にスチュワーデスの採用試験に合格したのです。

 そんな徳永さんのCS研修を受けた社員は目の輝きが違ってきます。私自身もそんな変化を目の当たりにして驚きました。こういった研修を受けたナースはあまりいないでしょう。徳永さんほど徹底していなくても、客と直接に触れ合うサービス業では当たり前のことです。それがこれまで病院でなされていなかったこと自体、病院自体にCSという発想そのものがなかったと言わざるをえません。「患者中心の医療」という言葉がいかに概念的に使われていたかを現す事例だと私は思います。

 徳永さんの噂を聞きつけたある病院関係者が彼女を講師に招き、ナースやスタッフたちへのCS研修を実施したそうです。体位変換、清拭、オムツ替え、食事の介助など看護技術そのものの実践においてはそういうトレーニングは看護教育の中でも行われていたでしょう。しかし、病院の中にいる患者さんはいったいどんな気持ちでいるのかを考え、それに対してどんな表情でどういう声をかけ、視線を送り、接するべきなのか。まさに顧客満足度ならぬ患者満足度を高めるための実践的トレーニングとなったのです。ナースたちにとってそれは衝撃的な体験だったようです。

 ホテルに来る客は基本的にはきちんと宿泊ができればいいわけですから、実はそれほど徹底した心配りがなくても致命的なことにはならないはずです。それなのにどうしてそこまでやるかと言えば、それはホテル業界が激しい競争にさらされているからです。よそのホテルとの差別化をしなければ生き残れないという危機意識があるからこそ、絶対に負けないサービスを実現しようと必死になるのです。

 病院同士にはそれほど激しい競争はなかったから、それほどの問題意識もなくやってこられたのでしょう。しかし、これからの病院はただ単にいい医療を提供しているというだけでは生き残れなくなるのではないでしょうか。そのためにもほんとうは病院こそこういうトレーニングが必要なのではないかと私は思います。患者中心のあったかい病院を目指すためには、医療サービスという概念をカタチにする“院内CS研修”が病院でも当たり前になる時代が来るはずだと私は確信しています。

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