第04回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

第4回 〜仕事を辞めるわけ〜

 せっかくナースになったのに、辞めてしまう人が多いんですってね。新卒の看護職員でほぼ11人に1人が1年以内に辞めてしまうというから驚きです。国民の健康を守り、医療を支えるナースがどんどん辞めてしまうのは国家的損失というべき重大問題ではないでしょうか。
 ドクターになってそんなに簡単に辞めてしまう人はほとんどいないでしょう。それと比べてみると、この違いはいったいなんなのでしょうか。

 「医学部に行くのはたいへんだけど、それと比べるとナースになるのはそれほど難しくないからじゃないの?」「ナースの意識がそれだけ低いということなんじゃないの?」「いい加減な気持ちでナースになっている人が多いからじゃないの?」
 外部の人はいろんなことを考えるでしょうね。いずれにしてもナース全体にとってはいい話ではありません。
 今の若い人には忍耐力がなくなっていることもあるでしょう。生と死の過酷な現実に向き合うことに対して、耐えていけるだけのパワーを持ち合わせてないのかもしれません。目の前には楽なこと、楽しいこと、面白いことがいっぱいありすぎて、我慢することに価値を見出せないのかもしれません。
 女性の場合、結婚、出産のために仕事を続けられなくなるといった側面もあるでしょう。最近は女性の社会進出が進み、家庭と仕事を両立している人もたくさんいます。保育所を併設している病院も増えてきてはいますが、働く女性への子育て支援はまだまだ十分とは言えません。しかし、新卒のナースの中で1年以内に結婚・出産を迎えるナースが増えているという話は聞いたことがありません。新卒1年で辞めるというのは、それ以外の問題があると見るべきでしょう。

 実際に辞めてしまった人たちに聞くと、看護学校で習った内容と実際の看護の現場が大きくかけ離れていて、自信喪失してしまう人がほとんどだと言います。確かに生身の患者さんと向き合うことというのは、看護とはいかにあるべきかという理屈をどんなに学んでも役には立たないでしょうね。
 ということは看護教育そのものに大きな問題があるということではないでしょうか。臨床の現場ですぐに役立つ教育を行うというのが本来あるべき姿です。そういう教育を行っていないからこそ、あっという間に脱落してしまうナースがたくさん出てしまうのです。辞めた人に問題があるというよりも、教育システムそのものに重大な欠陥があると言わざるをえないと思います。

 看護は生身の人と向き合う仕事です。しかもほとんどの場合は、病いを抱えて精神的にも不安定になっている人が相手です。いきなり理不尽に怒鳴られることもあるでしょうし、ののしられることだってあるでしょう。わがまま放題を言われて右往左往することもあるでしょう。固く心を閉ざしてしまって、会話が成立しない人だっているはずです。看護の基本はコミュニケーションですが、たとえ新人ナースであってもいきなり最も難しい応用問題ばかりの現場に放り出されてしまうのです。よほど、実践に即した教育を受けていなければ、とても対応できるものではありません。

 私自身は看護教育を受けたわけではありませんが、看護学生さんと接する機会は多いし、いろいろな看護教育現場の取材はたくさん行なってきました。そんな私の目の前で繰り広げられる教育のほとんどは座学であって、学生さんはみんな看護の理論を必死で勉強していました。病院実習は看護学生さんにとって、たいへんなプレッシャーのようですが、教育カリキュラム全体からすればごくわずかしかありません。ナース養成課程で臨床はあまり重んじられていないと言わざるをえません。

 これはなにも看護の世界に限ったことではありません。医学部教育も同じ欠陥を抱えています。臨床での医学教育はあまり行われないままに医師資格をもらった後でいきなり現場に放り出されるのです。アメリカの医学部教育では臨床の方が中心です。教授と一緒に患者さんに接し、どういう会話をしながら診断をしていくかを実践的に学んでいくのです。
 以前にある大学の救急医学講座が開設させるのを記念したシンポジウムにパネラーの一人として参加したことがありました。そのときのテーマが「救急医療と救急医学」というものでした。大学の救急専門医たちが自分たちでつけたタイトルです。あまり深く考えないでなにげなくつけたもののようでしたが、私にはとても面白いメッセージを含んだ言葉に見えました。

 つまり、救急医学と救急医療は別のものだということなのです。さらに言えば医療と医学は違うということです。医学は人間の体についての科学的学問の体系であるのに対して、医療とはその学問を駆使して実際の患者さんの体を健康体に戻すために行われるさまざまな技術のことを言います。医学は必ずしも患者本人に向き合うことは必要ありませんが、医療は生身の人間を相手にするところから始まります。

 と考えると、いろいろな疑問がわいてきます。大学に医学部はあるが、医療部はないのはなぜかということです。私はそのシンポジウムの中で、医学部の教授に質問をしました。「医学部で医療は教えているんですか?」
 その答えはなんと「教えていない」ということでした。私は愕然としました。つまり、医学部を卒業して医師国家資格を取得したドクターは医療に関して全く教育を受けないまま、医療の現場に放り出されているということです。基礎医学の研究者として生きていくならともかく、病院で働くのであるならば医療の素人でいいはずはありません。医療は臨床なくして成立しないのは明らかです。今の臨床軽視の大学医学部の教育のあり方には患者の立場として、疑問を呈さざるをえません。

 在宅医療などを積極的に進めている、あるドクターが取材中に言った言葉が印象的でした。
 「医学は理科系だけど、医療は文科系なんですよ」
 確かに生身の患者さんとどういう会話をするかというのは、いい医療を実践するために最も重要な要素のひとつです。医学的知識は大事ですが、その知識をどう伝えるか、ものの言い回しひとつで患者は満足もするし、絶望のどん底に突き落とされたりもします。そんなコミュニケーションの方法は確かに文科系的発想かもしれません。
 そう考えてみると、医学部がどうして理科系なのかもよくわかりません。文科系の医学部があっても不思議はありません。

 ところで看護大学は理科系ですか、文科系ですか?ある看護大学の学生さんに質問をしましたが、的確な回答は帰ってきませんでした。看護はもちろん医学や人の体についての科学的知識、素養は必要ですが、それ以上に心理学的知識や発想法など、文科系的要素が強いような気がします。
 最近、看護大学が急速に増えて、高学歴のナースが激増していますが、理科系・文科系というだけでなく、臨床現場を軽視する傾向が出てきてはいないかどうか、徹底的に検証を続ける必要がありそうです。看護学者ばかり増えても、絶対に日本の看護レベルは上がりません。高学歴ナースほど臨床現場を重視して欲しいと思います。

 現場よりも理論を重視するのが日本のアカデミズムの世界の特徴です。現場は一段低いところに見られるという妙な空気が支配しているのです。それは看護の世界でも例外ではないようです。正直言うと、コミュニケーション能力に難ありと私自身が思う看護のエライ先生に出会うことは珍しいことではありません。こういう人に教育される学生はかわいそうだなって思ってしまいます。

 即戦力のナースを養成するように看護教育を改革することが喫緊の課題ではないでしょうか。いったんナースになったら辞めようなんて思わないという状況を一日も早く作り出さなければなりません。それは決して特別なことではなく当たり前のことです。
 まさか、この文章を読んでいる人の中でも、まさかそろそろ辞めようかななんて思ってた人がいるんじゃないですか?そんなもったいないこと、僕はとてもお勧めできません。

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