第03回 黒岩裕治の頼むぞ!ナース

第3回 〜看護配置の実態〜

 「医療事故はなぜ起きるのか」という問いに対して、日本看護協会はこれまでのタブーを破って、明確な答えを示し始めたということをみなさんはご存知ですか?それは単純明快です。「看護職員の数が足りないからだ」と言うのです。看護職員が適正に配置されていないがゆえに医療事故はおきるべくしておきているということです。
 看護職員の配置基準3:1と聞くと、たいがいの人は患者3人に対して1人のナースが配置されていると思います。それなら十分ではないかと思う人は多いでしょう。専門家の間でもそういう誤解は一般的でした。それを1.5:1にしてほしいと日本看護協会が言っても、贅沢な訴えと見られるのがオチでした。しかし、3:1というのはベッドと看護職員の比率であって、交代勤務であり、ナースの休みなども含めてならしてみると、実態は全く違ったものになってしまいます。実は昼間はナース一人で10人、夜は20人の患者を看ているとになるのです。夜勤のときに、患者さん全員がおとなしく寝ていてくれればいいですが、そんなわけにはいきません。中には徘徊する患者や、ナースコールを押し続ける患者もいるでしょう。そんな夜の病棟で、たった一人のナースが20人の患者を看なければいけないと聞かされると、誰が聞いてもそれでは医療事故が起きても仕方がないなって思ってしまいます。
 「やっと数の問題が言えるようになったんです」協会の幹部の一人は私にそう言いました。これまでは数の問題を持ち出すと、すぐに自分たちナースの不注意を数のせいにしていると思われたのだと言います。確かに数を増やせば事故が減るというのは、最も安易な発想と思われても仕方なかったでしょう。しかし、どうしてみなさんの医療現場での実感が大きな声として、きちんと伝わらなかったのでしょうか?
 実は私もナースの取材を長年にわたって続けてきており、ある意味でナース以上に現状を把握しているところだってあると自負していました。それでも、先日、日本看護協会の久常節子会長から、看護職員配置の実態をわかりやすく書いた漫画を見せていただいて、目が覚めるような思いがしました。わかっているつもりではありましたが、自分の頭の中でしっかりしたイメージになっていなかったのです。
 その漫画は左右で昼と夜に分かれていて、昼は10のベッドで寝ている患者さんに一人のナース、夜は20のベッドに一人のナースという実に単純な絵です。久常会長がその絵をスクリーンに映し出した瞬間、会場にどよめきが起こりました。そこは私的な勉強会で参加者はみんな専門家ばかりだったのですが、みんな私と同じ思いを持ったようでした。
 私たちの周りではわかっているようでわかっていないことって、実は意外にたくさんあるようです。私が16年前に取り組んだ救急医療キャンペーンも同じでした。「救急隊は医療行為ができない」という当たり前のことが、みんなわかっているようでわかっていませんでした。救急車は消防署の管轄で、救急車に乗っているのは消防官。彼らは医師ではないから医療行為はできないというのは、普通に考えれば当たり前のことだったのですが、私がその事実をクローズアップして衝撃を覚えた人が多かったのです。
 東京消防庁がいち早くこの点に目をつけて検討を始めた時、「救急隊の応急処置範囲の拡大」という言葉を使っていました。私が最初にこの言葉を聞いた時、右の耳から左の耳へ音声が流れていっただけで頭の中に何も残りませんでした。じっくりと考えてみるとなんとなくわからないでもないような気はしてくるんですが、胸にストンと落ちないのです。しかしそれが、「今は許されていない医療行為を救急隊ができるようにすること」、つまり「医療行為のできる救急隊を実現しよう」ということなんだと解説すると、誰もが問題意識を共有することができるようになりました。表現というものがいかに重大であるかを思い知らされた一件でした。
 言葉と漫画の差はありますが、看護職員の配置の実態を伝えるために、たった一枚の絵が圧倒的なメッセージを持ち、真相を訴える力を得たというのは実に興味深いことです。しかも、医療事故というナースにとって最も切実な問題の解決策を探る中で、この数字に着目したのは慧眼でした。これまでは数字のマジックに惑わされていて、問題の本質を抉り出すことができなかったのです。
 さらに看護配置基準を国際的に比較してみると、一人のナースが看ている患者の数は、アメリカ、イギリスより4倍も多いという現実が浮かび上がってきます。諸外国との比較は議論を分かりやすくする絶大な効果があります。日本のナースたちはこんなにも少ない数で、体を酷使しながらがんばっていたのです。
 厚生労働省はこれまで看護職の需給見通しというものに沿って、ナースの人材確保にあたってきました。その方針からすればナース不足は解消されたというのが基本的認識だったはずです。しかし、現場からはいつも数が足りないという悲鳴が聞こえてきていました。数は足りているはずなのに、不足感があるというこの矛盾をどう見るべきなのか。それが配置基準そのものに目を向け、その実態を知ってもらおうという今回の試みだったと思います。
 日本看護協会の今回の作戦は実にすばらしいスタートを切ったと言ってもいいでしょう。問題はこれからです。実はこの問題について、11月16日(水)、日本看護協会本部で医療安全推進週間の行事として、一般市民、医療関係者などを対象にしたシンポジウムが開かれます。私がコーディネーター役を務めることになっていますが、そのタイトルもなかなか刺激的です。「病院は安全か〜看護2:1の現実」というものです。看護職配置の実態を視覚的に訴えながら、病院の現状を分析し、解決策を探ります。
 こういう広報展開を通じて、より多くの人たちにまずは今の病院の現状を正しく認識してもらおうというわけです。しかし、今のこのご時世にナースの数を増やせという議論はなかなか厳しいものがあることは事実です。増え続ける医療費をどのようにして圧縮するかが今の最大の課題となっている中で、ナースだけを増やすことなどできるのでしょうか。でもこの部分をクリアしなければ、「1.5:1を!」などと言っても、単なる空疎なスローガンに終わってしまいます。
 日本看護協会もかなり知恵を絞ったようです。そして、「看護配置と患者死亡に関連した研究結果」などという面白いデータを引っ張り出して論陣を張っています。それによりますと、患者一人当たりのナースのケア提供時間が1時間増加したら、肺炎の発生率が8.9%低下した。また、ナースの数が1割増加すれば、肺炎の発生率は9.5%も低下したというのです。つまり、ナースの数を増やせば、患者の回復が早くなり、ベッドも効率的に使われるようになる。だから、ナースの増加がそのまま医療費増には直結しないというのです。
 確かにナースの数が増えれば、医療の質は向上するに違いありません。しかし、ナースの数を増やすんだったら、一人一人の給料を下げようという話も同時に出てきても不思議はありません。
 数が必要なら、准看護師や看護助手を増やせばいいという話になる可能性も十分にあります。外国人ナースをもっともっと呼び込もうということも解決策のひとつとして提示されることでしょう。
 いずれにせよ、日本看護協会はむつかしい舵取りを迫られることと思います。少なくとも、今の医療のあり方を大前提にして議論をしていても、なかなか突破口を見出せないような気がします。ただ、今回示してくれた看護配置の実態は病院の現状への警告としては、たいへんなインパクトがありました。こういう現実を見据えた上で、そもそも病院とはいかにあるべきなのか、高齢化社会が進む中で、何を守り、何を捨てなければいけないのかを総合的に議論していかなければならないのいではないでしょうか。

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