フジテレビの黒岩祐治です。今回から、このページに連載させていただくことになりました。92年から続けてきた「感動の看護師最前線」シリーズ全17編を通して、看護の世界をさまざまな角度から取材してきました。いろんな医療現場、看護の現場を幅広く見てきたという点では、みなさんにも負けないと思っています。
そういうご縁から、国際医療福祉大学の客員教授として、昨年、一昨年と続けて「いのちの社会学」という講座も担当しておりました。今年は大学院の方で、少しだけ教えることになりそうです。
私は医療の専門家ではありませんが、患者、あるいはその家族という立場から医療の当事者であることは間違いありません。医療・看護の問題を考える上で、患者の立場からの視点はとても重要なことだと思っています。
私が長く医療現場を見てきて思うのは、医療の狭い世界の中の理屈にしばられていて、普通の感覚とずれてしまっていることがたくさんあるということです。医療現場の外にいる私だからこそ、できるだけ外の世界の話を紹介しながら、みなさんの視野を広げるお手伝いをしたいと思っています。
さて、第1回目の今回は「医療ミス」について、取り上げます。私たちテレビ報道の世界でもミスはつきものです。
私は日曜日の朝7時半からの「報道2001」を担当して14年目になります。生放送ですから、ハプニングやミスの連続です。やり直しがききませんから、ミスは致命的なものにもなりかねません。
私が犯した最大のミスは本番の議論の最中にゲストの名前が瞬時に出てこなかったことでした。その時のゲストは橋本龍太郎元総理と野口悠紀雄東大教授(当時)でした。橋本元総理というのは、キャスター泣かせのやっかいなゲストです。
こちらの質問にはまともに答えようとせず、イヤミばかりを浴びせかけてくるし、逆質問までしてきます。「その言葉はどういう意味で使ってるの?」「そんなことよりもっとこういう議論をしようよ」議論はこちらの想定どおりには進まなくなり、いつも迷走させられてしまいます。
その時も私が「託児所」という言葉を使った瞬間、してやったりという表情で猛烈に攻撃してきました。
「『報道2001』ほどの番組で、今どき『託児所』などという言葉を使われるとは、まったく驚きましたねぇ〜。『保育所』って言うのが普通だと思うんだけどねぇ〜。この番組らしくないなぁ〜」
私は顔から火が出そうでしたが、同時に頭に血が上ってカッとなってしまいました。「託児所」という言葉は一般的に使っている言葉であって、そんな言葉そのものにこだわるよりも政治家ならしっかりと自らの考え方を示すべきではないのか。私は怒りが一気にこみ上げてきました。しかし、本番中であって、私としては議論を進行させなければなりません。
そして、次に野口さんに話を振ろうとした時のことです。その「野口」という名前が一瞬、出て来なくなってしまったのです。橋本元総理の隣に座っている野口さんに向かって質問をしようとしているのですが、どうしても名前が浮かばないのです。
適当なゴマカシ方もあったのですが、橋本元総理の攪乱作戦にすっかり惑わされてしまって、「ええっと、ええっと」と口をパクパクさせるばかり。いかにも名前が浮かばないというのがミエミエの状態になってしまったのです。そこをすかさず、橋本元総理に突っ込まれてしまいました。
「高名な先生の名前を忘れるなんて、なんともまあ、失礼なことだなぁ〜」
確かにゲストの名前を忘れるなんて、こんなに失礼なことはありません。しかし、その一部始終を見ていた野口先生は後で、怒るよりも同情をして下さったことで、私としては救われた思いでした。
それ以来、私はスタジオのテーブルの上に、必ずゲストの名前を書いておくことにしました。どんなによく知っていて忘れるはずのないゲストでも、私から見て座っている順に名前を書いたメモを用意しておくことにしたのです。
スタッフに名前の入った座席表を作ってもらうと、たいがいカメラ側から見たゲストの名前を並べます。それでは私から見れば逆になってしまいます。ですから、必ず自分で作ることにしているのです。
ナースのみなさんのサイトなのに看護の世界とは全く関係のない話をご紹介していて違和感をお持ちになっている方もいるかもしれませんね。ですが、私には無縁とは思えないのです。
キャスターがゲストの名前を忘れるなんて、「ありえない」ことです。しかし、「ありえないことが起きる」というのが、この世の中ではむしろ日常的なことなのではないでしょうか。私も頭では分かっているつもりでした。しかし、まさか自分が忘れるはずはないだろうとタカをくくっていて大失敗をしてしまったんです。
医療・看護の現場でも同じではないでしょうか。医療ミスについての報道ではしばしば「信じられない事故」という表現が使われます。それは記者が医療ミスは起きるはずがないという前提で記事を書いているからです。でも、実際は医療ミスというものは起きるものです。起きるほうがむしろ普通なのです。
私は健康に恵まれていて、これまでの50年の人生で入院したのはわずか一日だけです。今から20年以上も前のことになりますが、入社早々、会議の時の寿司弁当があたって集団食中毒になり入院しました。そのたった一日の入院体験の中で、あわや医療ミスを体験しそうになったのです。
ナースが点滴をしましょうと言って私のベッドサイドに来た時のことです。たまたま側にいた母親が気づいて指摘しました。私自身はうとうとしていましたから、よく事情が飲み込めなかったのですが、母親の声だけは鮮明に覚えています。
「この点滴、名前が違うけど、よその人のと違いますか?」
すんでのところで私は他人の点滴を打たれるところだったのでした。他人の点滴を打つなんて「ありえないこと」だと、患者はみんな思っています。しかし、実際にはしばしば起きるミスのひとつなのではないでしょうか?
そういえば、牛乳を点滴したなどという事故もありました。手術をする際に患者を取り違えてしまったとか、左右逆の足を切断してしまったとか、まさに後から聞くと、「ありえない」ようなミスが実際の現場では起きているのです。
重大なミスを犯した時には、ナースのみなさんも殺人罪に問われることだってあります。自分の顔がテレビに大きく映し出され、名前の下に容疑者という呼称がついているという事態を自分で想像することができるでしょうか?それこそありえないと思っているのではないでしょうか。
それでは、医療ミスを少しでも減らすようにするためには、どうすればいいんでしょうか?私は人間がやることに「ありえないことはない」ということを、まずはしっかりと自覚すべきだと思うのです。自分で「ありえない」と思うのと、「ありえないことはない」と思うのでは、対応が全く変わってきます。
たとえば青信号で道路を横断する時、車が信号を無視して突っ込んでくることなどありえないと決め付けている人は、横など見ないで歩くでしょう。しかし、車が信号を守るかどうか分からないと思う人は、左右を自分の眼で確認しながら慎重に渡るはずです。
私がゲストの名前を度忘れすることは「ありえないことではない」と思ってから、スタジオ本番中にはゲストの名前を必ずメモするようになったことは先にご紹介しましたが、それ以来、同じミスは一度も犯していません。そういった実に簡単なことで、防ぐことのできるミスはたくさんあるはずです。
みなさんが点滴をする場合も、もしかしたら患者さんを間違っているかもしれないと思いながら作業を進めれば、何度も確認をするでしょうし、患者さんの名前を声に出しながら、ご本人にラベルを見てもらったりもするでしょう。
ヒヤリハット報告の内容を見れば、どこに落とし穴があるかよくわかるはずです。他人のヒヤリハット体験を真摯に受け止めて想像力を働かせれば、どんなありえないことがありえたのか、それを自分でインプットした上で作業することができるでしょう。
ミスをしたらどうしようと神経質になりすぎて、萎縮する必要はありません。最大の敵は勝手な思い込みです。「ありえないことはない」と常に自分に言い聞かせながら、仕事をして下さい。そうすれば、ミスは激減できるに違いありません。