WOC看護認定看護師
済生会京都府病院 佐藤桃琴恵(さとうときえ)さん
WOCとはWound(創傷)、Ostomy(ストーマ:人工肛門、人口膀胱など)、Continence(失禁)の頭文字をとったもので、「ウォック」と呼ばれる。WOC看護認定看護師は、褥瘡ケアなどの創傷ケア、ストーマケア、失禁ケアに関して専門的な看護技術や知識を持つ看護師で、日本看護協会が認定するものである。
今回はWOC看護認定看護師である佐藤桃琴恵さんを済生会京都府病院に訪ねた。
宮崎県日向市出身。1985年京都第一赤十字看護専門学校を卒業後、京都第一赤十字病院に勤務する。その後、京都や宮崎の病院などに勤務し、1997年から済生会京都府病院に勤務している。2000年に看護係長になり、2002年にはWOC看護認定看護師を取得した。
熱烈になりたいというわけではなかったんですよ。ただ親戚に3人ほど看護師をしている人がいて、親も「手に職があった方がいいよ」と勧めてくれたので、看護学校へ進学することにしました。
最初は産婦人科でした。私の場合は看護師の仕事に強い憧れがあったわけではなかったので、ハードと思われる仕事でも「こんなものかな?」と受け止めていました。
89年に京都赤十字第一病院を辞めてからは、故郷の宮崎に戻ったりして、様々な病院、様々な科で働きました。ある程度の病気、治療法、看護のあり方を幅広く勉強できたので、これがWOCの仕事に対して、大きな経験になったと思います。今、多様な依頼が来ても、すんなり入っていける素地をあの時期に作ったのではないでしょうか。
外科だけとは限りませんね。小児科や産婦人科の経験も必要でしょう。産婦人科は特殊ゆえになかなか配属される機会がないのですが、私は最初が産婦人科だったので、今思えばラッキーだったと思います。
最初は小児科でした。直前に勤めた宮崎県済生会日向病院では外科にいたのですが、小児科はそれまでにも経験がありましたしね。
褥瘡やストーマケアは看護師として取り組みやすい分野であるということで、病院として最初の認定看護師をWOCにしたようですね。その頃はまだ当院ではストーマケアの重要性よりは褥瘡の方に重きが置かれていました。
係長になっていましたので、後々若い人たちへ指導しやすくなるだろうということでしょうか。それから東京での受講になりますので、独身だったということも関係あるかもしれません。
宮崎県済生会日向病院にいたときに、聖路加国際病院にETナースのコースがあると知り、同僚と「行けたらいいね」と話してはいました。でも宮崎は遠いですし、病院を休むわけにはいきませんでしたので…。WOCについては知りませんでした(笑)。
イメージもつかめなかったので、色々と情報を集めました。そして直属の師長に相談したんです。そうしたら「このままだったら師長になるよ」と言われました。師長は病棟のこと、スタッフのこと、全てにわたって責任のある仕事です。私としては自由度が高い仕事の方が自分の性格には向いていると考え、師長のようなジェネラリストよりも専門的な分野で活躍できるスペシャリストでありたいと考えました。
1年コースを受講しました。看護協会の研修学校が清瀬市にあるのですが、そこで6月から11月まで研修を受け、残りの期間はリポートを出していきました。長く現場にいましたので、座学での勉強は本当に大変でした。リポートやテストが多かったですね。
実習は2人1組で行い、聖路加国際病院に行きました。聖路加では2人の指導者について、ストーマケア、褥瘡ケアなどを勉強しました。
年齢はまちまちでしたね。師長クラスはほとんどいませんでしたし、係長クラスも少なかったです。卒後5年の勤務経験が必要なのですが、それをクリアしたばかりの人もいました。WOCは院内のスタッフをまとめたり、医師との交渉もありますので、8年から10年ぐらいのキャリアを積んでいた方がいいと思います。
プログラムの中にもコミュニケーションについての科目はありました。医師ともある程度の話ができないといけませんし、患者さんからの難しい質問にも答えなくてはいけません。何よりも他のスタッフへの教育が大切ですからね。こちらのやりたいことを理解してもらうためのコミュニケーションが重要でしょう。
5月に試験があって、8月に合格発表でした。認定証を頂いたときは私よりも上司の方が喜んでいましたよ(笑)。「ご苦労様。これからが大変だから、頑張ってね」という言葉をかけてくださいました。
最初は自分の立場をどのように確立していくかということが大変でした。医師からはストーマのマーキングでも「大丈夫?」と言われたり、褥瘡ケアで提案をしても「何が分かるんだ」と思われたようでした。医師としては様子見しながら、お手並み拝見だったのかもしれません。
看護スタッフに対しては勉強会を開いたりしたので、徐々に浸透していきました。看護スタッフはもともとの仲間ですし、日本看護協会の認定を受けたわけですから理解は早かったです。そして看護スタッフに理解が広がってから、医師へという流れを作りました。医師に対しては医局会で挨拶をさせて頂くことから始めたところ、WOCのいる病院から転勤してきた医師はすぐ理解してくださいました。ラッキーだったのは、当時の外科部長が非常に協力的で、外科の医師や患者さんにも私のことを話してくださったことですね。
コンサルテーションシートを作りました。例えば「ストーマのマーキングをしてほしい」や「褥瘡ケアをしてほしい」という医師からの依頼をシートに記入してもらい、それに返事を返していきました。これで私が介入しているということを主治医を巻き込むことで理解してもらう体制がとれましたね。日本ではWOCが薬剤を処方することはできないので、医師の指示が必要です。そういうときにもシートが役に立ちました。
実際に示さないと信じてくれませんからね。糜爛していた皮膚が綺麗になっていくところを見て、徐々に認められたように思います。創傷ケアについても婁孔や小腸婁では皮膚トラブルになりやすいのですが、今まではガーゼを当てるのみだったところを新しい処置方法を積極的に提案していきました。
日本褥瘡学会が1998年に設立されて以来、多くの処置方法が生み出されました。ガーゼの代わりになるとされているのが創傷被覆材です。ストーマ周辺の皮膚のケアでは昔はガーゼで通気させ、乾かして傷を治すことがメインだったのですが、創傷被覆材の登場で、湿潤した状態を保てるようになりました。ただし感染していないことが条件ですが。湿潤した状態は細胞増殖を活発にさせます。このため自然治癒力を高めるケアとなります。
残念ながら保険では3週間までです。骨まで達するような状態の患者さんは3週間ではとても治りません。その後は自費か病院からの手出しとなりますので、困ったところです。
週に1回、完全予約制で1回3人までとしています。患者さんを少なくすることで、一人の患者さんとゆっくりお話しできる機会になっています。がんのターミナルケアの患者さんが多いのですが、家族にもお話しできないようなことを尋ねられたりしますね。人生相談のような雰囲気ですよ。
スタッフが知識を持つようになりました。WOCがいない病院でも熱心に取り組んでいるところもありますが、やはり現場での指導はより有効です。きちんとしたアセスメントをとり、ケアしていくことで、私どもの病院の褥瘡ケアはかなり向上したのではないでしょうか。やはりWOCがいる病院といない病院とでは違いが出ると思いますね。
摂食嚥下に興味のある後輩はいますし、多くのスタッフがいろんな認定看護師や専門看護師を取るといいですね。看護師の総人数がクリアできていれば、病院も快く送り出してくれるでしょう。私どもの病院は非常に協力的ですよ。他院のWOCの中には3交代に入らざるをえない人もいるそうなんですが、私はかなり早い段階でフリーにして頂けました。
褥瘡ケアは在宅はまだまだなところもありますが、各病院に関しては療養病床も含めてかなり看護レベルが向上してきた状況です。そこで私としては失禁分野を勉強したいと考えています。最近は90歳の患者さんにも手術をする時代です。超高齢患者さんは胃婁があり、失禁につながることが多いですし、さらに勉強していきたいですね。そして後輩を育成して、後継者を作っていきたいです。
講座のプログラムを勉強していくことは大変ですが、その後はスタッフ教育に携われ、スタッフ全体の看護レベルを向上させていける大きな意義があります。
どの科の患者さんであっても褥瘡は起こりえますし、高齢者から子どもまで幅広い患者さんを診ることができる点で非常にやりがいのある仕事です。またストーマでも様々な職業の患者さんがいらっしゃいます。そのためには病院の外へ視野を広げ、どんな職業があるのかを考え、人の動きを想像して頂きたいですね。例えば、工事現場でペンキを塗る職人さんの服装を想像できますか?ペンキ塗りに使う機材を入れた袋はベルトについています。そのベルトがストーマに当たるとどうなるでしょうか。そういった人の痛みを知る想像力や感受性を磨くことが大切でしょう。