私達ナースです(看護師の声)

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Vol.20  イギリス看護師免許を取得・・ 看護師 Yukaさん

イギリス看護師免許を取得・・
看護師 Yukaさん

Yukaさんは岐阜県大垣市に1975年に生まれた。子どもの頃から「看護師になりたい」「外国に行きたい」と夢を描き、努力の結果、その両方を叶えた。24歳のとき渡英し、老人ホームでのボランティアを行いながら、英国看護師免許の取得を目指す。そしてプライベート病院で看護学生として実習と研修を行い、日本の看護師免許をUKRN(英国看護師免許)に変換した。Yukaさんが夢の実現へどのような足跡を辿ったのか、お話を伺ってきた。

小さい頃、外国へ憧れを抱いたきっかけはどんなことだったのですか?

 叔母がロサンゼルスに住んでいたことですね。とてもかっこよくて、私も留学したいなあと思うようになりました。でも看護師になりたいという夢もあったので、「まずは看護師から」と決めました。

看護師になろうと思ったのは、どうしてですか?

 母の妹が腎臓が悪く、4日に一度人工透析を受けていました。その伯母がいつも「看護師が冷たい」と言っていたんです。伯母も愛想があまり良くない、保守的な感じの人ですから、看護師さんの素っ気無い態度では癒されなかったんでしょうね。そこで私と姉が「じゃあ私たちが看護師になるよ」と言って、進路を決めました。衛生看護科のある高校に行くことも考えたのですが、家から通えるところにはなかったので、普通高校に進学して、愛知県立尾張看護専門学校に入学しました。

お姉さんも看護師でいらっしゃるんですね。

 2つ上なので、看護学校も同時期に通いましたし、最初に勤めた大垣市民病院でも一緒でした。私は妹の特権で、姉の友達からとてもかわいがってもらって、苦労せずに勉強や仕事を進めることができました(笑)。

看護学校時代の思い出を教えてください。

 ローソンでアルバイトをしたことでしょうか。母は「時期が来れば、働かないといけないんだから、学生時代はアルバイトしなくてもいいでしょ」と言っていて、姉は母の言いつけを守っていたのですが、私は早く働きたかったし、自分でお小遣いを稼いでみたかったんです。

お母様は厳しい方なんですか?

 母は美容師で、自宅で開業しています。ですから、とても忙しく、基本的にはほったらかしなんですけど、ある程度の路線は敷かれていました。でも美容師はお正月も着付けなどがあって、なかなか休めないですが、看護師はそういう面は恵まれているので、看護師になることには大賛成でした。父も自宅で整骨院を開業していますし、今は姉一家、私たち一家が同居して、10人家族を母が切り盛りしています。

卒業後に勤務したのは大垣市民病院の脳外科ですね。

 腎臓関係の科は伯母の病気のためにある程度分かっていましたから、知らない分野に行きたいと思って、脳外科を希望しました。脳は神秘的で、以前から興味があったんです。市民病院は大きいですし、器械も最新のもので、教育も行き届いており、勉強になりました。くも膜下出血でのクリッピング術も頻繁に行われていまして、術後の全身管理など、1年目にしては多くのことを経験させて頂きました。

そして1年の勤務を終えて、渡英されたわけですが、英会話は最初から得意だったんですか?

 全然得意ではなかったです。市民病院にいるときにオーストリア人の友人ができまして、その友人が英語も話せるバイリンガルだったので、少し習いましたけど、渡英した時点でスムーズに口から出てくるのは「お腹空いた」ぐらいでしたね(笑)。最初はロンドンの語学学校に1ヶ月通い、それからワイト島のワイトカレッジという語学学校で2ヶ月勉強しました。

英語圏の中でイギリスを渡航先に決められたのはどうしてですか?

 イギリスにこだわったわけではなく、最初はカナダのワーキングホリデーがいいなと思って、申し込んだのですが、ものすごい倍率で抽選で落ちてしまったんです。それで母の知り合いから勧められて、イギリスのボランティアホリデーにしました。

ワイト島はどんな島なんですか?

 日本で言うと沖縄のようなイメージの島ですね。サウサンプトンから船で行くんです。ここに敢えて橋を架けず、船で島へ向かうというのがワイト島民のこだわりだそうです。サウサンプトンはタイタニックが出航した港として有名ですが、島内はとても田舎で、当時はバスに乗っていても、じろじろ見られるなど、保守的で排他的な感じがしました。今は留学生が増えてきたので、雰囲気も変わりましたよ。

老人ホームではどんなボランティアをしたんですか?

 食事や入浴介助など、全般的な生活介助です。日本での看護師経験がありますし、日本の医療内容はかなり高度ですので、業務そのものには戸惑いはありませんでした。

カルチャーギャップはあったでしょう?

 いわゆる「寝たきり」の方がいらっしゃらないことに驚きました。寝たきりにさせるのは医療者にとっては楽なんですね。でもイギリスでは人間らしい暮らしをさせるということに主眼を置いています。朝、服を着せて、車椅子に乗せて、ラウンジに連れていきます。日中はそこでテレビを見たり、レクリエーションをしたりという生活です。

辛かったことはどんなことですか?

 やはり言葉の壁ですね。喋れないのは辛いです。4キロも痩せてしまい、鬱状態にまでなってしまいました。私の中で文法が正しくない英語を話したらいけないという思いがあったからだと思います。その思いを3ヶ月かかって振り払い、「とりあえず話してみよう」と思い切りました。

それから上達しました?

 率直に話すようにしたことで上達が早くなったと思います。日本人はR、LやWの発音が苦手とよく言われますが、私もそうだったんです。その私の発音を入居者の方が笑ってくれるようになって、みんなとコミュニケーションする楽しさに目覚めました。ただ基本的に高齢者の方と話すので、若い人が使わないような言い回しなどを覚えてしまうんです(笑)。例えば「よっこらしょ」というときの「Oops,Daisy」など、高齢者しか使わないみたいです。

老人ホームでのボランティアを終えて、どのようにして看護学生になったんですか?

 2年間で福祉士の免許が取れるコースがあると知ったので、最初は福祉士になろうと思っていました。そこで面接を受けて「本当は看護師になりたいんだけど、難しそうだから福祉士になりたい」と言ったところ、「日本の看護師免許を変換できるはずだ」とアドバイスをもらったんです。そこで電話帳を駆使して、大学などに電話をかけまくり、看護師プログラムについて調べました。

そこで初めて、看護師免許の変換について知ったんですね。

 今はNMCという看護協会が当時はUKCCという名称だったのですが、UKCCで、変換にあたり、学科は不要だけど実習が必要だと言われ、実習先を探そうと電話帳の一番上にあったオーチャード・プライベート病院に電話をしました。

すごい勇気ですねえ。

 そして「関係者に話したい」と言ったら、交換の人が私のことを医師だと思ったらしく「ドクターモリから電話です」と理事につないでくださったんです(笑)。そこでとんとん拍子に実習先が決まりました。

オーチャード・プライベート病院はどんな病院なんですか?

 混合で30床ありました。プライベート病院という形態は日本にはないもので、患者さんは基本的には紹介で、自費の人も保険の人もいます。研修医のようなレジデントドクターは患者さんを持たず、診療は全て院長クラスの医師が行います。診療科は多く、整形外科、内科、外科、耳鼻科、口腔外科、婦人科と多岐に渡っていました。病棟は混合で、病室は全て個室です。そのため外科の患者さんの隣に内科の患者さんの部屋があるという感じです。診療科が多いので、本当に色々な経験ができました。

ユニフォームも個性的ですね。

 ロンドンの病院などではナースキャップをかぶらず、パンツスタイルのユニフォームが増えてきたんですが、オーチャード・プライベート病院では「看護師の原点に返ろう」ということで、初期の看護師が身に付けていたユニフォームを踏襲していました。ベルトのバックルは自分の好きなものでよかったんですよ。

ご主人との出会いも看護実習の頃ですよね。

 看護実習のときが人生で一番勉強した時期です。一軒家を5人でシェアしていたのですが、私が自室から出ず、勉強ばかりしていたので、前の部屋のイギリス人が心配して遊ぼうと誘ってくれたんです。その5人はイギリス人が2人にスペイン人、アフリカ人、私だったのですが、ちょうどイングランドとスペインのサッカーの試合があり、ホームパーティーを開いて、テレビ観戦することになりました。そこに来たのが夫です。前の部屋のイギリス人の先輩で、自動車部品を販売する会社に勤めていました。

素敵な出会いですね。

 最初は飲み友達だったのですが、4ヶ月ぐらいして付き合うようになり、2003年の2月に結婚しました。

国際結婚で、親御さんの反対などはなかったんですか?

 「幸せなら、どこに住んでいても、言葉や国境も関係なく誰と結婚していてもいい」と言ってくれました。実際にイギリスの病院では3週間のホリデーなどがあり、割と実家に帰っていましたから、日本の病院に勤めているより家族とゆっくり過ごせる時間があると親もずっと喜んでいました。

結婚式はケニアで挙げたとか。

 二人だけの式にしようと思っていたので、ケニアの海辺を選びました。マサイ族がウェディングダンスで祝ってくれて、嬉しかったですね。式の途中にもラクダ乗りが勧誘に来たり…(笑)。その後、新婚旅行を兼ねてサファリを見に行ったりしました。

ご出産はいつだったんですか?

 2004年6月に、イギリスで長女を出産しました。イギリスでは検診回数が少なく、9週と20週で2回スキャンするだけなので、性別は直前まで分からなかったですね。基本的に助産師が家に来てくれて、ドップラーなどを行います。病院では待ち時間が発生しますが、家だと家事をしながら助産師を待つことができるので合理的です。そこで異常がなければ医師の関与は非常に少なくなります。私の場合は陣痛が長く、無痛分娩に切り替えました。下半身の感覚がなくなった頃に子宮口が開き、そこからは安産でした。

海外では出産後、すぐに退院となるんでしょう?

 子どもに黄疸が出たので、3日間入院したのですが、確かに日本に比べると入院期間は短いですね。私は「こんなものだ」と受け止めていましたけど。助産師、保健師のフォローアップが手厚いんですよ。沐浴の練習も在宅で行いますので、家にあるものでできることもメリットですね。一方でデメリットは日本のようにすぐに医師に相談できないことでしょうか。

そして日本に帰国されたわけですが、これはどうしてですか?

 夫が「日本に行ってみたい」と言ったからです。両親も孫が抱けるので、喜んでいました。夫は日本語の語学学校に通い、一から日本語の勉強を始めました。今は英会話学校で講師をしています。私は検診会社で看護師として働くことになりました。

検診の仕事はいかがですか?

 一人の患者さんとお話しできるのは1、2分と限られた時間ですが、毎日新しい出会いの連続ですので楽しいですね。数をこなしていかなくてはいけないことが難しいですが。無駄話ができないのが辛いです(笑)。企業の検診はさっと終わってしまいますが、町民検診などは高齢者の方をベッドに乗せたりするのも一苦労です。ただ公民館などでの検診では高齢者の方が「今ベッド空いたよー」と仕切ってくださったりして助かります(笑)。

お嬢さんも日本の保育園に慣れました?

 娘は日本語が主体で、英語は少しなんです。英語で歌を覚えていても、保育園で日本語の歌を習うと多少混乱しているようです。

そして今度はオーストラリアに移られるとか。

 オーストラリアは日本に近いし、時差もほとんどありません。イギリスは天気が悪くて、お日様をあまり見ないので、天気の良いところで子育てをしながら、楽しく仕事をしたいと思いまして、オーストラリアに移ることにしました。今、書類を提出してオーストラリアの看護師免許を取得しようとしているところです。2年間、病院の看護師として働いていないので、現地に行ったらリフレッシュメントという研修を受けることになっています。プライベートでは散歩やサイクリングなどを楽しみたいですね。
 ただ、夫の実家の都合がありまして、一旦イギリスに戻ります。オーストラリアへはその後で移る予定です。もちろんイギリスでは看護師として働きますよ。

最後に外国での看護師免許取得を目指す看護師にアドバイスをお願いします。

 まずは目標を持ち、自分がどうなりたいかを考えましょう。もし失敗したら「この失敗はするべきだった」と捉えるといいと思います。「できないことはない」というぐらい気持ちが強ければ大丈夫ですよ。

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